懸念
00821ら生殖世帯構成員には、就寝前のバイタルチェックに加えて、精神状態を確認するための簡易的な問診に回答することが義務付けられている。
質問は通常五項目から十項目程度。回答は各個人に割り当てられた端末AIによって記録、分析され、精神状態に異常が認められた場合には中央AIから生活環境の改善要請や、必要に応じて治療要請が出される仕組みになっていた。
00821は岩屋邸へ配属されてからの五年間、一度も異常を指摘されたことがない。
だから、その日の検査は少しだけ気になった。
質問が十八項目もあったからだ。
少なくとも00821の記憶にある限り、この五年間でもっとも多い。
「……何か気になることがありましたか?」
寝台カプセルの上で仰向けになったまま、端末AIへ問いかける。
日々の体調から仕事上の不安、些細な悩みまで、これまで幾度となく話してきた相手だった。端末AIはいつものように感じよく応答したものの、質問項目が増えた理由について明確な答えを返すことはなかった。
以前の自分なら、それ以上気に留めなかっただろう。
必要だから質問が増えた。それだけのことだ。自分に知る必要のない情報であれば、尋ねる必要もない。
けれど、翔子と過ごすようになってからというもの、特に一人でいるときには、以前なら見過ごしていたような些細な違いや、言葉にしづらい違和感を拾うことが増えていた。
どうして十八項目なのだろう。
なぜ理由を教えてくれないのだろう。
考える必要はない。
そう思って目を閉じても、一度気になったことは頭の片隅に残り続けた。
こうした思考を就寝前に続けることが睡眠の質を低下させることは、00821自身もよく知っている。それでも、ささくれ立った心を自分の意思だけで鎮めることが、以前より少し難しくなっていた。
「寝つきが悪いので、睡眠ガスの投与をお願いします」
目を閉じたまま端末AIへ呼びかける。
『承知しました。呼吸を楽にして、そのままお休みください』
ほどなくして、カプセル内部に無臭の睡眠誘発剤が散布された。
00821は何も考えないように努めながら、ゆっくりと意識を手放した。
翌朝、身支度を整えて翔子の寝室へ向かうと、すでに翔子は起きており、自室で紅茶を飲んでいた。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、サクラ。今日もいい天気ね」
00821は朝起きて、最初に翔子の笑顔を見るこの時間が、一日の中で一番好きだった。
しかし、翔子は00821の顔を見るなり、わずかに眉を寄せた。
「珍しいわね。眠たいの?」
「……分かりますか?」
「分かるわよ。いつもより少し目が重そうだもの」
翔子は岩屋の血筋の中でも、特に優れた遺伝的形質を持つ者同士の配偶子から生まれている。知能、身体能力ともに高い水準にあり、洞察力についても例外ではない。
もっとも、こと00821の変化に気づくことについては、生まれ持った能力というより、日ごろからサクラを気にかけている賜物なのだろう。
「実は、昨夜のメンタルチェックで少し気になることがありまして」
00821は昨夜の端末AIとのやり取りを話した。
以前なら、この程度のことをわざわざ報告しようとは思わなかっただろう。しかし、自分の悩みや気になったことを話すと翔子が喜ぶと知ってからは、些細なことでも話すようにしていた。
「……なるほど。それは確かにおかしいわね」
一通り話を聞き終えると、翔子は腕を組み、顎に指を添えた。
しばらく考え込んだあと、その表情から笑みが消える。
「サクラ――いえ、00821として聞くわ。貴女、本当に何も思い当たることはないの?」
いつになく真剣な目を向けられて、00821の中にも昨夜の不安が蘇ってきた。
「いえ、特には……」
「本当に? 最近、何か変わったことはない?」
「その……大変言いにくいのですが」
伏し目がちに口ごもる00821を見て、翔子がわずかに目を見開く。そのまま椅子から身を乗り出した。
「なに?」
「その……最近、お嬢様と過ごしていると、胸のあたりがこう……ポカポカするような気がしています」
「……は?」
思わず聞き返した。
00821の耳が、ほんの少し赤くなる。
それを見た途端、今度は翔子自身の顔が熱くなった。ティーカップを持つ手のひらに、じっとりと汗が滲む。
「そっ、それは別に異常ではないと思うわ!」
「そうでしょうか……」
「そうよ!」
予想もしなかった返答に、らしくもなく声が上ずった。
翔子は誤魔化すように残っていた紅茶を一気に飲み干すと、空になったカップを置いて思考を切り替えた。
生殖世帯の管理プログラムや、中央AIが精神状態を評価する際の傾向については、おおよそ把握している。
構成員が誰かに親しみを覚えること自体は異常ではない。友情や愛情を含め、通常の社会生活の範囲で生じる感情まで抑制していては、かえって精神衛生上の問題が生じる。自身の役割や社会制度に対する強い忌避、あるいは管理への拒絶に結びつかない限り、単純な感情の起伏が治療対象になることはないはずだった。
ならば、サクラ本人に異常がないことを前提に考えれば、残る可能性はそう多くない。
「原因が分かったわ、サクラ」
「流石です、お嬢様」
「あら。驚かないのね?」
「はい。だって、お嬢様ですもの」
あまりにも真っ直ぐな返事だった。
本当に、自分に話せば何とかなると思っていたらしい。
「……悪い気はしないけど、もう少し驚いてくれてもいいのよ?」
「善処します」
翔子は思わず笑った。
なら、その信頼に応えるのが主人としての自分の務めだ。
「とりあえず今日、昼食のときに貴女の同僚を集めてもらえるかしら?」




