岩屋翔子
翔子には、一回り近く歳の離れた姉がいた。
名を喜恵という。
いた、と過去形で考えるようになったのは、姉が死んだからではない。少なくとも翔子はそう思っている。ただ、自分の知る世界からはもうずいぶん遠いところへ行ってしまった。
二年前、翔子の十歳の誕生日に映像通信で話したのを最後に、喜恵からの連絡は途絶えた。
岩屋家の登録記録上、喜恵は国外渡航中に事故へ巻き込まれて死亡したことになっている。死亡証明も提出され、家族記録にもその旨が追記されているため、岩屋家ではすでに故人として扱われていた。
けれど翔子だけは、それが嘘だと知っていた。
最後の映像通信で、喜恵は詳しい事情を何一つ教えてくれなかった。ただ、しばらく連絡できなくなること、もしかするとこれが最後になるかもしれないこと、そして自分について何を聞かされても深入りしないようにと、普段と変わらない口調で告げた。
十歳の翔子は、その約束を半分だけ守った。
誰にも話さなかった。
その代わり、自分で調べた。
岩屋家のデータベースへ侵入し、そこに残されていた渡航記録と死亡処理の不自然な点を拾い、それを手掛かりに海外の警察組織が管理するデータベースへ接続した。アクセス権限の偽装には少し苦労したが、最終的に翔子が見つけたのは姉の死亡記録ではなく、国際的な反政府組織の構成員として監視対象になっている喜恵の情報だった。
それを知ったとき、翔子は思ったほど驚かなかった。
喜恵が以前から現在の体制や、それを支える管理システムに懐疑的であったことは知っていた。家族が集まる席でも、人口再生政策や階級制度について大人が話していると、喜恵だけは時折意地の悪い質問をして相手を黙らせた。露骨に体制を批判することはなかったが、それがかえって他の兄弟たちを苛立たせ、陰では面倒な女、考えすぎる女と疎まれていることも、幼い翔子には分かっていた。
翔子は、それを姉が優秀だからだと思っていた。
学校で教えられたことを理解できないから疑うのではない。むしろ誰より正確に理解してしまうから、その説明の中に含まれている矛盾にも気づいてしまう。
その点では、翔子も姉によく似ていた。
もっとも、喜恵ほど強い義憤があるわけではない。世界中の構成員を救いたいと思ったこともなければ、現在の国家体制を転覆させ、その後に何を作るべきなのかも分からない。自由というものが本当に人間を幸福にするのか、それとも学校で教えられたように旧文明を滅ぼした原因の一つなのかについても、翔子にはまだ答えがなかった。
だからといって、何かできるわけでもない。
十二歳の少女が一人で変えられるほど、この世界は小さくなかった。
それでも十二歳の誕生日に欲しいものを尋ねられたとき、翔子は一つだけ、自分にもできることを思いついた。
祖父、岩屋宗一郎の生殖世帯に所属する構成員。
宗一郎が百人以上を囲い、古い言葉で「妻」と呼んでいる女たちの一人。
K-SM-00821。
三年前、自分が勝手にサクラと名づけた女だった。
翔子は彼女が欲しいと言った。
もちろん、それで00821が自由になるわけではない。登録上の所属先が宗一郎から翔子へ変わるだけで、番号が名前に変わるわけでもなければ、生殖世帯構成員という身分から解放されるわけでもない。
それくらいのことは、翔子自身が一番よく分かっていた。
それでも祖父のもとに置いておくよりはいい。
自分なら少なくとも、サクラが何かを考え始めたとき、それを病気だとは言わないでいられる。
姉のように世界そのものへ刃向かう勇気は、まだ自分にはない。
だからまず、自分の手が届くところにいる一人だけを掬い上げた。
それが抵抗と呼べるほど大層なものなのか、翔子には分からなかった。ただ喜恵がここにいたなら、少しくらいは褒めてくれるような気がした。
環境を変えるにあたって、翔子がもっとも懸念していたのはサクラの精神状態と、それに伴うバイタルの変化だった。
サクラたち、主に第三階級に属する成人女性は、自分たち第一階級、すなわち支配階級の人間によって管理されることこそがもっとも幸福な生き方であり、社会から与えられた役割を越えて必要以上の自我や欲求を持つことは精神的な疾患の兆候であると、幼少期から繰り返し教育されている。
それが洗脳であり、マインドコントロールと呼ばれるものに該当すること自体は、第一階級において秘密でも何でもなかった。むしろ旧文明崩壊後の社会を安定させるために必要な心理教育として、その目的も手法も公然と研究されている。だからといってサクラの前で「貴女は洗脳されている」と指摘したところで、おそらく彼女は問題意識すら持たないだろう。教育によって形成された価値観を教育された本人が自然なものとして受け入れることまで含めて、その仕組みは完成しているのだから。
もっとも、翔子はそれだけを理由に現在の体制が間違っているとも言い切れなかった。
旧世代において、必要以上に膨れ上がった人口がそれぞれに権利と豊かさを要求し、国家や民族、宗教、思想によって文明が際限なく細分化され、限られた資源を奪い合った末に破局へ至ったことには、十分な記録と物証が残されている。そこには現在の支配階級による恣意的な解釈だけでは説明できない事実も多く、人口統計や出生率をAIによって管理し、各地域の資源と労働力を世界規模で再配分する現在の共産体制が、少なくとも人類という種の存続に大きく寄与したことも否定できない。
だから第一階級には、それを維持する義務がある。
自分たちは第三階級から自由を奪って享楽に耽っているのではなく、再び文明を滅ぼさないために管理する責任を負っている。そのために高度な教育を受け、世界全体を俯瞰する能力を養い、必要であれば個人の幸福より人類全体の存続を優先する。
翔子もそのように教えられて育った。
そして最近になって、ときどき考えるようになった。
サクラが「管理されることが幸福だ」と信じるよう教育されているのなら、自分が「管理することは責任だ」と信じていることだけは、なぜ洗脳ではないと言い切れるのだろう。
第三階級には第三階級が現在の生活を受け入れられるような教育を施し、第一階級には第一階級が現在の体制を維持することに使命感を抱けるような教育を施す。内容が違うだけで、社会が必要とする人間を作っているという点では同じなのかもしれない。
喜恵なら、どう答えただろう。
考えてみたところで答えは出なかった。
だから翔子は、少なくともサクラに自分の考えを押しつけることだけはしないと決めていた。
洗脳されている人間に「自由になれ」と命令することほど滑稽な話もない。
まず環境だけを変える。
何かを教えようとも、疑わせようともせず、これまでとは違うものをただ彼女の周囲に置いてみる。その結果としてサクラの精神状態や身体に異常が現れるのであれば、それ以上は踏み込まない。
そして、もし何も起こらなければ。
その先についてはそのとき考えればいい。少なくとも今はそう思っていた。




