【第9話】迷宮の森
精霊の泉での大騒動から少しして、ようやくヴォルの衣服が完全に乾いた。
かつて魔境を統べたという最凶の魔物である彼は、びしょ濡れになって泉に飛び込んだことなど最初から無かったかのように、いつも通りの傲然たる態度で私の前を歩いている。
「おい、さくら。迷宮の森は上級冒険者でも手こずるほど危険な場所だ。こっそりどこかに行くんじゃねえぞ。探すのが面倒だからな」
私は彼の一歩後ろをトコトコとついていきながら、心の中でそっと呟いた。
(はぐれないように、気をつけなきゃ……!)
釘を刺された私は、なぜ精霊さんが大した力もない私にチケットをくれたのか考えていた。
ヴォルが面白かっただけで、そんな危険なところへのチケットを渡すなんて、意外と適当なんだね……
でも、これも何かの縁なのかもしれない。
「おい、着いたぞ。ここが迷宮の森だ」
私たちの目の前には、人間界でも有数の危険地帯とされる『迷宮の森』の入り口が広がっていた。
中級以上の冒険者しか立ち入りを許されないというその森は、外から見るだけでも圧倒されるような巨木が立ち並び、昼間だというのに薄暗い霧が立ち込めている。
泉の精霊から貰ったエメラルドグリーンのチケットを入り口の魔法陣にかざすと、淡い光と共に重厚な結界が「ガガガガ」とゆっくりと開いた。
「よし、行くぞさくら。ここからは正真正銘の魔境だ。有象無象の有象どもが潜む場所だが、俺の相棒となったからには、これしきの森、散歩道も同然よ。俺の真の実力、今度こそ特等席で拝ませてやるからな」
ヴォルは名誉挽回とばかりに、やたらと自信満々に胸を張って森の奥へと進んでいく。
私は彼の広い背中を見つめながら、なくさないように緑色のチケットをしっかりとポケットにしまい、その後に続いた。
迷宮の森の内部は、想像以上に奇妙な気配に満ちていた。
不気味な鳥の声が森中に響いている。
(うぅ、何だか怖いよ……)
一歩足を踏み入れた瞬間から、私の脳内には人間のものではない、無数の『声』が雪崩のように流れ込んできたのだ。
(ひっひっひ、人間が来たぞ。美味そうな女の子が後ろを歩いてるな。足元を木の根っこで引っ掛けて、転んだところを美味しくいただいちゃおうかしら)
(……っ!)
すぐ右側にある、不自然にうねった大木の根からそんな本音が受信された。
私はビクッと身体を震わせる。
声は出ないけれど、恐怖で心臓がドクドクと大きく脈打った。
(わ、罠だ……! 転ばされちゃう……!)
叫んでヴォルに知らせたい。
けれど、いざ喋ろうとすると喉がキュッと締まってしまい、情けない空気の音が漏れるだけだ。
私は咄嗟に、前を歩くヴォルの湿り気の残る黒いマントの裾を、グイッと力任せに引っ張った。
「ぬおっ!? な、なんださくら。急に俺のマントを掴むとは……。ふふん、さては恐怖に耐えかねて、この俺に助けを求めてきたな?」
ヴォルがにやにやと嬉しそうに振り返る。
私は必死に首を横に振りながら、大木の根とは反対の、左側の比較的開けた地面を指差した。
言葉は出ないけれど、涙目で「あっちに行こう」とジェスチャーで必死に訴えかける。
「ほう、あちらの道を進めと言うのか? ……しょうがねえな、相棒のささやかな頼みだ、聞いてやらんこともない。お前は俺の後ろをぴったりと離れずについてくるがいい!」
ヴォルは私の意図を「怖がってルートを変えたがっている」と完全に勘違いしたまま、左側のルートへと進路を変えた。
そのおかげで、私たちは人喰いの木の根を踏むことなく、安全に通り過ぎることができた。
背後から「((えーっ!? なんでそっち行くのよ、せっかく準備してたのに!))」という木の根の悔しそうな本音が聞こえてきた。
(良かった、助かったあ……)
私は心の中でホッと胸をなでおろした。
入って早々狙われるなんて、この先大丈夫かな……?
私は不安で常に気を張っていた。
その後も、迷宮の森は容赦なく私たちに襲いかかろうとしてきた。
しかし、その度に私の固有スキルが、森の植物や魔物たちの悪だくみを事前にすべてキャッチしてしまう。
(おい、あの左の茂みに毒のトゲを仕込んであるぜ。あそこに足を踏み入れた瞬間に一網打尽だ!)
(上の枝から粘着質の液を落としてやる。身動きを封じてからじっくり料理してやるぞぉ)
(こ、怖いよーー……!)
そんな物騒な本音が聞こえるたびに、私は言葉の代わりにヴォルの服を引っ張ったり、彼の袖を引いて静止させたり、右へ左へと誘導を繰り返した。
ヴォルはその都度、私の意図を都合よく解釈していく。
「ふむ、そこは通るなと言うか。なるほど、俺の歩く姿を別の角度から眺めたいのだな。美しい俺の歩行グラフィックを堪能するがいい」
「何? 今度は立ち止まれと? ……ふッ、俺の溢れ出るカリスマ性に、思わず見惚れて足が止まってしまったというわけか。罪な男だな、俺は」
凄まじいポジティブ勘違いを発揮しながら、ヴォルはドヤ顔を崩さない。
私はその横で、心の中で激しくツッコミを入れていた。
(違うの! そこに毒針の罠があるの! 上からベトベトした液体が降ってきそうだったの……! お願いだから大人しく私の誘導に従ってぇぇ!)
一言も喋っていないのに、心の中のツッコミだけで妙に体力が削られていく。
しかし、結果として、私たちは中級冒険者すら全滅しかねないという『迷宮の森』の凶悪な罠エリアを、傷一つ負うことなく、それどころか掠り傷すら作らずに完全スルーで突破したのだった。
森のさらに奥へと進むと、にわかに周囲の霧が晴れ、神秘的な光が差し込む開けた場所に辿り着いた。
その中央には、古代の文字が刻まれた厳かな石の台座が佇んでいる。
そしてその台座には、まるで太陽の欠片を固定したかのように眩しく輝く、一振りの美しい剣が深く突き刺さっていた。
(わあ、綺麗……!!)
「……おい、さくら。見ろ、あれは……」
ヴォルがいつになく真剣な表情になり、両目を見開いた。
「伝説の剣『スカイロード』だ」
すると、ヴォルは早口でまくし立てる。
「まさか、本物か? 数々の英雄や、高名な上級冒険者たちが引き抜こうと挑み、そのすべてが拒絶され、誰一人として動かすことすらできなかったという……。 なぜこんな中級の森の奥深くに眠っているのかは知らんが、放つ神聖な魔力は間違いなく本物だ」
ヴォルが顎に手を当て、感心したように呟く。
「中級チケットで来られるような場所にあるとはな。だが、あれは選ばれた真の勇者にしか抜けないとされるシロモノ。有象無象の人間どもがどれだけ束になって引っ張ろうが、ミリ単位すら動かん代物だ。まあ、俺の魔力をもってすれば、こんなオモチャ、一瞬で__」
ヴォルが自慢の魔力を使って試そうと、台座に近づこうとしたその瞬間だった。
私の脳内に、これまでに聞いたこともないような、聖剣らしからぬ声がダイレクトに響く。
『(あーーーーーーーもうッ!! 退屈!!! 退屈すぎて死ぬ!!! 誰でもいいから早く俺をここから抜いて連れ出してくれよぉぉぉ!!!)』
(……ええっ!?)
私は思わず、その場でポカンと口を開けて硬直してしまった。 声の主は、間違いなく台座に刺さっている、あの神々しく輝く「伝説の剣」自身だった。
(何が『選ばれた勇者しか抜けない』だよ! バカ言え! 数百年前にここに俺を刺した初代の勇者が、やたらと厳しい認証ロックの設定をかけやがったせいで、それ以降に来たやつらが全員エラーで弾かれてるだけなんだよ! 誰も説明書読まないからロック解除の裏技に気づかないし! もうこんなジメジメした森の中で引きこもるの嫌だーー! 湿気で錆びたらどうすんだよ! 誰でもいいから、ちょっと優しく触って念じるだけでロック解除されるようにシステム書き換えといたから! 頼むから早く抜いてくれぇぇぇ!!!)
伝説の剣の本音は、威厳の塊のような外見とは裏腹に、限界寸前の引きこもりの叫びそのものだった。
あまりのギャップと、必死すぎる懇願に、私はなんだか可哀想になってくる。
(……そんなに退屈だったんだ。かわいそう……)
私はヴォルが近づくよりも早く、トコトコと引き寄せられるように台座へと歩み寄った。
「……おい、何をするつもりだ。まさか、そいつを抜こうってのか?」
台座の前に立ち、眩しく光る柄を見つめる。
私はガチガチに固まった両手を伸ばし、伝説の剣の柄をしっかりと握りしめた。
すると、聖剣の心の叫びが聞こえてきた。
『(ひ、ひいいいぃぃぃぃぃっっっ!? な、何だこれ、何なんだよこのお嬢ちゃんはァァァ!!!)』
(えっ、何?!どうしたの?!)
えっ? と私が驚く間もなく、脳内の聖剣の声はパニック状態に陥っていく。
『(ちょ、待って! 認証のために魂の器を覗いたんだけど、深さが、深さがバグってる!! 底が見えない!! 精神の奥底に、なんか次元を何個も丸呑みにしたような、とんでもない漆黒の深淵が広がってんだけど!? なにこれ、神? 神なの!? いや、神をも滅ぼす異次元の絶対捕食者か何かかーーー!?)』
(いや、私はただの場面緘黙症の女子高生なんだけど?!)
どうやら、私が学校で「喋らない奴」としていじめられていた過去がどす黒すぎて、聖剣が強い衝撃を喰らってしまったらしい。
失礼なっ……!
『(マ、まずい! 下手に抵抗したら俺の存在ごと概念消滅させられる!! 抜かせる! 喜んで抜かせますからあぁぁ! 認証ロック全解除! 安全装置もリミッターも全部ぶっ壊して差し上げますぅぅ! だからお願い、俺の自我を噛み砕かないでえぇぇ!!!)』
さくらが力を込めるまでもなかった。
聖剣は恐怖のあまり、自分から台座の岩をドロドロに融解させ、全力で「どうぞ抜いてください!」と差し出してきたのだ。
――スポンッ。
大根どころか、空気でも引き抜くかのような軽さで、伝説の剣は私の手に収まった。
抜けた瞬間、剣は嬉しさからではなく、恐怖のあまりガタガタと生まれたての小鹿のように激しく振動している。
神聖なはずの光が、怯えすぎて禍々しい紫色にチカチカと明滅していた。
『(お、おおお、仰せのままに、我が偉大なる絶対終焉マスター……。お、俺のことは、どうか潰さずに、末端の奴隷武器としてお使いくださいぃぃ……。頼むから喋らないで、その沈黙が一番怖いぃぃ……!!)』
ものすごい平伏しっぷりである。
完全に「恐怖の魔王」を見る目(?)で恐れおののかれていた。
「な……ななな……なななな何だとおおおおおおおおおッッ!?」
迷宮の森にヴォルの叫び声が響く。
事情を知らないヴォルは、顎が外れそうなほど口を大きく開けて絶叫している。
「ば、バカな……! 歴代の勇者たちがピクリとも動かせなかった聖剣が、簡単に抜かれただと!? おい見ろさくら、剣が禍々しい紫色に変色しているぞ……!?」
ヴォルの脳内からも、最大級の勘違いの津波が押し寄せてきた。
『(さくら、お前はいったいどれほどの化け物なんだ……! 聖剣『スカイロード』をその握力だけで完全に屈服させ、恐怖で染め上げただと!? 喋らないのは、その底知れない神の力を内に秘め、言葉一つで世界を崩壊させないための『呪い』だったのか……! 恐ろしい少女だ……。やはり俺の目に狂いはなかった、こいつこそ世界を統べるに相応しい本物の支配者……!)』
ヴォルの脳内評価も、聖剣の怯えっぷりを見て一気に「世界の支配者」へと跳ね上がってしまった。
(違うの! 私、握力めちゃくちゃ弱いよ!? 剣が勝手に勘違いしてガタガタ震えてるだけだし、ヴォルくんまでなんでそんなに怯えた目で私を見るのぉぉー!!)
本当のことを説明したいけれど、喉がすくんで言葉にならない。
仕方なく、私は手の中で必死に震えている紫色の剣をギュッと持ち直すと、言葉の代わりにヴォルに向かって「コクコク」と、申し訳なさそうに頷いてみせた。
その仕草を見て、ヴォルは『(やはりそうか、世界を滅ぼす覚悟があるのだな……!)』と、完全に戦慄していた。
(違うのおおおぉ!お願いだからそんな目で見ないでえええ!!)
――しかし、その時だった。
ズズズ……と、足元の地面が不気味に低く鳴り響いた。
伝説の剣が抜けたことで、森全体の魔力のバランスが急激に変化し始めたのだ。
私の固有スキルが、森の遥か奥深くから、無数の不穏な『本音』を一斉に受信した。
『(結界が消えたぞ! 聖剣の抑えが無くなったぞ!)』
『(今こそ外へ出る時だ! 街へ進撃だ! 人間どもを蹴散らせー!!)』
地響きは次第に大きくなり、森の木々がザワザワと激しく揺れ始める。
私はハッと目を見開いた。
(え……!? どうしたの!?)
手の中の剣の脳内を覗くと、『(あ、やべ、そういえば俺、この森の魔物除けの重石の役割も兼ねてたんだったわ。すまんごめちー!)』という、信じられないほど軽い謝罪が聞こえてきた。
「おい、さくら! 何か来るぞ! 森の奥から凄まじい数の魔物の気配が、ミラノの街の方へと向かって移動を始めている!」
ヴォルが鋭い視線を森の奥へと向け、戦闘態勢をとる。
大変なことになってしまった。
私が聖剣を抜いてしまったせいで、街に危機が迫っているみたい……!
「急ぐぞ、さくら! 街へ戻る! 俺たちの手で、あの有象無象の獣どもを叩き潰してやる!」
ヴォルがマントを翻し、森の入り口へと走り出す。
私は「うん!」と心の中で強く返事をしながら、伝説の剣をぎゅっと握り締め、彼の背中を必死に追いかけた。
激辛カレーの次は、まさかの魔物の大軍勢。
私たちの新しい冒険の舞台は、一瞬にして、街を守るための防衛戦へと変貌を遂げようとしていた。
(待ってて、ミラノの街のみんな……! 今、助けに行くからね……!)
一言も喋れない私の、新しい戦いが今、幕を開けようとしていた。




