【第2話】ヴォル・カタロスとの出会い
「ん、あ……?」
耳を突き刺すようなクラスメイトのざわめきが、嘘のように消え去っていた。
代わりに聞こえるのは、カサカサと葉が擦れ合う音と、どこか不気味な獣の遠吠え。
恐る恐る目を開けると、そこはコンクリートの教室ではなく、見たこともない巨木がそびえ立つ、薄暗い森の中だった。
(え……? ここ、どこ……!?)
パニックになりながら自分の体を見る。
着ているのは、さっきまでと同じ高校のブレザー。
手には「現代国語」の教科書をぎゅっと握りしめたままだ。
すると、目の前に不気味なホログラムが浮かび上がった。
何やら文字が書いてある。
「個体名:姫乃さくら、異世界への転移を確認」
(えっ?異世界!?どういうこと?!)
驚くのも束の間、ホログラムがチカチカと点滅し、また文字が浮かび上がった。
「姫乃さくら」
レベル:1
HP:50
MP:0
攻撃力:10
防御力:5
すばやさ:3
(えっ、何これ……!?……てか、弱っ!!)
「固有スキル:【万物同調】を獲得しました」
(ばんぶつ、どうちょう……?)
状況が理解できず、その場にへたり込んでしまう。
現代の日本から、お話の中でしか知らない「異世界」に飛ばされてしまったのだろうか。
こんな感じの、小説で読んだことある。
突然変な世界に飛ばされて、剣で敵と戦うやつだよね……?
そんな私の混乱を切り裂くように、ドスン、と激しい地響きが鳴り響いた。
「――チッ。人間界の『召喚の光』かと思えば、ただの小娘か」
地を這うような低い声。
ビクリと肩を揺らして声のした方を見上げると、そこには、一人の男が立っていた。
鋭い銀色の髪に、すべてを見下すような冷徹な瞳。
黒い夜を纏ったような衣装を着たその男の背後には、まるで巨大な竜の影が陽炎のように揺らめいて見える。
(ひ、人……?何か、怖い……!!)
先生に当てられた時なんて比じゃない。
本能的な「死の恐怖」が押し寄せ、私の喉はカチリと完全に凍りついた。
体が石のように固まって、指一本動かせない。
完全な「緘動」状態だ。
男は不機嫌そうに眉間にシワを寄せ、私へと一歩近づいてくる。
「おい。ここは最凶の魔境『カタロス』だぞ。ただの人間が丸腰で入れば、一瞬で魔獣の餌だ。……おい、聞いてるのか?」
(……っ、……っ!)
声を出して「助けて」と言いたいのに、やっぱり声が出ない。
私はただ、涙目でガタガタと震えながら、男の顔を無言で見つめることしかできなかった。
「あ?」
男の目がさらに鋭くなる。
私、このまま殺されちゃうのかな……?
こんな薄暗いところで……??
(や、やめてっ……!!)
死を覚悟した、その時。
『……この小娘、どこから来やがった?とはいえ、何か可愛い顔してんな……』
「なっ……!?」
男が、突然飛び退くようにして私から距離を取った。
その端正な顔が、驚愕で大きく歪んでいる。
(え……? どうしたんだろう……?)
実はこの瞬間、かすかにスキルが漏れ出て、男側も『自分の心の声が相手に読まれた(筒抜けになった)ような奇妙な感覚』を本能的に察知したようだ。
私はただフリーズしているだけなのに、男は自分の頭を押さえながら、信じられないものを見る目で私を睨みつけてきた。
「お前……今、俺に何をした……!?」
「……??」
「……おい、何かっつってんだよ。」
「……っ」
男が何か聞いてるのに、声が出ない。
体が固まったまま、男を見つめるしかない。
「チッ、俺の問いに答えないとは、随分と舐め腐ってやがるな」
男は、不機嫌そうに眉間を寄せ、私を鋭い眼光で睨みつけている。
(ど、どうしよう……!? 怒らせちゃった……!?)
恐怖で喉が完全にロックされていて、声の出し方すら分からない。
何か言わなきゃ本当に殺されちゃう。
「……っ、……っ」
やっぱり、口をいくら動かしても空気しか出ない。
焦れば焦るほど、涙がボロボロとこぼれて視界がにじむ。
(そうだ……! 声が出ないなら……!)
私は震える手で、足元の柔らかい土の地面を、人差し指で必死に擦った。
爪に泥が挟まるのも構わず、一画ずつ、大きく、分かりやすい文字を書きつける。
『 ど う い う こ と ? 』
書き終えて、涙で濡れた顔をパッと上げ、無言で地面を指差した。
そして、すがるような目で男を見上げる。
「『どういうこと?』……だと?ハッ、質問の意味も分かんないのかよ」
男は鼻で笑い、地面の文字を冷たく見下ろした。
その、まさに瞬間だった。
『ピコン。固有スキル【万物同調】が発動しました』
頭の中に、突然可愛い効果音と無機質な声が響く。
すると、目の前の男は相変わらず怖い顔で腕を組んでいるのに、私の耳に、彼の全く違う「声」がハッキリと流れ込んできたのだ。
『(うわ、めちゃくちゃ泣いてる……! 泣かせたつもりはねぇんだけど、俺の顔そんなに怖かったか……!? っていうか、よく見たらこの小娘、なんか小動物みたいで無駄に可愛いな……。髪の毛も黒くてサラサラしてそうだし……あー、いやいや、何考えてんだ俺は! 威厳を保て!)』
(……えっ!?なにこれ、男の人の声……?)
私は驚きのあまり、涙がピタッと止まって目を丸くした。
目の前の銀髪の男の人は、相変わらず「チッ、目障りな人間め」みたいな顔をしてそっぽを向いている。
でも、頭の中に聞こえる彼の本音は、めちゃくちゃ焦っていて、しかも私のことを可愛いとか思っている……!?
これが、私の持たされた不思議な力……?
喋れない私の代わりに、相手の『心』を強制的に受信して繋がる、「万物同調」のスキル、なのかな……?
「チッ……。わけの分からん奴だ。いつまでそこに座り込んでいる。ここは最凶の魔境『カタロス』だぞ。そんなところで泥だらけになって泣いていたら、今度こそ本当に魔獣に喰われるぞ」
ぶっきらぼうに言い放ち、スタスタと歩き出してしまう男。
だけど、今の私には彼の本音が聞こえている。
『(ったく、しょうがねぇな……。……ほら、早くこの「ヴォル・カタロス」様についてこいよ、置いてくぞ? 』
見た目は怖そうだけど、本当は不器用なだけで、すごく優しいんだ……!!
「……っ!」
私はコクコクと何度も首を縦に振り、慌てて立ち上がった。
まだ足が少し震えるけれど、今度は恐怖からではない。
ブレザーの裾を泥で汚しながら、現代国語の教科書を胸に抱きしめ、私は彼の背中を必死に追いかけた。




