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【第18話】エルフの森



 

 


「――さくらさん、本当にこちらを歩いて大丈夫ですか?そこの木の根、少し高くなっています。私の腕に掴まりますか?いえ、いっそのこと私の背中に――」




 

 


「おい金ヅラ、さくらをチラチラ見るんじゃねえよ。さくら、喉は渇いてねえか?世界樹の雫、薄めて飲むか?それとも、ちょっとでも足が痛いなら俺の背中に――」




 

 


(ふ、二人とも、昨日の夜から距離がめちゃくちゃ近くて、すっごくソワソワしてて、嬉しいけど緊張で息が詰まりそうだよぉぉぉ……!!)




 

 

世界樹の霊峰を無事に下山した私たち「三人+一匹」は、ミラノの街へと戻るルートの途中にある、ひんやりとした緑に包まれた「エルフの森」へと足を踏み入れていた。

 

 

昨日の夜、満天の星空の下で、私が前の世界で一人ぼっちで寂しくご飯を食べていた過去を明かしてからというもの、ヴォルとレオンの私に対する気遣いは、ハイパー過保護モードへと突入していた。

 

 

一歩歩くたびに、レオンが「足元に小石があります!」と純白の甲冑をカチャカチャ言わせ、ヴォルが「風が冷てえな」とマントの端で私を包もうとソワソワと手を伸ばしてくる。

 

 

喉が緊張でキュッと閉じてしまい、相変わらず一言も喋れない私の沈黙を、二人は完全に「ああ、さくら(さん)は昨夜の告白を経て、私たちに心を許して甘えてくれているっ……!」と、あまりにも都合のいいディープな脳内変換で受け止めていた。

 

 


(違うの!二人とも優しすぎて、緊張して声が出ないだけなのーーー!!)




 

 

私の頭の上では、昨日霊鳥にお手玉にされて目を回していたぷに丸が、すっかり復活して「きゅぴ〜〜ん」とプルプルと揺らしている。

 

 

そんな、甘酸っぱくも胃の痛い空気で森の木漏れ日の中を歩いていた、その時だった。

 

 


「――シャァァァァァァァァァァッ!!!!」




 

 

目の前の茂みが激しく揺れ、残像が見えるほどのものすごい神速で、一匹の魔獣が私たちの前に躍り出てきた。

 

 

それは、白銀の美しい毛並みと、自慢げにふっくらと膨らんだ大きな尻尾を持つ、風の妖獣――「カマイタチ」だった。

 

 

カマイタチは、周囲にキィィィンと鋭い風の刃の風圧を巻き起こしながら、狂ったように地面を引っ掻き、激しく威嚇の声を上げている。

 

 


「出たな、森の妖獣……!さくらさん、下がってください!昨夜誓った通り、貴女の髪の毛一本、この森の獣に触れさせはしません!」




 

 

レオンが白銀の長剣を抜き、バリバリと紫電の雷光を纏わせる。

 

 

「ハン、ただの素早いイタチじゃねえか。さくら、待ってろ。昨日の金ヅラのハーブティーに対抗して、こいつを最高の焼き肉にして美味いもん食わせてやるからな!」

 

 

ヴォルもまた、対抗心を燃やして両手に激しい紅蓮の炎を宿した。

 

 

二人が戦闘態勢に入り、地面を力強く踏み込んだその瞬間。

 

 

ドカドカという足音と、二人の凄まじい魔力の激突によって、森の地面から大量の泥と砂埃がブワァァァッ!!!と派手に巻き上がった。

 

 

その泥水と砂埃が――空中で威嚇していたカマイタチの、自慢の白銀の毛並みとふさふさの尻尾に、バシャッとまともにかかって汚れた。

 

 

その瞬間、私の固有スキル「万物同調」が、目の前でピキッと硬直したカマイタチの脳内から、大激怒の「本音」を強制受信した。

 

 


『(ちょっとおおおおおおおおおおお!!!!!何してくれんのよこのデカブツどもおおおおおお!!!)』




 

 


(え、ええっ!?)




 

 


『(せっかく今!お気に入りの木の実の最高級オイルで、自慢の白銀の毛並みとふさふさ尻尾を、何時間もかけてブラッシングして完璧なお手入れをしてたところなのよぉぉぉ!!それなのに、そこのもじゃもじゃ白髪と金ピカがドカドカ暴れて泥水を撥ね散らかしたせいで、毛先が泥まみれのゴワゴワになっちゃったじゃないのよぉぉぉ!!弁償しなさいよ!今すぐ私のキューティクルを弁償しなさーーーい!!)』




 

 

カマイタチは、凶暴に戦おうとしていたのではなく、自慢の毛並みを汚されたことにブチ切れている、ものすごく美意識の高いイタチだったのだ。

 

 

激しい風の刃を放っているのも、単に怒りの八つ当たりだった。

 

 


(かわいそうに……。女の子にとって、髪の毛のケアを台無しにされるのって、本当に致命傷だよね……)




 

 

カマイタチの悲痛すぎる叫びに、同じ女子としてすっかり同情してしまった私は、パニックと恐怖で身体をカチコチに震わせながらも、ポケットの中にそっと手を伸ばした。

 

 

そこにあったのは、王都の大型ショッピングセンターで、自分へのお土産としてこっそり買っておいた、異世界最新流行の「小さなハニーブラシ」だった。

 

 

私は言葉にできない代わりに、涙目でガタガタと震えながら、その可愛らしい小さなブラシをポケットから取り出し、激怒するカマイタチの前に無言で『すっ……』と差し出した。

 

 

(かわいそうなカマイタチさん、これで泥を落として、もう一度お手入れしてね……!)

 

 

私が無言でブラシを差し出した、まさにその瞬間。

 

 

レオンとヴォル、そしてカマイタチの魔獣の三者が、同時にビクッと激しく硬直した。

 

 


『(えっ……!?ちょ、ちょっと待って……!これ、今王都の超一流店でしか手に入らない、幻の天然イノシシ毛を使った最高級ハニーブラシじゃないのよぉぉぉ!?それを、この黒髪の可愛い子が私に無言でくれるっていうの……!?この子、喋らないけど、私の毛並みの苦しみを完璧に理解してくれてる……!なんてセンスのいい高潔な子なのかしら、好きーーー!!!)』




 

 

カマイタチの魔獣は一瞬で大喜びし、ブラシを前足で大事そうに受け取ると、私の足元に「ほわぁぁん」と目をハートにしてすりすりと甘え始めてしまった。

 

 

その光景を見たレオンは、長剣を構えたまま、大いなる奇跡を目の当たりにしたかのように青い瞳を激しく潤ませ、感動に打ち震えた。

 

 


「な……っ、何ということだ……!さくらさん……!!」




 

 

レオンは胸に手を当て、深く頭を垂れた。

 

 


「襲いかかってくる凶暴な妖獣に対し、武器ではなく『ブラシ』を差し出すなんて……。言葉を介さずとも、その圧倒的な慈愛の深さだけで獣の狂気を一瞬で融解させ、救済の光を与えてしまわれた!なんとお優しく、気高い御心なのでしょう……!さくらさん、貴女のその底なしの優しさに、私は再び魂を奪われました!」




 


(レオンくん違うの!単にカマイタチさんを助けたかっただけなのーーー!!)




 

 

すると、その隣で、ヴォルがこれまでにないほど冷酷に目を細め、額に青筋を立てて私のブラシをじっと睨みつけた。

 

 


「フン……。騙されるなよ、金ヅラ。さくらがそんな無意味な行動をするわけがねえだろ」




 

 

ヴォルはハッと鼻で笑うと、腕を組んで、私のことを「底知れない恐怖の支配者」として仰ぎ見るような目でニヤリと笑った。

 

 


「さすがは俺の相棒だ。あのブラシ……一見ただのお手入れ道具に見えるが、中に『超高濃度の魔力爆弾』か、あるいは『一撃で精神を隷属させる呪いの術式』が仕込まれているに決まっている……!だからこそ、あの素早い妖獣はブラシに触れた瞬間、抵抗の意志を完全に奪われ、大人しく従うしかなくなったんだ。……無言で敵に即死の選択肢を突きつけるとは、相変わらずえげつねえ王の戦術だな、さくら!」




 

 


(仕込んでないよぉぉぉ!!普通にショッピングモールで買った、ハチミツの香りがする可愛いブラシだよぉぉぉ!!!爆弾なんて物騒なもの仕込む技術、私にあるわけないでしょぉぉ!!)




 

 

ヴォルくんの物凄すぎる黒幕勘違いに、心の中で全力のツッコミを入れる私だったが、恐怖と恥ずかしさで相変わらず喉は完全にロックされたまま。

 

 

「……」と、ただ冷徹に佇むことしかできなかった。

 

 

仕上げに、カマイタチの魔獣が自分でブラシを器用に動かして、尻尾の泥を綺麗にペリペリと落としてフサフサに戻した。

 

 

すると、私の頭の上のぷに丸が「きゅぴ〜〜っ!(ふわふわ〜〜っ!)」と嬉しそうにイタチの尻尾へ飛び移って一緒に丸くなり始めた。

 

 

「フッ、どうやら完全に魔王の軍門に降ったようだな、ネズミ」とヴォルが勝手に納得した。

 

 

そして、「さくらさんの新しいお友達ですね、歓迎します」とレオンが優しく微笑む。

 

 

こうして、一言も喋れない私の小さなブラシのプレゼントは、上級騎士を激しく感動させ、伝説の黒竜に「中に何かが仕込まれた恐怖の魔導兵器」と盛大に勘違いされながら、ノーダメージでエルフの森の奥へと賑やかに進んでいくのだった――。

 

 

 

 



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