【第14話】神話の大蛇
「――というわけなんだ、さくらちゃん!どうか、どうかお願いできないかい!?」
王都での大騒動から数日。
ミラノの街に戻ってきた私を待っていたのは、行きつけの大衆食堂のおじさんからの、涙ながらの懇願だった。
おじさんの話によると、食堂の看板メニューである「激辛魔獣カレー」に欠かせない幻の調味料「激炎岩塩」が底を突いてしまったらしい。
それが採掘できるのは、街の近くにある「黄昏の洞窟」。
しかし最近、その洞窟に凶悪な魔獣が住み着いてしまい、採掘師たちが誰も近づけなくなってしまったという。
(うう……いつも大盛りカレーをサービスしてくれるおじさんの頼みだもん、断れないよぉ……。でも、凶悪な魔獣って響きがすでに怖い……!)
私が恐怖と緊張で喉を詰まらせ、何も言えないまま小さく固まっていると、私の前に立つおじさんは急に顔を紅潮させ、その場にガタバシと五体投地した。
「お、恐れ入りました……っ! 王都で『新たなる魔王』と恐れられたさくら様にとって、洞窟の魔獣など、わざわざ言葉を発して語るまでもない『雑魚』だということですね! その不敵な沈黙、まさに絶対強者の余裕……! 命を賭して幻の調味料をプロデュースしてくださるその御心、一生忘れません!」
(違うのーーー! 普通に魔獣が怖くてフリーズしてるだけだし、プロデュースなんて大層なことしてないからおじさん立ってぇぇぇ!!)
安定の勘違いシステムによってクエストを受注させられてしまった私は、「黄昏の洞窟」へと向かう羽目になったのだった。
カチ、カチ、と薄暗い洞窟の中に足音が響く。
私の右側を歩くのは、黒いマントを不機嫌そうに揺らしている古竜のヴォル。
「チッ……。おい金ヅラ。なんでお前まで当然のようにここに付いてきてんだよ。引き立て役なら、外の馬の世話でもしてろ」
「フン、当然のことです、トカゲ」
私の左側を歩くのは、純白の甲冑をこれみよがしにキラキラと輝かせている上級騎士レオン。
「私はさくらさんの『紳士』ですからね。薄暗い洞窟の悪路から、さくらさんの美しく高潔な足元を警護するのは私の義務です。さあ、さくらさん、こちらへ。そこのトカゲの通った跡は埃っぽいですから、私の歩いた綺麗な側をお通りください」
「誰が埃っぽいトカゲだ。消し炭にするぞ金ヅラ」
「やってみろトカゲ。さくらさんの前で貴様の野蛮さを暴いて差し上げよう」
(ひ、ひえええ……。二人とも、洞窟に入ってからずっとこの調子だよぉ……)
二人は私を真ん中に挟んで、バチバチと視線で火花を散らしている。
そんな中、私の頭の上では、ぷに丸が「きゅぴ〜〜〜?」とマイペースに私の髪をぷにぷにと踏み荒らしていた。
緊迫感は皆無である。
「さくらさん、足元が暗くて危険です。さあ、私の手をどうぞ」
レオンがすっと、白い手袋に包まれた美しい手を差し伸べてくる。
その態度はどこまでも紳士的で、王子様そのものだ。
「おい待て金ヅラ、さくらの手を握っていいのは俺だけだ!」
ヴォルが慌てて反対側から私の服の袖をグイッと引っ張る。
レオンの優しくも過保護な振る舞いと、ヴォルの独占欲に挟まれて、私の右腕と左腕は交互に引っ張られ、まるでスルメのように引きちぎられそうになっていた。
(二人とも優しくしてくれるのは嬉しいんだけど、引っ張る力が強すぎて普通に痛いよぉぉぉ!あとレオンくん、脳内で『ああ、さくらさんはあえてどちらの手も取らないことで、私たちに平等という名の慈悲を与えてくださっている……!』とか都合のいい勘違い受信させないでぇぇ!!)
二人の醜い争奪戦が最高潮に達した、その時だった。
「――シャァァァァァァァァァァァッ!!!」
洞窟の奥から、空気をビリビリと震わせるような激しい威嚇音が響き渡った。
現れたのは、部屋一つが丸ごと埋まるほどに巨大な、漆黒の鱗を持つ大蛇の魔獣。
自らの尻尾を咥えたような奇妙な文様を全身に宿す、神話級の妖蛇――「ウロボロス」だった。
「出たな、洞窟の主……!さくらさん、下がってください!この騎士レオン、命に変えても貴女を――」
「すっこんでろ金ヅラ、これくらいのミミズ、俺の炎で一瞬で――」
二人が武器を構えた瞬間、私の固有スキル「万物同調」が、目の前で「シャァァァ!」と凶悪に牙を剥いているウロボロスの脳内から、強烈な「本音」を強制受信した。
『(あ、あだだだだだだだ……! 冷える! この洞窟、底冷えが酷すぎて尻尾の先までキンキンに冷えてやがるよぉぉぉ!!)』
(え、ええっ!?)
『(私は神話級の魔獣だけどさぁ! 生まれつきの極度の冷え性なんだよ!誰か……誰か私を湯たんぽみたいに温めてぇぇ!寒すぎて身体の節々が痛くて、あたたまる場所を探して暴れてたら、なんか人間たちに凶悪な魔獣扱いされて巣を追われそうだし!もう嫌だ、お家に帰ってコタツに入りたいよぉぉぉ!!)』
大蛇のウロボロスは、大迫力でとぐろを巻いているように見えて、実は寒さで全身をガタガタと震わせて小さくなろうとしているだけだった。
涙目で悲痛な叫びを上げている大蛇を見て、私はすっかり同情してしまった。
前世の冬の朝、布団から出られなくてガタガタ震えていた自分を見ているような親近感が湧いてしまったのだ。
(かわいそうに……。そっか、ただ温まりたいだけなんだね……)
私は恐怖を忘れ、大蛇のウロボロスをじっと見つめた。
声は出ない。
でも、なんとかしてこの可哀想な蛇さんを温めてあげたい。
私は隣にいる、最強の火の使い手であるヴォルの服の裾を、ツンツンと必死に引っ張った。
そして、ヴォルの顔と、寒さで震えるウロボロスの姿を、交互に何度も見つめる。
言葉にできない代わりに、両手を合わせて「おねがい」のポーズを作り、火が燃え上がるジェスチャーをした。
(ヴォルくん、お願い! あの蛇さん、すごく寒がってるから、弱めの優しい火で、ふんわりと温めてあげて……!)
私の必死な「おねだり」のジェスチャーを見た瞬間、ヴォルはハッと息を呑んだ。
その顔が、みるみるうちに耳の裏まで真っ赤に染まっていく。
「な、何だよその目は……!」
ヴォルはふいっと顔を背け、ソワソワとマントを握りしめた。
彼の脳内からは、案の定、超ド級のツンデレ本音が大洪水のように溢れ出ていた。
『(う、うわああああああ! さくらがあのうるうるした目で俺におねだりしてきたァァァ! 「あのミミズを、あなたの極上の炎でじっくり焼き殺して、私への献上品にしてください」ってことだな!? お前のためなら、世界の果てまで焼き尽くしてやるよクソぉぉぉぉぉ!!)』
(違う! 焼き殺さないで! 弱めの優しい火って言ってるのーーー!!)
ヴォルが慌てて魔力を練り始めると、それを見ていたレオンが、大いなる悟りを開いたような顔でガタガタと震え出した。
「……そ、そうか!分かりました、さくらさん!」
レオンは私の前に跪き、感動に打ち震える青い瞳で私を見上げた。
「貴女は言葉を使わず、その美しき視線だけで私に作戦を指示してくださったのだ!『あのトカゲの炎で敵の動きを牽制し、その隙に私の雷でトドメを刺しなさい』と……!なんという完璧な陣形の構築。私をそれほど信頼してくださっていたとは……!このレオン・ハルバート、さくらさんの期待に全力で応えてみせましょう!」
(レオンくん、勝手に難解な作戦を脳内補完しないでぇぇぇ!! トドメ刺したら死んじゃうから! ただ温めたいだけだってば!!)
「おい金ヅラ、邪魔すんじゃねえ、さくらの命令を実行するのは俺だ!」
「いいえ、さくらさんの無言のオーダーを完璧に遂行するのはこの私です、トカゲ!」
二人は同時に魔力を解放した。
ヴォルから放たれたのは、ウロボロスを包み込むような、ふんわりとした黄金色の暖かな火炎の波。
そしてレオンは、長剣を地面に突き刺し、じんわりと空間全体を温めるような、微弱な「電気毛布」並みの優しい電撃の檻を周囲に展開した。
二人とも、さくらちゃんの前でいいところを見せようと、奇跡的な魔力コントロールで「超高効率の即席ファンヒーター」を作り出したのだ。
ゴオオオオ……、バリバリバリ……。
暖かな熱気と、心地よい電気のピリピリ感が、洞窟の寒気を一瞬で吹き飛ばしていく。
直撃を受けた大蛇のウロボロスは、最初は「ひえっ!? 殺される!?」と身構えたものの、次の瞬間、その大きな黄色い目を限界まで見開いた。
『(ほ、ほわああああああああんん……!!!あったかい……!何これ超あったかい!!尻尾の先まで血流がドクドク巡っていくのが分かるよぉぉ!極楽じゃ、ここは天国の温泉街じゃぁぁぁ……!!)』
あまりの気持ちよさに、ウロボロスは完全に骨抜きになり、床にでろ〜んと紐のように伸びてしまった。
そして、ふにゃふにゃになった身体のまま、私の足元にのそのそと擦り寄ってくると、大きな頭を私の膝に「すりすり」と猫のように押し付けて甘え始めた。
(ええっ、懐いちゃった……!)
「きゅぴ〜〜〜ん!」
頭の上のぷに丸も、大蛇の頭の上にポヨンと飛び移り、「ぼくの特等席!」と言わんばかりに一緒になって温まっている。
「……なっ!?」
レオンは、剣を構えたまま完全に硬直した。
「神話級の妖蛇ウロボロスが、牙を折られ、魔力を奪われることもなく……ただ、さくらさんの『無言の威圧』と私たちの魔力に圧倒され、完全に奴隷として軍門に降ったというのか……。……信じられない。これほどの調伏の儀を、一言の呪文もなしに成し遂げるなんて。さくらさん、貴女の支配力は、やはり神の領域だ……!」
(違うよぉ!ただの冷え性が治って懐いてくれただけだよぉぉぉ!!)
『(ああ……この一言も喋らない黒髪の人間こそ、我が命の恩人、いや、我が『太陽の女神』だ……! これからはこの洞窟の塩、全部あなたに貢ぎますぅぅ!)』
ウロボロスは尻尾を器用に動かすと、洞窟の奥から、キラキラと輝く特大の『激炎岩塩』の塊をゴロゴロと転がして、私の前に丁寧に並べた。
食堂のおじさんが欲しがっていた幻の調味料だ。
(あ、調味料……!)
こうして、一言も喋れない私のおねだりは、王国最強の騎士と伝説の竜を「最高級の暖房器具」として使いこなし、神話級の魔獣をノーダメージで完全に従えてしまうのだった――。




