【第12話】メクラファイザー戦
地下忘却迷宮の最下層。
その奥闇から現れたのは、これまでの魔物とは格が違う、圧倒的な質量を持った『化け物』だった。
全長は十メートルを優に超え、漆黒の硬質なウロコに覆われた四足歩行の巨躯。
頭部には禍々しい数本の角が生え、背中にはコウモリのような巨大な翼を畳んでいる。
かつてこの世界を恐怖に陥れ、聖剣の力によって数千年もの間、この地の底に封印されていたという伝説の古竜。
その名は――神話級魔獣『メクラファイザー』。
その巨大な二つの紅い眼光が、冷酷に私たちを見下ろした。
「グルルルルル……。数千年ぶりの、新鮮な肉の匂いだ。我が眠りを妨げる愚者どもよ、すべてを喰らい、世界を再び闇で満たしてやろう……!」
地響きのような、重低音の咆哮。
それだけで周囲の壁にピキピキと亀裂が走り、普通の冒険者ならその威圧感だけで気絶するレベルのプレッシャーだった。
(どうしよう、怖いよぉ……!!)
次の瞬間、メクラファイザーの巨躯が、かき消えるようにその場から消えた。
(――えっ、速い……!?)
巨体に似合わぬ圧倒的な『瞬足』。
目にも留まらぬ速度で、メクラファイザーが私たちの目の前へと肉薄してくる。
「きゅぴーっ!!!」
そこに、マスコット「ぷに丸」が果敢にも突っ込んでいった。
しかし、メクラファイザーがただ風を切って通り過ぎただけの風圧に巻き込まれ――。
――ベシッ!!
「ぷきゅあぁぁぁぁぁん!?」
ぷに丸は、ミラノの危機と同じく見事な放物線を描きながら、迷宮の闇の彼方へと弾き飛ばされていった。
星になったかのように、キラーンと光って消えていく。
(ぷ、ぷに丸、また飛ばされたーーーー!?)
「フハハ、いい速度だ! だが、俺の炎から逃げ切れると思うなよ!」
ヴォルが両手に禍々しい紅蓮の炎を灯し、好戦的に笑う。
ヴォルは次々と巨大な火炎弾を放ち、メクラファイザーを迎え撃った。
しかし、敵の速度はあまりにも異常だった。
残像を残しながらジグザグに動き回るメクラファイザーに対し、ヴォルの炎の魔法は掠りこそすれ、なかなかクリーンヒットしない。
「チッ、チョロチョロと……! 捉えきれんか!」
あのヴォルが、珍しく攻めあぐねて表情を歪めている。
もちろん、私も例に漏れずカチコチに固まっていた。
怖すぎて、喋れないどころか指一本動かせない。
完全に彫刻のようになって、涙目になりながら戦場を見つめる。
(ど、どうしよう……!何か手はないかな……?!)
すると、私の『本音強制受信』のスキルは、そんな戦場を縦横無尽に駆け回る、恐怖の神話級魔獣の脳内から、驚愕のメッセージを爆音で受信し始めた。
『(……あだだだだだだ!!! 腰! 腰が痛ええええええ!!!)』
(……えっ!?)
『(ちょっと待って、数千年もこんなゴツゴツした岩場の上で、丸まった姿勢で寝てたからさぁ! 背骨が完全に固まっちゃってるわ! 痛てててて! あ、今ジグザグにステップ踏んだらミキミキッて嫌な音した! ギックリ一歩手前だわこれ!!)』
(こ、これは……お、おじいちゃんだーーーー!!! 脳内が完全に、起きたてのおじいちゃんのそれだよ!!)
メクラファイザーは、表向きは「グルルル……」と恐ろしく唸りながら残像を残して動いているが、その本音は絶叫に近かった。
『(アカン、首も完全に寝違えとるわ! 右側が全く向けん! だから左側にしかステップが踏めないの! なのにあの黒マントの男、わざわざ俺の右側を狙って火球を投げてきやがって! 避けるために無理に腰をひねったら、ヘルニアが再発しそうだわ!! 暴れるどころじゃねえんだわ、誰か湿布貼ってぇぇぇ!!!)』
(見た目とのギャップが凄すぎる!! 誰が世界を闇で満たすクオリティの寝違え方してんの!?)
喋ることはできない。
でも、このままヴォルとメクラファイザーが戦い続けたら、この腰痛持ちの黒竜おじいちゃんはギックリ腰で本当に崩壊してしまう。
私はカチコチの身体のまま、すぐ隣で次の魔法を構えようとしているヴォルの服の裾を、ぎゅっと引っ張った。
「あぁ?!何だよっ!?」
そして、私はメクラファイザーを指差し、次に自分の身体を指差してから、上に向かってひょいっと手を動かす。
(お願いヴォルくん! 私をあの子のところまで飛ばして!)
喋れない私の、必死のジェスチャーによる「おねだり」。
しかし、これを見たヴォルは、なぜか動きをピタリと止め、その顔を瞬く間に真っ赤に染め上げた。
黒い炎がポフンと情けない音を立てて消える。
「さ、さくら……お前……。俺に、お前の身体を、抱き上げて……その、触るっ、のか……!?」
(そこ!? 動揺するポイントそこなの!?)
ヴォルは、かつて魔境を統べた最凶の魔物とは思えないほど純情に動揺していた。
目を泳がせ、手をソワソワとさせながら、脳内で凄まじい大パニックを起こしている。
『(ば、バカな……! この俺が、さくらの神聖な肉体に触れるだと……!? いや、これは相棒の命令、断るわけには……しかし、どの位置をホールドすれば失礼に当たらないのだ!? 腰か!? 背中か!? ああぁぁ緊張で魔力が暴走しそうだ……!)』
(いいから早くして! おじいちゃんの腰の寿命が尽きちゃう!!)
「くっ、致し方なし……! 失礼するぞ、さくら!」
ヴォルは意を決したように、顔を真っ赤にしたまま、私の脇の下に両手を差し入れてひょいっと抱き上げた。
そして、彼の脚力と風の魔力を組み合わせ、メクラファイザーの頭上に向けて、私をダイナミックに放り投げた。
「行けぇぇ、さくらーーーっ!!」
(わあぁぁぁぁぁぁぁ!!! 高いーーーー!!!)
空中へと打ち上げられた私は、放物線を描きながら、残像を残して激しく動くメクラファイザーの真上へと落下していく。
そして、たまたま動きを止めた瞬間の、メクラファイザーの巨大な右肩のウロコの上に見事な着地を決めた。
「ぶふっ!?」
『(ほげぇ!? なんだ、何が俺の右肩に乗った……!? 新手の空中暗殺術か……!?)』
(違うよぉ! 飛び乗っただけなの!)
私は恐怖で涙目になりながらも、着地した拍子に両手が触れた、メクラファイザーの巨大な前足の付け根――人間でいう「肩」のあたりを、必死に押し始めた。
カチコチに固まった私の身体は、今や全体が適度な重石のようになっており、私の両手は、心を込めて、その硬いウロコの上からリズミカルに動き始める。
トントン、トントン、トントン。
空中からの、決死の『肩たたき』だった。
「…………? グル……?」
メクラファイザーが呆然とした声を漏らす。
次の瞬間、その脳内から、一瞬で至福の感情が溢れ出した。
『(……は、うあぁぁぁ……! そこ! そこ気持ちいいぃぃぃ……っ!! そこが丁度、寝違えて凝り固まってたツボなんだわぁ……! ああぁぁ、お嬢ちゃん、拳のプロペラのようなリズミカルな叩き心地、最高じゃ……)』
(よ、良かった、竜にも肩こりのツボってあるんだね!)
私が無言で「トントン、トントン」と肩たたきを続けていると、激しいステップでバキバキになっていたメクラファイザーの全身の筋肉が、みるみるうちにほぐれていくのが分かった。
『(おおお……! 首が回る……! 右側が向けるぞ……! 腰の痛みも引いていく……! なんだこの至れり尽くせりの空間は……。数千年の封印の疲れが、みるみる溶けていくようじゃ……。世界を闇で満たす? どうでもええわそんなこと……。俺はただ、静かに余生を過ごしたいだけなんじゃ……)』
(完全に戦意喪失したーーーー!!!)
こうして、地下忘却迷宮の最深部で目覚めた神話級魔獣は、私の「空中からの指圧」によって、完璧に無力化されたのだった。
「は……?!ば、バカな……っ!!」
またしても、下からからヴォルの絶叫が響き渡った。
見下ろすと、ヴォルは頭を抱えてガタガタと震えていた。
その脳内からは、過去最大級の勘違いの津波が押し寄せている。
『(お、恐ろしすぎる……! あの神話級魔獣メクラファイザーの、目にも留まらぬ『瞬足』を完全に見切り、あえて俺に自分を投げさせ、一寸の狂いもなく肩へ着地……! そして、呪文も暴力も使わず、ただ『両手を添えるだけ』の未知の暗黒術で完全に骨抜きにしやがった……!)』
ヴォルは、気持ちよさそうに目を細めて「ふにゃ〜」と寝息を立て始めているメクラファイザーと、無言で肩を叩き続ける私を交互に見つめる。
『(あの伝説の竜が、さくらの前で完全に牙を抜かれ、ただの飼い犬のように懐いている……! 喋らないのは、『お前がどれだけ速かろうが、俺の指先の指圧一つでいつでも操れる』という絶対的な恐怖の体現……! やはりさくら、お前こそが、この世のすべての魔を従える【真の魔王】だったのだな……!!)』
(違うのーーーー!!! ただの肩揉みとおじいちゃんの介護だから!!! 頼むからそのキラキラした尊敬の目で私を見ないでぇぇぇ!!!)
私が心の中で涙目で絶叫する中、メクラファイザーおじいちゃんは「恩に着るぞ、マッサージの聖女よ……」と言わんばかりに、私のポケットの中に、迷宮の秘宝を無言でポロリと入れてくれるのだった。
「きゅ、きゅぴぃぃぃぃ……」
(あ、ぷに丸、おかえり……!!)
こうして、騙されて閉じ込められたはずの忘却迷宮は、私の「無言のプレッシャー(と介護)」によって、完璧に攻略されてしまったのである。
一言も喋れない女子高校生「姫乃さくら」。
彼女の本音とは裏腹に、彼女を「真の魔王」と崇める勘違いの輪は、世界規模へと広がり始めていくのだった――。
(第二章へ続く……)




