【第11話】果てなき迷宮
「ありがとう、無口な聖女様……!」
「街を救ってくれて、本当にありがとうございました!」
ミラノの街の広場は、割れんばかりの歓声と拍手に包まれていた。
さっきまで街を破壊していた巨大な獣『ギガ・フレアハウンド』たちは、今や私の足元でゴロゴロと喉を鳴らし、完全に巨大な子犬と化してじゃれついている。
私はといえば、あまりの注目度の高さと、自分の周りを取り囲む巨獣たちのプレッシャーで、完全に身体がカチコチに固まっていた。
表情筋すらロックされ、一言も喋れず、ただ一点を見つめてフリーズしている。
だが、街の人々にはそれが「圧倒的な強者の余裕」に見えたらしい。
「見てみろ、あれだけの魔獣を従えておきながら、顔色一つ変えないぞ……」
「まさに深淵の支配者……。お労しや、神の化身様だ……!」
(違うの! プレッシャーで気絶しそうなだけだから! 拝まないで!)
そんな私の横で、ヴォルは黒いマントを翻しながら、我が物顔でふんぞり返っていた。
「ふん、当然だ。 この程度、俺の相棒であるさくらにとっては、朝の散歩の前のストレッチにすらならんわ!なあ、そうだろう?」
(ちょっと、勝手にハードル上げないでヴォルくん!!)
そんな狂乱の狂騒曲が響く広場に、一人の男が揉み手をしながら近づいてきた。
いかにも怪しげな、泥棒髭を生やした冒険者風の男だ。
男は私に向かって、これでもかとわざとらしいお辞儀をしてみせる。
「いやあ、素晴らしいお力だ! 聖女様、そして黒マントの旦那! 街を救っていただいたお礼に、我がクランが管理している『極上の特産品』が眠る宝物庫へご案内したいのですが、いかがでしょう? ぜひ、一番に受け取っていただきたく!」
男の脳内から、下品な『本音』が漏れ聞こえてくる。
『(ヘッ、街の奴らは騙せても、俺の目は騙せんぞ。この無口な女、ただ運が良かっただけのポッと出の素人だろ? 街の英雄気取りになりやがって、気に食わねえ。お礼と騙して、あの絶対に出られない『地下忘却迷宮』に連れ込んで、一生閉じ込めてやる。そうすれば、あの高そうな聖剣も俺の物だ……!)』
(うわぁ……! 脳内のセリフがテンプレート通りの悪党だ……!)
すぐに断るべきだ。
そう思ってヴォルの服を引っ張ろうとしたが、それよりも早く、ヴォルが不敵に笑って男の肩を叩いた。
「ほう、宝物庫とな? 面白い。我が主への貢ぎ物だ、最高の品を用意しているのだろうな? 案内しろ、髭もじゃ」
(あわわ、ヴォルくん、騙されてるよ! 脳内の本音、超絶ブラックだよ!?ど、どうしよう……)
私が声を大にして引き止めることもできないまま、私たちは男の先導で、街の地下へと続く怪しげな階段を下りていくことになってしまったのだった。
「――クハハハハ! まんまと引っかかりおったな、間抜けなガキどもが!」
地下へ下りて数分。
突如として、頭上のはるか高い場所から下品な高笑いが響き渡った。
気がつくと、私たちは石造りの重厚な小部屋に立っており、背後の鉄門がドゴォォォン!! と凄まじい音を立てて閉まっていた。
完全に退路が断たれている。
悪党の男は、天井の近くにある鉄格子で守られた監視用の小窓から顔を出し、勝ち誇ったように叫ぶ。
「お前らがどれだけ強くとも、この深さ数百メートルの『地下忘却迷宮』の最下層からは絶対に這い上がれまい! ここで一生、飢えと魔物に怯えながら朽ち果てるがいい、ハーーーハッハッハ――」
(やっぱり! 知ってた! でも私一言も喋ってないのに、なんでこんなに恨まれてるの……?)
私が心の中で深いため息をついていると、隣に立つヴォルが、冷え切った目で頭上の男を見上げた。
その瞳には、最凶の魔物としての「不快感」がこれでもかと詰まっている。
「おい、人間。誰の許可を得て、俺とさくらをこのようなジメジメした肥溜めに閉じ込めた? ……それに、お前のその耳障りな笑い声、非常に不愉快だ」
ヴォルが静かに右手を小窓の男に向けた。
呪文の詠唱も、魔法陣の展開もない。
ただ、彼の指先に、一瞬で超高密度の紅蓮の魔力が集束していく。
「死ねえええぇぇぇ!!『ヴォルケーノ』!!」
ヴォルが指をパチン、と鳴らした瞬間。
男がいるはるか上空の小窓の『内部』で、空間そのものが文字通り大爆発を起こした。
ドゴォォォォォォォン!!!
凄まじい爆音と熱風が地下迷宮に吹き荒れる。
(う、うわああぁあぁ!!)
遠距離の対象を、結界を無視して内部から直接爆破するヴォルの強力魔法だ。
「あちいいぃぃぃ!!! ギャァァァァァーーーッ! 髪が、俺の自慢のヒゲがあぁぁぁ植物園が燃えるゥゥゥ!!!」
男は全身を真っ黒に焦がし、「あちいいぃぃぃ!!」と叫びながら、爆風でどこかへ吹き飛んでいった。
(ヒゲだけじゃなくて植物園まで燃えたの!? どこに植物園あったの!? ていうかヴォルくん、相変わらず手加減って言葉を知らないね……!)
相変わらずの圧倒的な暴力に私が戦慄していると、ヴォルはフッと前髪をかき上げてドヤ顔を決めた。
「ふん、さくら。これしきの罠、俺たちにとってはただの児戯に等しいな。さあ、このままこの迷宮を蹂躙し、地上へ戻るぞ」
(ええっ、戻るぞって言われても、天井高すぎて登れないし、門はガッチリ閉まってるよ……!?)
出口を探して地下迷宮の奥へと進むと、少し開けた小部屋に出た。
その中央には、いかにも怪しげな、金ピカに輝く装飾が施された宝箱がポツンと置かれている。
「きゅぴーっ!!」
そこに、前回の防衛戦で弾き飛ばされたはずなのに、なぜか無傷で戻ってきたマスコット「ぷに丸」が、嬉しそうに跳ねながら近づいていった。
(あ、危ないよ……!)
「きゅぴきゅっぴーー!!」
ぷに丸は短い触手で、躊躇なく宝箱のフタをパカリと開ける。
すると。
――ガバッ!!!
「ぷきゅっ!?」
宝箱のフタの内側には、びっしりと鋭い牙が生え揃っていた。
それは宝箱に擬態して冒険者を襲う、悪名高き人喰い箱「ミミックス」だった。
ミミックスは飛び出すなり、ぷに丸の頭をガブリと勢いよく丸呑みにした。
(ひ、ひえぇぇ!? ぷに丸が食べられたーーーっ!?)
私が頭を抱えて叫びそうになった、その時。
ぐに、ぷに。むに、ぷに。
ミミックスの口の中から、何とも言えぬ奇妙な音が響いてきた。
ミミックスはぷに丸をバリバリと噛み砕こうと、必死に顎を動かしているのだが……。
『(……あれ? おかしいな。なんだこれ、めちゃくちゃ弾力があるぞ……? 噛んでも噛んでも、歯が滑って全然噛みちぎれない……。っていうか、逆に俺の顎の関節が痛くなってきた……っ!)』
ミミックスの脳内から、困惑に満ちた「本音」が聞こえてくる。
そう、ぷに丸はその名の通り、全身が究極の柔軟性を持つ『ぷにぷに』の肉体。
どれだけ鋭い牙で噛まれようが、ただ「ぷにん」と凹むだけで、一切のダメージを受けないのだ。
「ぷきゅー? ぷきゅ、ぷきゅ」
むしろぷに丸は、ミミックスの口の中で心地よさそうに身を委ねており、マッサージでも受けているかのようなリラックスした声を上げている。
『(クソッ! なんだこの吸い付くような絶妙なモチモチ感は……! 噛めない……噛めないけど、なんか癖になる……! ダメだ、これ以上噛んだら俺のアイデンティティが崩壊するぅゥゥ!)』
精神的ダメージを受けたミミックスは、ついに耐えかねたように「ペッ!」とぷに丸を吐き出した。
そして、ガタガタと震えながらその場にへなへなとへたり込んでしまう。
すると、そのミミックスの脳内から、ひどく切なくて今にも泣き出しそうな『本音』が私の脳内に直接流れ込んできた。
『(ううう……もう何百年もこの地下迷宮の底に引きこもっててさぁ……。まともなご飯なんて一度も食べたことないんだよ……。お腹が空きすぎて動けないのに、やっと引っかかった獲物は噛めないし……。ひもじいよぉ……お腹空いたよぉ……シクシク……)』
(えっ、ミミックスくん、お腹空いて動けなくなってたの!?)
人喰い箱の本音がまさかの「餓死寸前のひもじさ」だったことに驚いていると、吐き出されたぷに丸が、ミミックスの顔(宝箱の正面)の前にピョンと跳ねて移動した。
ぷに丸はミミックスの様子をじっと見つめ、その不思議な目から、私と同じようにミミックスの『本音』を察したようだった。
「ぷきゅ……(そっか、君はお腹が空きすぎて動けないんだね……)」
すると、ぷに丸の脳内から、驚くほどシリアスで壮大なBGMが流れてきそうな『本音』が響いてきた。
『(可哀想なミミックス……。僕たちを襲ったのは許せないけど、飢えに負けて倒れる姿は見過ごせない。僕の命にかえても、この子を救ってみせる……!)』
(え? ぷに丸、何を言って――)
『(さあ、食べて、ミミックス! 僕をちぎって! 僕はスライムだから、体の一部を分け与えても、寝れば元に戻るんだ! だから、躊躇わずに僕を食べて生き延びてくれぇぇぇ!!!)』
ぷに丸は、涙を流すようなモーションをしながら、自分の体の一部を「ぷちんっ」とちぎり、一口サイズのみずみずしいゼリーのような塊をミミックスの口元に差し出した。
(いや、アンパンを分ける正義の味方みたいなノリで『僕をちぎって!』って言われても!? ていうかミミックスくん、さっきそれ噛めなかったやつだよ!?)
しかし、差し出されたぷに丸の切れ端からは、なぜかものすごく美味しそうなマスカットのような甘い香りが漂っている。
飢えていたミミックスは、その切れ端を弱々しくペロリと口の中に吸い込んだ。
ちぎられたゼリー状の切れ端なら、噛まなくてもそのままツルンと飲み込めるらしい。
『(――!? う、美味い……っ!!!)』
ミミックスの目が輝いた。濃厚な甘みと魔力が喉を通った瞬間、ガタガタだった宝箱のボディにみるみる艶が戻り、ものすごい勢いで元気が回復していく。
「ぷ、ぷきゅー……(ミミックスが、僕を食べてくれた……。これで僕の魂は、君と一つに……)」
ぷに丸は、自分がちょっとちぎられただけなのに、完全に「世界を救って消えゆく相棒」のような満足げな顔で虚空を見つめている。
(いや、死んでないから! 普通に生きてるからそれ! でもミミックスが元気になってよかった!)
「ふん、敵に助けられて、みっともない奴だな」
『(これが愛の物語かッ……!悪くはねえな……!!)』
一連を見ていたヴォルは、せせら笑いつつも、ぷに丸の行動に感銘を受けた。
ミミックスが「美味しかったですぅ!」と言わんばかりに尻尾のようにフタをパタパタさせて喜んだ、その時だった。
「うん……?」
傍らで腕を組んでいたヴォルが、急に険しい表情になって迷宮の奥を睨みつけた。
「……さくら、気づいたか? ……魔力の流れが、明らかに変だ」
ヴォルの言葉に、私も周囲の空気に意識を向ける。
確かに、迷宮の奥底から地響きのような、悍ましい(おぞましい)「波動」が伝わってくるのが分かった。
それは、先ほどのミミックスや、ヴォルの放つ魔力とは全く異質の――底知れない「悪意」と「飢餓」に満ちた、不吉な魔力だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!!
迷宮全体が、まるで怯えるように大きく揺れ始める。
(わ、わあ、怖いよぉぉ……!!)
壁の石材がパラパラと崩れ落ち、最下層の奥深くから、ドクン、ドクン、と巨大な心臓の鼓動のような音が響いてきた。
私の脳内に、その『何か』の圧倒的な本音が、暴力的な質量となって直接流れ込んでくる。
『(……肉……。数千年ぶりの、新鮮な、肉の匂いがする……。目覚めの時だ……。すべてを喰らい、世界を闇で満たしてやろう……!)』
(な、何これ……!? 意識が引っ張られそうになるくらい、ヤバい本音が聞こえる……っ!)
どうやら、聖剣が抜けた影響、あるいは今のヴォルの大爆発の衝撃によって、この迷宮の最深部に封印されていた『本物のヤバいやつ』が、数千年の眠りから目覚めてしまったらしい。
「ハッ……! 面白い。どうやらこの肥溜めの奥には、少しは骨のある虫ケラが眠っていたようだな!」
ヴォルは恐怖するどころか、狂気に満ちた好戦的な笑みを浮かべ、拳をパキパキと鳴らす。
元気になったミミックスは恐怖でフタをガチガチと鳴らして私の背後に隠れた。
しかし、私のカチコチセンサーは、過去最大級の警報を鳴らしていた。
今度の敵は、ボール遊びで懐いてくれたり、ぷに丸を食べて大人しくなるような甘い相手では、絶対にない。
(いやいやいや! 笑ってる場合じゃないよヴォルくん! 完全にラスボスクラスの化け物が起きちゃったじゃん!! 誰か私を、今すぐお家に帰してぇぇぇぇ!!!)
私の声にならない絶叫が地下迷宮に響き渡る中、奥闇から二つの巨大な紅い眼光が怪しく光を放ち、私たちを捉えた――。




