第89話 短くなった一本の脚
ユウが窓際の寸法を測り直したのは、朝食を終え、食器を片づけたあとだった。
東向きの窓から差し込む光が床に細長い四角を作り、その端が卓の脚にかかっている。窓の下には本を置けそうな空間があるものの、実際に木の台を置くとなれば、窓を開けるときの邪魔にならないか、普段歩く場所を狭くしないかまで考えなければならなかった。
卓には、ベルから借りた目盛り付きの木の棒と、昨日描いた簡単な図が置かれていた。ユウは床にしゃがみ、窓の下から卓までの距離を測ると、紙に書いた数字をもう一度確かめた。
「……昨日より狭くなってるわけじゃないよな」
もちろん、部屋の幅が一晩で変わるはずはない。昨日は壁から卓の端までを測ったつもりだったが、今朝は卓の脚が少し内側に入っていることに気づき、どこを基準にするかで数字が違っていた。
ユウは窓の開閉を試し、椅子を引いたときの足元も確認した。
大きな台を作る必要はない。読みかけの本と、木工の練習に使っている木片が置ければ十分なのだから、無理に広い天板を作るよりも、使いやすい大きさに収めた方がよさそうだった。
(自分で使うものなんだから、見栄を張る必要もないか)
以前の仕事では、何かを作ったり改善したりするとき、周囲からどう評価されるかを気にしていた。便利だと言ってもらえるか、余計なことをしたと思われないか、作業に費やした時間を説明できるかと、完成する前から考えることがいくつもあった。
今度の台は違う。
誰かに提出するものでもなければ、施設の備品として使うものでもない。自分が暮らす家の窓際に置き、自分が使うための小さな家具だった。
それでも、使う以上は安全で、簡単には倒れないものにしたい。
ユウは昨日の図へ数字を書き直し、紙を持って立ち上がった。
今日はベルに相談しながら、実際に木を切るところまで進めてみるつもりだった。
◇
マーサの家では、エレナが朝食の片づけを終え、洗った器を布で拭いていた。
卓の端には、以前エレナが口を縫い直した豆袋が置かれている。今朝もマーサが中から豆を取り出していたが、補強した部分が緩む様子はなく、エレナは器を片づける途中で何度かそちらへ目を向けていた。
「気になるなら、あとで見てごらん。使ってるうちに糸が緩むこともあるからね」
マーサに声をかけられ、エレナは少し照れた。
「何度も見てしまって、すみません。きちんと使えているのが嬉しくて」
「謝ることじゃないよ。自分で直したものが役に立ってるんだから、気になるのは当たり前さ」
マーサは器を棚へ戻しながら、穏やかに笑った。
「ただ、気にしすぎて袋を引っ張ったりしないようにね。使うために直したんだから、普通に使って確かめればいいんだよ」
「はい。気をつけます」
エレナは最後の器を拭き終え、布を広げて乾かした。
昨日、ユウは小さな台の図を見せてくれた。窓際に置くためのもので、まだ木を切ってはいないが、天板と脚の位置を考え、使う材料も決め始めているという。
エレナは、その図を思い出していた。
完成したら見せてもらう約束をしたあと、途中でも見せてほしいと伝えた。ユウは少し驚いた顔をしたものの、最後には笑って頷いてくれた。
(今日は、木を切るのでしょうか)
ベルの都合がよければ作業を進めると話していたから、朝から作業場へ行っているかもしれない。
エレナは窓の外へ目を向けた。
村の道は昨日より乾いており、遠くではガルドが畑の周囲を歩いている。東の森の方角は家々の向こうに隠れていたが、今朝は警戒線の音も聞こえていなかった。
「マーサさん、今日は少し外を歩いてきてもよろしいですか?」
「もちろんさ。昼までに戻るなら、何か持っていってもらうものもないよ」
「ありがとうございます。ユウさんの作業が進んでいたら、少し見せてもらいたいと思って」
マーサは手を止め、エレナを見た。
「見に行くのはいいけど、刃物を使ってるときは近づきすぎないようにね。ベルもユウも、手元を見ながら話すのは難しいだろうから」
「はい。邪魔にならないようにします」
「それなら行っておいで。あたしは昼の支度を始めておくよ」
エレナは礼を言い、家を出た。
ユウが作業をしているなら、何を作っているのか見たい。
まだ始めていないなら、少し話せればそれで嬉しい。
以前なら、相手の予定を確かめずに訪ねることをためらっていただろう。今でも遠慮がなくなったわけではないが、都合が悪ければそう言ってもらえると、少しずつ思えるようになっていた。
◇
ベルの作業場には、木材を削ったときの乾いた匂いが漂っていた。
ユウが到着すると、ベルは作業台の上に昨日選んだ板を並べていた。天板に使う二枚の板と、脚にするための細長い木材が四本あり、それぞれに薄く印がつけられている。
「おう、来たな。家の寸法は確かめたか?」
「うん。昨日の数字を少し直した。窓の下に置くなら、こっちの方がよさそう」
ユウが紙を広げると、ベルは作業台の端へ寄せて図を眺めた。
「昨日より幅を狭くしたのか。置き場所に合わせたなら、それでいいだろう。ただ、天板を狭くするなら脚の位置も考え直さないとな」
「脚を端につければいいと思ってたけど、違う?」
「端に寄せすぎると木が割れやすくなるし、内側に寄せすぎると置いたものによっては倒れやすい。大した重さを載せないとしても、そこはきちんと決めておけ」
ベルは短い板を持ち上げ、脚を取り付ける位置を指で示した。
ユウはその説明を聞きながら、紙へ新しい線を書き足した。図だけでは分からなかった部分も、実物の板を並べると少しずつ理解できる。
「木を切る前に、こんなに考えることがあるんだね」
「切ったあとで考えてもいいことはあるが、長さだけは戻せんからな。特に脚は揃ってなきゃ困る」
ベルは四本の木材を並べ、端を揃えて見せた。
「これを同じ長さにする。印をつけるときも、切るときも、何を基準にしてるか忘れるなよ」
「分かった。まず一本ずつ測ればいいんだね」
「そうだが、同じ長さのものを四本作るんだから、最初の一本を切ったあとに、それを基準にする方法もある。ただし、最初の一本が間違ってたら全部間違うぞ」
ベルの言葉に、ユウは苦笑した。
「それは困るな」
「だから確かめるんだ。急ぐ仕事じゃないんだからな」
ベルは鋸を取り出し、刃の状態を確認してからユウへ渡した。
以前にも簡単な木の加工を教わっていたが、寸法を揃えて部品を作るのは初めてだった。練習用の木片を削るときとは違い、今回は切り落とした部分を戻せない。
ユウは少し緊張しながら、最初の木材を作業台へ置いた。
ベルに教わったとおり、切る位置を確認してから木材を固定する。
鋸を動かすと、乾いた音とともに細かな木屑が落ち始めた。
最初は刃がうまく進まず、力を入れすぎそうになったが、ベルに手の動きを直されると、少しずつ滑らかに切れるようになった。
「押すことばっかり考えるな。刃が進む向きを感じろ」
「……こう?」
「さっきよりいい。焦らず、そのまま続けろ」
ユウは呼吸を整え、木材を最後まで切った。
切り終えた一本を手に取ると、断面には少し荒い部分が残っていたが、長さはおおむね印どおりになっているように見えた。
「できた」
「まだ一本だぞ。切り口もあとで整える必要がある」
「分かってるけど、ちょっと嬉しい」
ユウが笑うと、ベルも口元を緩めた。
「それなら、残りも慎重にやれ」
ユウは頷き、二本目の木材を手に取った。
◇
エレナが作業場へ着いたとき、ユウは二本目の脚を切り終えたところだった。
ベルが先にエレナへ気づき、鋸を置くようユウへ声をかけた。
「ユウ、客だぞ。刃物を持ったまま振り向くなよ」
ユウは手元を片づけてから顔を上げた。
「あ、エレナさん。こんにちは」
「こんにちは。作業中にすみません。少しだけ見せていただいてもよろしいですか?」
「もちろん。今、脚を作ってるところなんだ」
ユウは切り終えた二本を並べて見せた。
エレナは作業台から少し離れた位置に立ち、木材へ目を向けた。
「同じ長さに見えますね」
「一応、測って切ったからね。でも、まだ二本しかできてない」
ベルは二本を手に取り、端を揃えて確認した。
「今のところ大きな違いはないな。次も同じようにやればいい」
エレナは木材の断面を眺めた。
昨日までは紙の上に描かれていた台が、今日は実際の木材として形を持ち始めている。
まだ天板も脚も組み合わされていないが、図を見たときとは違う実感があった。
「少しずつ形になっているのですね」
「うん。思ってたより難しいけど、楽しいよ」
ユウはそう言って、三本目の木材を手に取った。
エレナは邪魔にならないよう、ベルが示した場所へ移動した。そこなら作業台の様子が見え、木屑が飛ぶ位置からも離れている。
ユウは最初の一本を基準にして長さを確かめ、木材へ印をつけた。
そのとき、ベルは別の板の状態を確認していた。
ユウは印を見つめ、鋸を当てる位置を決めた。
(ここで切れば、同じ長さになるはずだ)
最初の二本がうまくいったことで、少し気持ちが軽くなっていた。
刃を動かす手にも慣れてきた気がする。
木材を固定し、鋸を引く。
乾いた音が何度か続き、三本目の脚が切り離された。
ユウは鋸を置き、切った木材を二本の隣へ並べた。
そこで、手が止まった。
「……あれ?」
端を揃えると、三本目だけがわずかに短かった。
目で見ても分かるほど大きな違いではない。
けれど、指で端をなぞると、確かに段差がある。
ユウはもう一度並べ直した。
結果は変わらなかった。
「ベルさん、ちょっと見てもらっていい?」
声をかけられたベルは、手にしていた板を置いて近づいた。
「どうした?」
「三本目だけ短くなった。印は合わせたつもりだったんだけど」
ベルは木材を持ち上げ、切り口と印の位置を確かめた。
「なるほどな。どこへ鋸を当てた?」
「印の上……だと思う」
「印のどっち側だ?」
ユウは答えようとして、口を閉じた。
印の上に刃を当てたことは覚えている。
けれど、残す側の木材と切り落とす側の木材を意識していたかと聞かれると、自信がなかった。
ベルは鋸の刃を横から見せた。
「鋸で切れば、刃が通った分だけ木がなくなる。印をつけたところへ刃の真ん中を通したら、その分だけ短くなることがあるんだ」
ユウは三本目の切り口を見た。
印の一部は、切り落とした側へ消えている。
最初の二本では、残す側に印が残るよう刃を当てていたのに、三本目ではその確認を忘れていた。
「……やっちゃった」
口に出した瞬間、胸の奥が少し重くなった。
ほんのわずかな違いだ。
材料も、今すぐ取り返しがつかなくなるほど貴重なものではないのかもしれない。
それでも、せっかく教わったことを守れなかったという感覚が、予想以上に強く残った。
(ちゃんと確認してれば、こんなことにはならなかったのに)
ユウは短くなった木材を握り直した。
以前の職場で何かを間違えたとき、頭に浮かんでいた言葉が蘇る。
どうして確認しなかったのか。
次から気をつけるだけでは済まないのではないか。
誰かに迷惑をかける前に、自分で何とかしなければならない。
そうした考えが、今も身体のどこかに残っているのだと気づいた。
「ユウ」
ベルに呼ばれ、ユウは顔を上げた。
「まず、その木を置け。握ったまま考えても長くはならん」
「……うん」
ユウは三本目の脚を作業台へ置いた。
ベルは怒っていなかった。
ただ、四本の木材を並べられる場所を空け、落ち着いた声で尋ねた。
「さて、どうする?」
ユウは少し考えた。
「新しい木を切り直す……かな」
「それも一つの方法だ。ほかには?」
「短くなった一本に合わせて、残りも切る?」
「そうだな。ただし、最初に決めた高さから変わる。台として使えるかどうかは、もう一度確かめる必要があるぞ」
ユウは図へ目を落とした。
窓際へ置くために決めた高さには、多少の余裕がある。
けれど、短くなった分を揃えればよいと即断するのは、また確認を飛ばすことになる。
「……今日は、ここで一回考えたい」
ユウが言うと、ベルは頷いた。
「それでいい。失敗した木を隠しても仕方ないし、慌ててもう一本切ったところで、うまくいくとは限らんからな」
エレナは二人の会話を聞きながら、作業台の上を見つめていた。
自分には、どの方法が正しいのか分からない。
けれど、ユウが失敗したことは分かった。
そのとき、エレナの胸に浮かんだのは、残念だという気持ちよりも、ユウが少し苦しそうな顔をしたことへの心配だった。
◇
ベルが道具を片づけ始めると、ユウは切った木材を並べ直した。
二本は同じ長さ。
三本目は、それより少し短い。
四本目はまだ切っていない。
目の前にあるのは、ただそれだけの状態だった。
けれど、ユウは三本目からなかなか目を離せなかった。
「ユウさん」
エレナが声をかける。
「少し、お話ししてもよろしいですか?」
「うん。どうしたの?」
エレナは作業台へ近づきすぎない位置で立ち止まった。
「先ほどの木材は、もう使えないのですか?」
「いや、そういうわけじゃないと思う。長さを揃え直す方法もあるし、別のところに使えるかもしれない」
「では、失敗したからといって、すべて無駄になったわけではないのですね」
ユウは短い木材を見つめた。
「そうだね。ただ、せっかくベルさんが用意してくれた木だったから、ちょっと申し訳なくて」
エレナはすぐには答えなかった。
その代わり、ベルへ目を向けた。
「ベルさんは、困っていらっしゃいますか?」
ベルは片づけていた道具を棚へ置き、振り向いた。
「俺か? 別に困っとらんぞ。木を一本短く切ったくらいで、村の家が一軒倒れるわけでもない」
ユウは思わず苦笑した。
「そこまで大げさな話じゃないのは分かってるけど」
「分かってるなら、まず何が困るのか考えろ。材料が足りなくなったのか、予定の高さにできなくなったのか、それとも単にお前が悔しいだけなのか。それぞれ話が違うだろ」
ベルの言葉に、ユウは黙った。
確かに、今の自分は三つのことを一緒に考えていた。
木材を短く切った。
予定どおりの台にならないかもしれない。
そして、失敗した自分が嫌だった。
その全部を、ただ「失敗した」という一言に押し込めていたのかもしれない。
(悔しいんだな、俺)
ユウはようやく、自分の気持ちをはっきり認めた。
ベルに怒られることが怖いわけではない。
エレナに格好悪いところを見せたくない気持ちも、少しはある。
けれど、それ以上に、最初の二本がうまく切れたからこそ、三本目もできると思っていた。その期待が外れたことが悔しかった。
「……うん。悔しいのはあると思う」
ユウが言うと、ベルは小さく頷いた。
「なら、悔しいままでいい。ただし、その気持ちで次の木を切るなよ。手元が雑になる」
「分かった。今日はもう鋸を使わない」
ベルはそれを聞いて、残りの木材を作業台の奥へ移した。
エレナは少し安心したように息を吐いた。
ユウはその様子に気づき、彼女へ向き直った。
「ごめん。せっかく見に来てくれたのに、途中で止まっちゃった」
エレナは首を横へ振った。
「私は、ユウさんが作っているところを見たくて来ました。完成したところだけではなく、途中も見せていただけると約束してくださったでしょう?」
「うん」
「ですから、今日見せていただいたことも、嬉しかったです」
エレナは少し迷ってから、言葉を続けた。
「ただ、ユウさんが悔しそうだったので、私まで何もなかったように喜んでよいのか分からなくなりました」
ユウはその言葉に驚いた。
エレナは、失敗した自分を慰めようとしているだけではなかった。
ユウがどう感じているかを考え、その気持ちを無視して褒めることをためらっていたのだ。
「……ありがとう。そう言ってもらえる方が嬉しいかも」
「そうですか?」
「うん。失敗したのは本当だからね。何も問題ないって言われるより、ちゃんと見てくれてる感じがする」
エレナは静かに頷いた。
「では、次にどうするか決まったら、また教えてください」
「もちろん。今度は切る前に、もう一回確認するよ」
ベルが横から口を挟んだ。
「俺にも確認させろよ。教えてる立場なんだからな」
「分かってるって」
三人の間に笑いが生まれた。
失敗した木材の長さは変わらない。
けれど、ユウの胸を締めつけていたものは、少しだけ軽くなっていた。
◇
昼食の時間が近づき、エレナはマーサの家へ戻ることにした。
ユウも作業を終え、ベルと一緒に道具を片づけていたため、二人は作業場の外まで並んで歩いた。
日差しは朝より強くなっていたが、風があるため暑すぎることはない。道の向こうではニコが小さな枝を持って歩いており、ベルに呼ばれると、作業場へ駆け寄っていった。
「ニコは、何か作るのかな」
ユウがその背中を見送ると、エレナは少し笑った。
「ベルさんに見せたいものがあるのかもしれませんね。昨日も、木の下にいた虫の話をしていましたから」
「そういえば、まだ黒い虫は見つかってないんだよね」
「はい。草が動いたところは見たそうですが、虫がいたかどうかは分からなかったそうです」
二人は道の端へ寄り、荷物を運ぶ住民を先に通した。
ユウは作業場の方を振り返った。
「台、完成まで時間がかかりそうだな」
「私は急いでいませんよ」
「俺も急いでるつもりはなかったんだけど、実際に作り始めると、早く形にしたくなるね」
エレナは少し考えた。
「それは、楽しみにしているからではありませんか?」
「……そうかもしれない」
ユウは笑った。
仕事を早く終わらせなければならないと焦る気持ちと、楽しみだから早く完成させたい気持ちは、似ているようで違う。
今日は失敗した。
それでも、台を作ること自体が嫌になったわけではなかった。
むしろ、次はどうすればよいかを考えている自分に気づく。
「エレナさんは、あの台ができたら何を置くと思う?」
「本と、木片ではありませんか?」
「まあ、そうなんだけど」
「それ以外にも置きたいものがあるのですか?」
ユウは少し考えた。
「今のところないかな。でも、作ってから何か思いつくかもしれない」
エレナは楽しそうに笑った。
「では、完成してからも楽しみがあるのですね」
ユウはその言葉を聞き、窓際に小さな台が置かれた光景を想像した。
本を一冊置き、読み終えたら棚へ戻す。
練習用の木片を置く日もあれば、何も置かない日もあるだろう。
それは、誰かの役に立つために作った道具ではなく、自分の暮らしのために選んだものだ。
「うん。そう考えると、ますます完成させたくなるな」
「次は、今日より少し進むとよいですね」
「そうだね。まずは短くなった脚をどうするか、ちゃんと決めないと」
エレナは頷いた。
別れ際、ユウは彼女を見て、少し照れたように笑った。
「今日は来てくれてありがとう。失敗したところまで見せることになるとは思わなかったけど」
「私は、見せていただけてよかったです」
エレナはまっすぐに答えた。
「ユウさんが作るものを、完成するまで楽しみにしています」
ユウはその言葉を受け止め、頷いた。
二人はそこで別れ、それぞれの家へ戻った。
◇
同じ日の午後、ラウゼンから西の荷場へ戻る道を、レグルの荷車が進んでいた。
北梟工房を調べるためにラウゼンへ立ち寄り、古い看板の残る建物を見つけたあと、レグルは予定していた仕事へ戻ることにした。工房について分かったことは紙へ書き留め、荷物と一緒に大切にしまってある。
北梟工房は、確かにラウゼンに存在していた。
現在は閉まっており、建物には古い看板が残っている。
昔は木製の道具や家具を作っていたらしく、職人たちは別の場所へ移ったという話も聞いた。ただし、それが全員なのか、一部なのかまでは分からない。
建物を管理している人物がいるらしいが、その人物の名前も、今どこにいるのかも確かめられなかった。
レグルは手綱を握りながら、懐の紙へ意識を向けた。
(これ以上は、俺の仕事じゃないな)
名前を尋ねるという頼みは果たした。
少し余分に話を聞いたものの、それも無理のない範囲だった。今後の調査を続けるかどうかは、ゼムや、その先で知らせを待っている者たちが判断すればよい。
道は緩やかな下り坂へ差しかかっていた。
レグルは馬の歩調を落とし、車輪が深い轍へ入らないよう進路を選んだ。
雨の影響はかなり薄れているが、日陰の土はまだ柔らかい。
途中、道の端に荷車を寄せて休憩している商人の一行が見えた。レグルは軽く挨拶し、道の先に大きな崩れや通行止めがないかを尋ねた。
「この先の坂は通れる。ただ、曲がり角の内側が少しぬかるんでるから、重い荷なら外を回った方がいい」
商人はそう答え、レグルの荷車を見た。
「北から戻るところか?」
「ああ。ラウゼンへ寄ってきた」
「なら、あの坂はもう通ったんだな。今日は天気が持ちそうでよかった」
レグルは礼を言い、再び馬を進めた。
西の荷場へ戻るには、まだ時間がかかる。
そのあとゼムへ報告し、ルーデへ知らせを届ける手段を考えなければならない。
今すぐ村へ伝えられるわけではないが、少なくとも持ち帰るべき情報は手元にある。
レグルは道の先を見つめた。
北梟工房の看板に残っていた文字を思い出す。
長い年月を経ても消えずに残っていた名前が、誰かにとって大切な手がかりになるのかもしれない。
ただ、それが何につながるのかまでは、レグルには分からなかった。
◇
夕方、ユウは自宅の卓へ図を広げていた。
ベルの作業場に残してきた木材の長さを思い出しながら、紙の端へ新しい数字を書き込む。三本目の脚を短く切ってしまったため、予定どおりの高さにするなら材料を替える必要がある。
短い一本へ揃える方法もあるが、その場合は窓際に置いたときの使いやすさを確かめ直さなければならない。
ユウは木の棒を使い、床からどの程度の高さになるかを測った。
少し低くなっても、本を置くことはできそうだ。
ただし、脚の取り付け方や、天板の下へ入れる補強材の位置によっては、見た目以上に使いにくくなる可能性がある。
(ベルさんに、明日もう一回聞こう)
ユウは数字を書き留め、紙を卓へ置いた。
失敗した直後は、材料を無駄にしたことばかり考えていた。
今は、どの方法なら無理なく作れるかを考えている。
その変化に気づくと、少し不思議な気持ちになった。
仕事で失敗したときは、次に同じことを起こさないための対策を考える前に、誰へ謝るべきか、どんな説明をすべきかが頭を占めることがあった。
もちろん、必要な報告や謝罪はある。
けれど、今回の木工では、ベルが失敗を確認し、ユウ自身にどうするかを考えさせてくれた。
誰かの安全を損なったわけでもない。
急いで取り繕う必要もない。
だからこそ、落ち着いて原因を考えられる。
ユウは棚に置いてある練習用の木片へ目を向けた。
深く削りすぎた跡は、今もそのまま残っている。
以前は、その跡を見るたびに失敗したことを思い出していた。けれど今は、あの木片があったからこそ、道具の扱いを少しずつ覚えられたのだとも思う。
(あれも、今回の短い脚も、失敗したままで終わるとは限らないんだよな)
ユウは紙を折りたたみ、明日ベルへ見せられるよう卓の端へ置いた。
今夜は、これ以上作業を進めない。
次に鋸を使うときは、切り落とす側と残す側を確かめてから刃を当てる。
そのことだけは、忘れないようにしようと思った。
◇
マーサの家では、夕食のあと、エレナが豆袋を手に取っていた。
口の部分は今日も問題なく使えている。マーサはその様子を見ながら、明日は少し豆を分けて煮ようかと話していた。
「今日はユウのところへ行ってきたんだろう?」
「はい。ベルさんの作業場で、小さな台の脚を作っていました」
「そうかい。うまくいってたかい?」
エレナは少し考えた。
「二本は、同じ長さに切れていました。でも、三本目を少し短くしてしまったそうです」
「それで、どうしたんだい?」
「ベルさんと相談して、今日はそこで作業を終えました。新しい木を使うか、短い脚に合わせるか、まだ決めていません」
マーサは頷いた。
「それなら、明日考えればいいね」
「はい。ただ、ユウさんは少し悔しそうでした」
エレナは今日のユウの表情を思い出した。
木材を並べたとき、彼の手が止まった。
ベルに説明されている間も、何度か短い脚へ視線を落としていた。
大きな声を出したわけでも、怒ったわけでもない。
それでも、ユウが自分の失敗を重く受け止めていることは伝わってきた。
「私は、どう声をかければよいのか迷いました」
エレナがそう言うと、マーサは卓の上の布を畳みながら尋ねた。
「何か言ったのかい?」
「失敗した木材も、使い道があるのか尋ねました。それから、完成していなくても見せてもらえて嬉しいと伝えました」
「ユウは何て?」
「何も問題ないと言われるより、きちんと見てもらえている気がすると言ってくださいました」
マーサは穏やかに微笑んだ。
「なら、それでよかったんじゃないかい」
エレナは少し首を傾げた。
「慰める言葉を、もっと考えた方がよかったでしょうか」
「慰められたいときもあれば、ただ話を聞いてほしいときもあるさ。相手が悔しいと思ってるなら、その悔しさまで消そうとしなくていいんじゃないかね」
エレナは黙って考えた。
王都にいたころ、失敗した人へかける言葉には、立場や礼儀に応じた決まりがあった。
励ますべきときには励まし、慰めるべきときには慰める。
相手が何を感じているかよりも、その場にふさわしい言葉を選ぶことが優先される場合もあった。
けれど、ユウにはそうした決まりきった言葉をかけたくなかった。
彼が悔しいと思っているなら、その気持ちを否定したくない。
同時に、失敗したからといって、彼が台を作ることを嫌いになってしまうのも寂しい。
(私は、ユウさんが楽しそうに作っているところを、また見たいのですね)
エレナは自分の気持ちを確かめるように、静かに息を吐いた。
完成した台を見たい。
けれど、それだけではない。
ユウが何を考え、どこで迷い、どんなふうに作ろうとしているのかを知りたい。
その時間を、少しでも一緒に過ごせたら嬉しい。
「マーサさん。明日も、ユウさんのところへ行ってみてもよいでしょうか」
「ユウが作業をしてるなら、まず都合を聞いてごらん。見学する場所を守れるなら、ベルも嫌がらないと思うよ」
「はい。そうします」
エレナは頷き、豆袋を棚へ戻した。
◇
夜が深まるころ、ルーデの家々には灯りがともっていた。
東の警戒線から新しい警告は届かず、ローデンの家にも西からの知らせはまだ来ていない。レグルがラウゼンで北梟工房を見つけ、帰路についていることを、村の誰も知らなかった。
エレナは寝台の脇で記録を開き、今日の出来事を書き始めた。
ガルドの豆は順調に育っていること。
三軒目の家については、依然として新しい情報がないこと。
ユウが小さな台の脚を切り始め、三本目を短くしてしまったこと。
ベルと相談し、今日は作業を止めて、修正方法を考えることにしたこと。
そして、ユウが失敗した木材を隠さずに見せてくれたこと。
エレナは筆を止め、少し考えた。
自分が縫い直した豆袋も、途中で縫い目が曲がった。
そのときは数針ほどいて縫い直せたが、木材は切ってしまえば元の長さへ戻せない。
失敗の重さは同じではない。
けれど、どちらも、作ろうとしたからこそ起きたことだった。
エレナは新しい行へ筆を進めた。
『ユウさんは、失敗したことを悔しいとおっしゃった。それでも、台を作ることをやめるとはおっしゃらなかった。』
そこまで書いてから、エレナは少し微笑んだ。
今日見たユウの姿は、完成したものを誇らしげに見せてくれたときとは違っていた。
迷いもあった。
悔しさもあった。
けれど、その姿を見たことで、ユウを遠く感じることはなかった。
むしろ、彼が何かを作る時間を、これからも見ていたいと思った。
『次に作業するときも、ユウさんがよろしければ見に行きたい。』
エレナはそう書き足し、記録を閉じた。
窓の外では、風が庭の草を揺らしている。
ルーデの夜は静かだった。
遠い町からの知らせはまだ届かない。
三軒目の家の権利も、エルドの行方も、何一つ確定していない。
それでも、今日のユウには新しい経験があり、エレナには彼の知らなかった一面を見る時間があった。
ユウの小さな台は、まだ脚が三本しか切られていない。
そのうち一本は、予定より短い。
明日、その木材をどうするか決めることになるだろう。
エレナは灯りを落とし、寝台へ横になった。
完成した台を見られる日は、少し先になった。
けれど今は、その途中にいることさえ楽しみだった。




