第6話 王都からの誘い
その朝、俺はガルド爺さんの畑で木の支柱を立てていた。
昨日の夕方に頼まれた通り、朝飯をきちんと食べてから来ている。だから今日は文句を言われる筋合いはないと思っていたのだが、畑へ着いて最初に言われたのは「遅い」だった。
「朝飯食ってからでいいって言ったの、爺さんだよね?」
「言ったぞ。でも、俺はもっと早く食い終わると思っとった」
「俺の朝飯の速度まで予定に入れないでよ」
「若いんだから飯くらいさっさと食え」
「そこ急いだら、昨日まで休めって言ってた意味なくならない?」
俺が呆れている横で、ガルド爺さんは何事もなかったように畑へ杭を置いていく。今日立てる支柱は十二本で、これから蔓を伸ばす作物を這わせるためのものらしい。
俺は農業経験がほとんどないため、どのくらいの間隔で立てればいいのかも分からない。最初の一本を適当に置いたら、すぐに「そこじゃ近すぎる」と直された。
「魔法で等間隔に並べた方が早くない?」
「自分で覚えろ。来年も俺が横にいるとは限らんだろ」
少しだけ重い言葉に聞こえたが、本人は気にした様子もなく次の位置を指している。ガルド爺さんは七十四歳で、今のところ畑を一人で歩き回れるほど元気だが、それでも年齢だけは変えられない。
「そういうこと言うなよ」
「何がじゃ」
「来年いないかもしれないとか」
「人間なんて若くても来年いるとは限らん。だから教えられるうちに教えるんだろ」
返す言葉が見つからず、俺は黙って支柱を持ち直した。前の仕事で何人もの死を見送った自分には、その言葉を軽く否定することもできない。
「……じゃあ、ちゃんと覚える」
「そうしろ。ちなみにそこも位置が違うぞ」
「今ちょっといい話だったのに!」
「畑にいい話も悪い話もあるか。間違っとるものは間違っとる」
結局、感傷に浸る暇もなく修正させられた。
それでも、こういう時間は嫌いではない。俺には魔法があるし、その気になれば土を動かして一瞬で支柱を固定することもできるが、今日はガルド爺さんに教わりながら自分の手で穴を掘っている。
土へ棒を差し込み、少し押す。固ければ周囲を掘り、ぐらつかない深さまで入れてから足元を踏み固める。
「それでいい」
「やっと褒められた」
「一本だけな」
「十二本あるんだけど」
「十一回覚えられるじゃろ」
「前向きだなあ」
二本目へ取りかかったところで、村の西側から馬の蹄の音が聞こえてきた。
この村では珍しい音だった。
荷車を引く馬なら時々見かけるが、複数の馬がまとまってこちらへ近づいてくることはほとんどない。街道から外れた村なので、目的がなければ誰も寄らないからだ。
「行商、今日だっけ?」
「まだ先だぞ」
ガルド爺さんも顔を上げる。
蹄の音は一頭ではなかった。
少なくとも三頭。
しかも一定の速さで村へ入ってくる。
「客かのう」
「爺さん、そんな気軽に言う?」
「盗賊ならもっと隠れて来るだろ」
「それもそうだけど」
遠くを見る。
西側の細い道から、馬に乗った三人が現れた。
先頭の男は紺色の外套を着ている。後ろには軽装の鎧を着た二人。
旅人には見えない。
何となく、嫌な予感がした。
理由は分からない。
でも、前の世界で上司に「ちょっと時間いい?」と呼ばれた時と似た感覚が腹の辺りにあった。
「俺、隠れていいかな」
「なんでじゃ」
「何となく」
「悪いことしたのか?」
「してない」
「なら堂々としとけ」
「爺さん、それ俺が一番苦手なやつだよ」
三人は村の中央へ向かった。
こちらには気づいていない。
俺は支柱へ視線を戻す。
「続きをやろう」
「気にならんのか」
「気になるけど、向こうが俺に用事とは限らないし」
「お前、さっき隠れようとしてたじゃないか」
「だから気にしないことにしたの」
自分へ言い聞かせるように答える。
支柱を立てる。
土を踏む。
次の位置を確認する。
ただ、それから十分もしないうちに、村の中央からローデンが歩いてきた。
その後ろには、さっきの紺色の外套の男がいる。
「……やっぱり俺?」
「お前だ」
ローデンが即答する。
逃げ道はなかった。
◇
紺色の外套を着た男は、三十代半ばくらいに見えた。
短く整えた茶髪。
細身だが姿勢がいい。
腰には剣を下げているものの、騎士というより文官に近い雰囲気だった。
近くまで来ると、男は俺へ向かって軽く頭を下げた。
「あなたがユウ殿ですか」
「そうですけど」
「私は王都魔術院所属、第三調査室の補佐官を務めるアルベルト・レインと申します」
長い。
所属だけで疲れそうだ。
「……はあ」
「以前、リーヴェルの町にてあなたの魔法を確認した魔術師から報告を受け、王都より参りました」
もっと嫌な予感が強くなった。
町。
魔術師。
報告。
完全に俺の《魔導書庫》の話だ。
できれば忘れていてほしかった。
「一応言っておきますけど、俺、王都へ行く気ないですよ」
挨拶の直後に言う内容ではない気もしたが、先に伝えた方がいい。アルベルトと名乗った男は少し目を瞬いたものの、怒った様子はなかった。
「まずはお話を聞いていただければと思います。強制するために来たわけではありません」
「本当に?」
「少なくとも、私はそう命じられております」
言い方が少し気になった。
命令した人間が別にいる。
当然だ。
王都からわざわざ来るくらいなのだから、個人の興味ではないのだろう。
「ここで話すのか?」
ローデンが聞く。
アルベルトは畑へ目を向け、少し困ったように笑った。
「可能であれば、落ち着いて話せる場所をお借りしたいのですが」
「じゃあ俺の家でいい」
ローデンが答えた。
俺の許可ではない。
「俺も行くの?」
「お前の話だろ」
「畑の支柱がまだ五本しか……」
「逃げるな」
ガルド爺さんに言われた。
「逃げてないよ」
「顔が逃げたがっとる」
「顔に出るんだな……」
仕方なく鍬を置く。
ガルド爺さんには続きをやらず待っていてほしいと言ったが、「できるところは自分でやる」と断られた。
「残り、帰ってきたら手伝うから」
「長引いたら俺が全部やるぞ」
「それはそれで助かる」
「覚えるんじゃなかったのか」
「……半分残しといて」
そんなやり取りをしてから、俺はローデンたちと村の中央へ向かった。
◇
ローデンの家には、王都から来た二人の護衛も入った。
一人は四十代くらいの男性。
もう一人は二十代前半くらいの女性。
どちらも鎧には同じ紋章が入っている。
王都の騎士なのかもしれない。
俺は入口近くの椅子へ座った。
いつでも帰れる位置を無意識に選んだことに気づいたが、わざわざ奥へ移る気にはならなかった。
「茶でいいか?」
ローデンが聞く。
アルベルトが恐縮する。
「お気遣いなく」
「もう湯はある」
「では、いただきます」
王都から来た役人だろうと何だろうと、ローデンの扱いは変わらないらしい。
しばらくして木杯が並ぶ。
俺も一つ受け取った。
「それで」
俺は先に話を切り出した。
「何の用ですか」
アルベルトは膝の上へ置いていた革鞄を開き、何枚かの書類を取り出した。
「先ほど申し上げた通り、リーヴェルの町から報告を受けています。あなたが十冊の魔導書を同時に顕現させる、前例の確認されていない固有魔法を持つこと。そして、その中の一冊から、通常であれば複数年の修練を必要とする術式を詠唱短縮で使用したこと」
「そんな大層なことしたっけ」
「町の井戸を一度に浄化したと」
「ああ」
思い出した。
この世界へ来たばかりの頃。
喉が渇いて町の井戸へ行ったら、水が少し濁っていた。
飲んで大丈夫か聞いたところ、腹を壊す人がいると言われたので、青い魔導書を開いて浄化した。
それだけだ。
「困ってたみたいだから」
「それだけで行える術ではありません」
「そうらしいですね」
「さらに、火属性、土属性、水属性、風属性、治癒系統、結界系統に該当する異なる魔術を同一人物が使用したという証言もあります」
「そこまで報告されてるんだ」
「魔術師であれば報告するのが当然です」
俺には当然ではない。
ただ、町の魔術師が興奮していた理由は分かる。
「それで王都は俺をどうしたいんですか」
アルベルトは少し姿勢を正した。
「まず、王都魔術院にて能力の正式な鑑定を受けていただきたいと考えております」
「嫌です」
即答した。
アルベルトの口が少し止まる。
「……まだ続きがございます」
「すみません。でも、鑑定の時点で嫌なので」
「理由を伺っても?」
「面倒だから」
護衛の女性騎士が僅かに目を動かした。
失礼だったかもしれない。
でも、嘘ではない。
「鑑定自体は数日で済む予定です。もちろん王都までの移動費、滞在費はすべてこちらで負担いたします」
「その数日で絶対終わります?」
「基本的には」
「基本的には、ですよね」
前の仕事を思い出す。
「少しだけ残業お願いできる?」
「この資料だけ作ってくれない?」
「今日だけ夜勤代わってくれない?」
最初は全部少しだった。
少しなら。
一回なら。
自分にできるなら。
そうやって引き受けたものが、いつの間にか自分の役割になっていった。
「鑑定したら、次は研究に協力してほしいって言われません?」
アルベルトは黙った。
答えが出たようなものだった。
「それから、魔術院に所属してほしいとか」
「可能性としてはございます」
「国のために魔法を使ってほしいとか」
「あなたの能力が報告通りのものであれば、その申し出が行われる可能性は高いでしょう」
「ですよね」
悪い人ではない。
少なくとも、この男は嘘をつこうとしていない。
それは分かる。
「待遇についても、かなり優遇されるはずです」
「例えば?」
「爵位の授与も検討可能でしょう。魔術院の特別研究員となれば、年間俸給は一般的な魔術師の数倍。王都に邸宅を与える案もございます。また能力によっては、王家直属の宮廷魔術師として――」
「いらないです」
途中で止めてしまった。
さすがに失礼だったと思い、少し頭を下げる。
「ごめんなさい。でも、本当に全部いらない」
アルベルトが俺を見る。
「金銭にも地位にも興味がない、と?」
「金はあった方がいいとは思いますよ。でも、今食べる物あるし、家もあるし、服もある。そんなに使う場所もないから」
「王都なら、今の生活では得られないものも多くあります」
「たぶんそうでしょうね」
それは少し気になる。
娯楽。
本。
食べ物。
風呂。
便利な道具。
王都なら色々あるのだろう。
でも、その代わりに何を求められるのかを考えれば、俺には魅力より面倒さが勝つ。
「俺、前の世界で働きすぎたんです」
口にしてから、王都の人間へこんな話をする必要があるのかと思った。
でも、説明しないと分からないかもしれない。
「前の世界?」
アルベルトが反応する。
しまった。
転移者だと正式に話すつもりはなかった。
町でどこまで言ったかも覚えていない。
「……そこは今、気にしないでもらえると助かります」
「非常に気になる発言ではありますが」
「気にしたら話が増えるので」
アルベルトが困った顔をする。
ローデンが横で笑いを堪えている。
「とにかく、俺は前にいたところで、誰かのために働く仕事をしてました。嫌いな仕事じゃなかったし、役に立てるのは嬉しかった。でも、できるからって色々引き受けてるうちに、ずっと誰かに必要とされる生活になったんです」
自分でも、少しずつ言葉を選ぶ。
「休みの日にも仕事のこと考えて、誰かが休めば代わりに出て、何かあれば自分がやらなきゃって思ってた。別に俺しかできないことじゃなくても、断れなくなってた」
アルベルトは黙って聞いている。
「だから、今はもういいんです。誰かに『あなたにしかできない』って言われる生活から離れたい」
「しかし、もし本当にあなたにしかできないことがあった場合は?」
予想していた質問だった。
少しだけ考える。
「その時、本当に俺がやりたいと思ったらやります」
「国が必要としても?」
「国が必要としてるからって理由だけでは、やりたくないです」
女性騎士の表情がわずかに硬くなった。
国へ仕える立場なら、気分のいい答えではないだろう。
「不敬だと言われる?」
俺が聞くと、アルベルトは首を横へ振った。
「今の発言だけで罪に問われることはありません。ただ、少々驚いております」
「何に?」
「あなたほどの力を持つ可能性がある方が、ここまで権力や名誉に興味を示さないことに」
「疲れるじゃないですか」
「……疲れる」
「偉くなったら責任増えるでしょ」
「当然、増えます」
「じゃあ嫌です」
自分でも分かりやすい理由だった。
アルベルトは一瞬だけ何とも言えない顔をした後、わずかに笑った。
「王都でこの話をすれば、多くの者が理解に苦しむでしょう」
「俺も王都の人の考えは分からないから、お互い様ですね」
「そうかもしれません」
少しだけ空気が緩んだ。
◇
ただ、そこで話が終わったわけではなかった。
アルベルトは書類を一枚机へ置いた。
「こちらは正式な招聘状です。鑑定を強制するものではありません。王都魔術院への来訪を希望する、という内容に留まっております」
「受け取るだけなら?」
「問題ありません。返事を急ぐ必要もございません」
「期限は?」
「特に設けられていません」
「じゃあ受け取ります」
紙を受け取る。
上等な紙だった。
俺が行商人へ頼もうとしていた普通の紙とは明らかに質が違う。
端には紋章。
文字も綺麗。
「これ、裏使ってメモとかしたら怒られます?」
「……可能であれば避けていただきたいですね」
「冗談です」
半分くらいは本気だった。
ローデンが吹き出す。
「それから、もう一点ございます」
「まだあるんだ」
「あなたの力を直接確認させていただくことは可能でしょうか」
「どのくらい?」
「危険のない範囲で構いません」
断ろうかと思った。
でも、わざわざ王都から来て話だけして帰るのも少し気の毒だ。
それに、俺の能力を本当に確認した方が、妙な誇張をされたまま帰られるよりはいいかもしれない。
「生活魔法くらいなら」
「生活魔法?」
「火とか水とか」
アルベルトの表情を見る限り、それで十分らしい。
「場所を移しましょう」
全員で家の外へ出る。
村の中央では、いつの間にか何人かの老人たちが集まっていた。
完全に見物である。
「何で集まってるの?」
「王都の人間なんて珍しいからな」
ベル爺さんが答える。
「仕事は?」
「休憩中じゃ」
「その言い訳、俺には通用しないからね」
笑い声が起きる。
アルベルトたちは少し驚いているようだった。
たぶん、王都の役人が来ればもっと緊張する村を想像していたのだろう。
「どれを見たいですか」
俺が聞く。
「可能であれば、《魔導書庫》そのものを」
「分かりました」
一歩前へ出る。
意識を集中する。
「《魔導書庫》」
光が集まる。
本棚が姿を現す。
十冊の魔導書が並ぶ。
昨日まで毎日のように見ていた村人たちは特に反応しない。
王都から来た三人だけが違った。
アルベルトが息を止めた。
男性騎士も目を見開く。
女性騎士は反射的に一歩後ろへ下がった。
「……十冊」
「ありますね」
「本当に、十冊すべてが独立した魔導媒体なのですか」
「たぶん」
「たぶん?」
「俺、専門家じゃないので」
アルベルトは慎重に本棚へ近づこうとして、途中で止まった。
「触れることは?」
「やめた方がいいです。俺以外が触った時どうなるか、ちゃんと分かってないから」
「承知しました」
素直に下がる。
「どの系統を?」
「火、水、土、風、治癒、結界までは確認しています。ほかも少し」
「多系統適性という次元では……」
アルベルトが呟く。
町の魔術師と似た反応だった。
「じゃあ水出しますね」
青い本を開く。
指先ほどの水球を作る。
「《水球》」
小さい。
昨日子供と遊んだものと同程度。
アルベルトはそれだけでも食い入るように見ている。
「無詠唱に近い……魔法陣の外部展開もない」
「これでいい?」
「可能であれば、次を」
赤。
小さな火。
茶。
足元の土を少し動かす。
緑。
微風。
銀。
手のひらサイズの簡易結界。
一つ見せるたびに、アルベルトの顔が真剣になっていく。
やりすぎたかもしれない。
「治癒は?」
「怪我してないのに使いたくないです」
「なるほど」
意外にも反論されなかった。
「もう十分?」
「十分どころか……」
アルベルトが本棚を見る。
「報告は誇張ではなかった」
「町の人、何て書いたんですか」
「国家戦略級の可能性あり、と」
「嫌な言葉だなあ」
本気で嫌だった。
「ちなみに、昨日あの辺の岩を火の魔法で吹き飛ばしました」
指差す。
ローデンが急にこちらを見る。
「それ言うのか」
「後で調べられるよりいいかなって」
アルベルトの目が動く。
「岩を?」
「弱くしたつもりだったんですけど」
「どの程度の大きさですか」
「俺くらい」
「使用した術式は?」
「《火弾》」
沈黙。
「……初級攻撃術式の名称ですが」
「俺もそう思って使った」
「痕跡を確認しても?」
「どうぞ」
行く流れになった。
正直、余計なことを言ったと思った。
◇
森の手前へ到着した途端、アルベルトはしばらく話さなくなった。
焦げた地面。
浅い穴。
周辺へ飛び散った石片。
岩があった場所だけが空いている。
男性騎士が膝をつき、地面を確認する。
「爆発系統の術式を併用した痕跡ではありません」
「火弾だけ?」
アルベルトが聞く。
「火弾だけです」
「全力で?」
「かなり弱めた」
また沈黙。
女性騎士が俺を見る目が少し変わった。
怖がられている。
それが分かった。
昨日、ローデンに聞かれた。
自分の力が怖いか。
今は、自分より他人が怖がることの方が少し嫌だった。
「だから、危ない魔法はあんまり使いたくないんです」
俺が言う。
アルベルトは痕跡から目を離し、こちらを見た。
「この威力であれば、魔獣討伐において極めて大きな戦力となります」
やっぱり、そういう話になる。
「王都周辺だけでなく、国境防衛、災害時の障害除去、大型魔獣の討伐。あなたの能力は、多くの命を救う可能性があります」
反論しづらい言い方だった。
人を救える。
その言葉は、昔から弱い。
前の仕事でもそうだった。
誰かが困る。
だから出る。
誰かが足りない。
だから代わる。
利用者のため。
同僚のため。
家族のため。
理由はいつも正しかった。
正しい理由ほど断りにくい。
「そうかもしれません」
俺は一度、森を見る。
鳥が戻ってきている。
昨日俺が驚かせた鳥たちだ。
「でも、それを聞いて今すぐ行きますとは言えないです」
「なぜです」
「一回引き受けたら、次も来るから」
アルベルトは黙る。
「一匹倒したら、次の魔物も頼まれる。国境で一回助けたら、また何かあった時呼ばれる。たぶん、それが悪いとは思わないし、必要なことなんでしょうけど」
言葉を続ける。
「俺は、それを自分の仕事にしたくない」
「力がありながら?」
「力があるからって、人生の使い方まで決められたくないです」
自分で言って、少し驚いた。
これが一番言いたかったことかもしれない。
「俺はこの力を選んで手に入れたわけじゃない。気づいたら持ってた。でも、持ってるから国のために働くのが当然ってことにはならないと思う」
護衛の二人は黙っている。
アルベルトもすぐには答えなかった。
「もちろん、目の前で人が死にそうなら助けると思いますよ。村が襲われたら戦うかもしれない。でも、それは俺がその時に決めたい」
「命令されることそのものが嫌だと?」
「命令っていうより、役割にされるのが嫌なのかも」
介護福祉士。
職員。
夜勤者。
委員。
先輩。
いつの間にか役割が増え、その全部へ応えようとしていた。
「俺は今、畑やって、爺さん婆さんに呼ばれて、風呂沸かして、飯食って、疲れたら寝る生活が気に入ってるんです」
アルベルトの背後で、ガルド爺さんが胸を張った。
「畑もまだ半人前だがな」
「今いい話してるから黙ってて!」
「事実じゃろ!」
空気が少しだけ崩れる。
女性騎士が口元を僅かに緩めた。
「……あなたのお考えは分かりました」
アルベルトが言う。
「納得した?」
「完全に、と申し上げれば嘘になります」
正直だ。
「私自身は、あなたほどの力があるなら国のために活用していただきたいと思っています。それで救える命があることも事実でしょう」
「そうですね」
「ですが、強制すべきではないという点も理解します」
少し意外だった。
「怒らないんですね」
「説得するよう命じられてはおりますが、連行するようには命じられておりません」
「よかった」
「ただし、帰都後の報告によっては別の使者が来る可能性があります」
「それは嫌だなあ」
「私より説得が上手い者が来るかもしれません」
「じゃあ、俺より断るのが上手い婆ちゃん用意しときます」
背後からマーサ婆ちゃんの声がした。
「任せときな。王様でも追い返してやるよ」
「いつからいたの!?」
振り返ると、なぜかマーサ婆ちゃんとベル爺さんまで来ていた。
「見物」
「そんな堂々と言わないでよ」
「王都の人間がお前を連れていくかもしれないって聞いたからね」
「誰がそんな話にしたの」
「村じゃもうそうなっとる」
情報伝達が早すぎる。
「別に連れていかれないから」
「本当かい?」
「断った」
「ならいい」
マーサ婆ちゃんはそれだけで納得した。
アルベルトがその様子を見ている。
「皆さんは、彼が王都へ行けば村に利益があるとは考えないのですか」
質問はマーサ婆ちゃんへ向けられた。
婆ちゃんは首を傾げた。
「何の利益だい?」
「例えば、王都との繋がりができます。彼が高位魔術師として地位を得れば、この村への支援も――」
「ユウが行きたいなら行けばいいさ」
マーサ婆ちゃんが答える。
「でも、行きたくないなら別にここにいりゃいい。村のために王都へ行けなんて言ったら、こいつがここへ来た意味がなくなるだろ」
俺は何も言えなかった。
婆ちゃんは続ける。
「こいつ、来たばっかりの頃は酷い顔してたからね。飯食ってるのかも分からないし、夜中に起きて外へ出てることもあった。最近やっと昼寝するようになったんだよ」
「それ褒めるところ?」
「大進歩だよ」
「知らなかった……」
「だから、また忙しいところへ行って同じ顔になるくらいなら、ここで畑でもやってりゃいい」
アルベルトは何も言わなかった。
俺も、しばらく言葉が出なかった。
自分では随分元気になったと思っていた。
でも、最初から見ていた人たちには分かっていたらしい。
「……ありがと、婆ちゃん」
「何がだい」
「何でもない」
「なら帰りにうちの薪割っておくれ」
「今ちょっと感動してたの返して!」
周囲が笑った。
結局いつも通りだった。
◇
王都から来た三人は、その日の夕方まで村に滞在した。
宿屋はないので、ローデンの家と空いている家へ分かれて泊まることになった。翌朝には帰るらしい。
俺は自宅へ戻り、机の上へ招聘状を置いた。
捨てるつもりはない。
行く気もない。
でも、誰かが時間をかけて持ってきたものだから、一応保管しておく。
夕飯を作っていると、窓の外から声がした。
「ユウー!」
「今度は誰!?」
「俺じゃ!」
ガルド爺さん。
「支柱の続き忘れとるぞ!」
「あっ」
本当に忘れていた。
俺は竈の火を弱め、外へ出た。
「今から?」
「まだ明るい」
「夕飯作り始めたんだけど」
「なら明日でもいいぞ」
即答される。
俺は少し笑った。
「じゃあ明日にする」
「そうしろ」
「怒らないんだ」
「何を怒るんだ。王都の人間と話して疲れただろ」
「……まあ、ちょっと」
「なら飯食って寝ろ。支柱は逃げん」
ガルド爺さんはそれだけ言い、自分の家へ戻っていく。
俺は玄関前に立ったまま、その背中を見送った。
支柱は逃げない。
明日でいい。
たったそれだけの言葉なのに、胸の奥が少し軽くなる。
王都へ行けば、俺にしかできない仕事が待っているのかもしれない。
大勢を救えるかもしれない。
金も地位も手に入る。
それはきっと、誰かにとっては夢みたいな話だ。
でも今の俺は、明日に回せる支柱の方がいい。
今日全部やらなくていい生活の方がいい。
家へ戻り、夕飯を作る。
赤い魔導書で火を調整し、野菜と干し肉を煮る。
王都では国家戦略級と言われるかもしれない力が、俺の家では夕飯を温めている。
それでいい。
少なくとも、今は。
食事を終えた頃、扉が軽く叩かれた。
開けると、アルベルトが一人で立っていた。
「少しよろしいでしょうか」
「どうぞ」
中へ招く。
彼は椅子へ座らず、入口近くで立ったままこちらを見る。
「先ほど申し上げた件について、一つだけお伝えしておきたいことがあります」
「何?」
「あなたの招聘を提案した者の中には、純粋に能力研究を目的とする者もいます。しかし、それだけではありません」
「軍とか?」
「はい」
やっぱり。
「あなたの力を軍事的に評価したいという意見も既にあります」
「そりゃあるよね」
「ですから、もし今後別の使者が来ても、今日のように必ずしも穏便な話だけとは限りません」
警告してくれているらしい。
「それ、俺に言って大丈夫?」
「機密を漏らしているわけではありません。予想可能な範囲の話です」
「そっか」
「ただ、あなたが何も知らずに王都へ来ることだけは避けた方がいいと、個人的には思います」
この人は本当に悪い人ではないらしい。
「ありがとう」
「私はあなたに王都へ来てほしいと考えています」
「それでも?」
「それでもです」
アルベルトは少し笑った。
「自分で選んで来ていただきたい」
その言葉は、少しだけ好きだった。
「もし俺が一生行かなかったら?」
「残念ですが、それもあなたの選択でしょう」
「じゃあ、多分しばらく行かない」
「そうだと思っていました」
俺たちは少し笑った。
「明日の朝に発ちます」
「気をつけて」
「最後に一つだけ質問しても?」
「答えられる範囲なら」
「あなたは、その力を何のために使いたいのですか」
俺は少し考えた。
世界を救うため。
国を守るため。
名を残すため。
どれも違う。
窓の外を見る。
暗くなった村。
どこかの家から煙が上がっている。
「今のところ、風呂と畑かな」
アルベルトがしばらく黙った。
「……本気ですか」
「かなり」
「国家戦略級の可能性がある魔法を?」
「今日も明日も畑で使う予定」
彼は額へ手を当てた。
初めて少しだけ、王都の魔術師たちへ同情したくなった。
「あと、婆ちゃんの薪割り」
「それは魔法ではないのでは?」
「そこは普通に斧でやります」
「なぜです」
「本人が魔法でやるなって言うから」
アルベルトはとうとう声を出して笑った。
俺も笑う。
話はそれで終わった。
◇
翌朝、王都から来た三人を村の入口まで見送った。
馬へ乗る前に、アルベルトがもう一度こちらを見る。
「招聘状は有効です。気が変われば、いつでも王都魔術院へ」
「覚えときます」
「本当に来る可能性は?」
「今のところ二割くらい」
「思ったより高いですね」
「王都の食べ物はちょっと気になる」
「そこですか」
「あと本屋」
「……来訪理由がそれでも構いません」
少し笑う。
「でも、住む気はないですよ」
「それも承知しています」
三人は馬へ乗った。
俺は手を上げる。
「気をつけて」
「あなたも。魔法の試射は周囲を十分確認してから行ってください」
「それ、王都まで報告する?」
「当然です」
「やっぱ言わなきゃよかった」
最後にそんなやり取りをして、三人は村を離れていった。
姿が見えなくなるまで待つ。
それから後ろを振り返る。
ガルド爺さんがいる。
鍬を持っている。
「ユウ」
「分かってる」
「支柱」
「今行くよ」
王都からの誘いを断った翌朝。
俺が向かったのは宮殿でも魔術院でもなく、昨日途中で放置した畑だった。
残り七本。
一本ずつ穴を掘る。
位置を確認する。
土を踏み固める。
急げば魔法で数秒だ。
でも今日は手でやる。
「そこ、少し右じゃ」
「この辺?」
「行きすぎ」
「注文多いなあ」
「俺の畑だからな」
「昨日それ聞いた」
ガルド爺さんが笑う。
俺も笑った。
王都には、俺の力を必要とする人がいるのかもしれない。
いつか、本当に行かなければならない日が来る可能性もある。
それでも今日のところは、ここでいい。
土の匂いがする。
朝の風が吹く。
村の方から、誰かが俺を呼ぶ声が聞こえる。
「ユウー! あとでうちにも来とくれー!」
「今日は何!?」
「戸が開きにくいんだよ!」
「分かった! 畑終わってからね!」
返事をすると、ガルド爺さんが笑う。
「人気者だな」
「王都に行くより忙しい気がしてきた」
「なら王都へ行った方が楽かもしれんぞ」
「それは絶対ない」
言い切って、次の支柱を持ち上げる。
英雄にも、宮廷魔術師にも、偉い人にもなりたくない。
俺が欲しいのは、自分で今日を選べる暮らしだ。
何をするか。
誰を助けるか。
いつ休むか。
その全部を自分で決められる場所。
少なくとも今の俺にとって、この三十一人しかいない小さな村以上に欲しい場所はなかった。




