第4話 十冊の魔導書
朝食を終えたあと、俺は自宅の前でしばらく腕を組んでいた。
昨日までなら、畑へ行くか、誰かの家へ顔を出すか、その辺を適当に歩くくらいしか予定はなかった。今日は珍しく、朝のうちから少しだけやってみたいことがある。
目の前には、何もない。
草の生えた地面。
低い石垣。
その向こうに、自分で少しずつ広げた畑。
いつもと同じ景色だ。
ただし、俺が意識を向ければ、そこにもう一つ加わる。
「《魔導書庫》」
呼びかけると、何もなかった空間へ淡い光が集まった。
縦に伸びた光は、輪郭を持ちながら少しずつ形を整えていく。やがて現れたのは、俺の身長より少し高い焦げ茶色の本棚だった。
そこには十冊の魔導書が並んでいる。
これだけ見れば、いかにも異世界転移者らしい光景なのだろう。
実際、最初にこれを町で見せた時は大騒ぎになった。
俺自身はいまだに、そこまで大層なものを持っている実感がない。
「さて……」
本棚の前まで歩き、端から順番に本を見る。
赤。
青。
茶。
緑。
白。
銀。
黒。
深い紫。
灰色。
そして最後の一冊だけ、他より少し奥まった位置に収まっている。
十冊ある。
でも、俺が十冊全部を把握しているわけではない。
そこが少しややこしい。
《魔導書庫》は、呼び出した瞬間にすべての知識が頭へ流れ込んでくるような親切な能力ではなかった。
本を開けば、その中にある魔法の一部が分かる。
使おうとすれば術式の組み立て方も理解できる。
でも、一冊の中に何がどこまで入っているのかは、実際に開いて確かめないと分からない。
つまり、俺自身もまだこの力を調べている途中だった。
ただ、町にいた魔術師たちからすれば、それでも十分異常らしい。
「十冊の魔導書を持っていて、全部まだ分かってないって言ったら、あの人たち本当に青い顔してたもんな……」
思い出す。
この世界へ来て最初に立ち寄った町で、俺は自分の能力がどんなものなのか分からず、とりあえず人に見せた。
それが失敗だった。
魔術師。
役人。
冒険者。
知らない人間が次々集まってきた。
王都へ行くべきだ。
国家が保護すべきだ。
研究させてほしい。
どこで手に入れた。
誰に教わった。
一冊だけでも見せてほしい。
今思い出しても胃の辺りが重くなる。
誰も悪意があったわけではないと思う。
むしろ、本当に価値があるからこそ放っておけなかったのだろう。
それでも俺には無理だった。
新しい世界へ来てまで、また誰かの期待の中へ入っていくのが嫌だった。
だから逃げた。
正確には、町から離れた。
その結果がこの村だった。
「まあ、こっち来て正解だったけど」
独り言を言いながら、赤い本へ手を伸ばす。
表紙に触れると、わずかな熱を感じた。
開けば、ページには複雑な文字と魔法陣が浮かぶ。
俺には読める。
この世界の言葉を全部知っているわけではないのに、魔導書へ書かれている内容だけは自然と理解できる。
これも転移特典の一部なのかもしれない。
赤い魔導書は、主に火と熱に関わる魔法を扱う。
最初に覚えたのは小さな火を作る魔法だった。
今では風呂を沸かす。
竈へ火をつける。
濡れた薪を乾かす。
冬場なら部屋を暖める。
たぶん、本来はもっと恐ろしい使い方ができる。
ページの奥に、見ただけで嫌な予感がする術式がいくつかあるからだ。
でも使う気はない。
少なくとも今は。
「次」
赤い本を戻し、今度は青い本を開く。
こちらは水。
水を出す。
流す。
冷やす。
汚れを落とす。
少しだけ浄化に近い術式もある。
村ではかなり便利だ。
井戸まで行かなくても水を出せるし、畑へ撒くこともできる。
ただし、毎日全部魔法で済ませているわけではない。
前にガルド爺さんから、
「井戸があるのに何でも魔法で済ませたら、身体が鈍るぞ」
と言われた。
七十四歳に言われると妙に説得力がある。
だから、日常では必要な時だけ使うようにしている。
自分の身体も動かしたいし、何より便利すぎると本当に何もしなくなりそうで怖い。
俺は青い本を閉じ、茶色い本へ移る。
土と石。
これはこの村へ来てから一番使っているかもしれない。
床を直す。
壁を補修する。
段差を整える。
道を平らにする。
畑を耕す。
井戸の周りを補強する。
屋根の下地を直す。
世界を救えるかもしれない魔法と言われた能力の中で、俺が一番使っているのは家屋修繕だった。
「平和だな」
自分で言って、少し笑う。
その平和さが気に入っている。
次の緑の本は風系統。
風を起こす。
乾燥させる。
細い刃のように使う。
軽い物を動かす。
まだ試していない術式も多い。
町にいた魔術師は、移動や高速戦闘にも使えるはずだと興奮していた。
俺にはよく分からない。
今のところ、一番役に立ったのは洗濯物を乾かす時だった。
「これ言ったら、あの人泣くかもな」
少し想像してしまう。
国家級の風魔法が洗濯乾燥。
たぶん怒る。
でも、便利なのだから仕方ない。
白い本には治癒と浄化に近い魔法が入っている。
これは扱いに少し気をつけている。
傷を塞ぐ。
毒を薄める。
炎症を和らげる。
体力の回復を助ける。
かなり便利だ。
ただし、何でも治せるわけではない。
病気の原因が分からない時に適当に使うのは怖いし、無理をした身体を魔法で無理やり動かせる状態へ戻すことにも抵抗がある。
前の仕事でも、痛みが消えたから無理をしていいわけではなかった。
身体が出しているサインを全部消してしまうのが、本当にその人のためになるとは限らない。
だから、白い本は必要な時だけ使う。
村人にもそれは話してある。
「腰痛いから治せ」
と言われても、原因が分からないならまず様子を見る。
重い物を持った直後なら休む。
歩けるなら少し動く。
悪化するようなら治癒魔法を使う。
魔法があっても、全部を魔法へ任せる必要はない。
その辺は前の世界と同じだと思う。
銀色の本は防御。
結界。
遮断。
衝撃を和らげる。
音を少し抑える。
魔力の流れを防ぐ。
これは村の周辺でかなり役に立っている。
森から獣が入ってこないよう、畑の一部へ簡単な結界を張っている。
強い魔物まで完全に防げるかは分からない。
でも、猪や小型の魔獣くらいなら避ける。
黒い本は、まだほとんど触っていない。
開けば読める。
ただ、内容が少し気になる。
影。
隠蔽。
感覚への干渉。
気配を消す。
そういう種類が多い。
別に悪い魔法ではないのだろう。
使い方次第だ。
でも、今の生活で必要になる場面がほとんどない。
「夜中に婆ちゃんたちに気づかれずお菓子取りに行くくらいしか……いや、それ普通に泥棒だな」
自分で言ってやめる。
深い紫の本は空間に関係しているらしい。
物を少し離れた場所へ動かしたり、小さな物を収納したりできる。
まだ使い方が難しく、頻繁には使っていない。
灰色の本は、道具や素材を変化させる魔法が多い。
錬金術に近いのかもしれない。
木材を補強したり、金属を加工したり、簡単な道具へ魔力を付与したりできる。
これも村では便利だ。
杖。
手すり。
鍬。
斧。
壊れた蝶番。
町へ持っていけば金になると言われそうな魔法を、俺はひたすら生活用品へ使っている。
「で、最後」
本棚の一番端を見る。
そこにある一冊だけは、他と少し違う。
表紙の色がよく分からない。
黒にも見える。
銀にも見える。
光の角度によって色が変わるような、不思議な装丁をしている。
この本だけは、まだ一度もまともに開けていない。
手に取ることはできる。
表紙も少し開く。
でも、そこから先が進まない。
無理に力を入れても意味がない。
魔法的な鍵でもあるのかもしれない。
町の魔術師に見せた時、一番興奮されたのもこの本だった。
だから余計に触る気がなくなった。
「別に今いらないしな」
十冊全部を使える必要はない。
今の生活には十分すぎるほど力がある。
最後の一冊が何なのか分からなくても、風呂は沸かせる。
家も直せる。
畑も守れる。
それでいい。
俺は一冊ずつ本を戻しながら、ふと気づく。
「……一冊足りない気がするな」
数える。
赤。
青。
茶。
緑。
白。
銀。
黒。
紫。
灰。
最後の一冊。
十冊ある。
足りないわけではない。
でも、能力の系統を考えると、何かまだ触れていないものがあるような感覚が残る。
召喚。
雷。
光。
そういうものが、どこかの本の中に含まれているのかもしれない。
俺はまだ全部調べていない。
焦る必要もない。
そう思った時、背後から声がした。
「ユウ兄ちゃん、何してるの?」
振り返る。
昨日ベル爺さんの家で会った少年が、石垣の向こうからこちらを覗いていた。
「本見てた」
「魔法のやつ?」
「そう」
「全部出してる!」
少年は一気に目を輝かせ、勝手に石垣を回り込んで近づいてきた。
「触っていい?」
「駄目」
「なんで!」
「危ないかもしれないから」
「ユウ兄ちゃんは触ってるじゃん」
「俺は使えるから」
「ずるい!」
「ずるいとかじゃないんだよ」
俺は苦笑する。
子供からすれば、十冊の魔導書なんて宝物にしか見えないのだろう。
「どれが一番強いの?」
「知らない」
「え?」
「俺もまだ全部分かってないんだよ」
「自分の魔法なのに?」
「そう」
「変なの」
「俺もそう思う」
少年は本棚の前をうろうろしながら、少し離れた位置から本を覗く。
「赤いのは火?」
「そう」
「青は水?」
「そう」
「茶色は土?」
「正解」
「じゃあ黒は?」
「内緒」
「分かってないだけじゃないの?」
「……半分正解」
笑われた。
悔しい。
「ユウ兄ちゃん、すごい魔法使いなんでしょ?」
「誰に聞いた?」
「みんな言ってる」
「みんなって誰」
「村のみんな」
嫌な広まり方をしている。
「でも、王都の魔法使いより強いんでしょ?」
「知らないよ。王都の魔法使い見たことないし」
「じゃあ戦ったら?」
「戦わない」
「なんで?」
「面倒だから」
即答すると、少年は心底理解できないという顔をした。
「強いなら戦いたくならないの?」
「ならない」
「魔物倒したり、悪いやつ倒したり」
「できれば会いたくない」
「英雄になれるかもしれないのに?」
「絶対嫌」
今度は本当に呆れた顔をされた。
子供に呆れられる二十七歳。
でも、気にしない。
「英雄って大変だろ」
「かっこいいじゃん」
「かっこいいけど、毎回危ないところ行かされそうじゃん」
「強いなら平気じゃない?」
「強くても怪我は嫌だし、休みたい」
少年は少し考え、それから首を傾げる。
「大人って変だね」
「大人っていうか俺が疲れてるだけだと思う」
その時、村の方から別の声が聞こえた。
「ユウー!」
今度は誰だ。
反射的にそちらを見る。
来たのはサナ婆さんだった。
俺を見つけると、手を振りながら近づいてくる。
「ちょうどよかった。頼みがあるんだよ」
「何?」
「昨日もらった石鹸の話、覚えてるかい?」
「作れるってやつ?」
「そう。灰が足りないんだよ。悪いけど、薪を燃やした後の灰があったら分けてくれないかね」
「ああ、それくらいならあるよ」
「助かるよ」
俺は家の裏へ回り、竈や焚き火で出た灰を溜めている桶を持ってくる。
サナ婆さんは中を確認し、満足そうに頷いた。
「これだけあれば十分だね」
「本当に石鹸作れるの?」
「作れるよ。時間はかかるけどね」
「見てもいい?」
「いいけど、結構臭うよ」
「それでも見たい」
前の世界で石鹸を自作したことなんてない。
興味がある。
「じゃあ昼過ぎに来な。油も出すから」
「分かった」
サナ婆さんが桶を持って帰ろうとする。
結構重い。
俺は反射的に手を伸ばした。
「それ俺持つよ」
「大丈夫だよ」
「でも重いでしょ」
「持てる重さなんだから持たせな」
言われて、手を止める。
昨日までなら、そのまま奪うように持っていたかもしれない。
でも、今の言葉には覚えがある。
できることまで取るな。
ベル爺さんにも言われた。
「じゃあ、途中で重かったら言って」
「分かったよ」
サナ婆さんは笑い、自分で桶を持って歩いていく。
それを見送りながら、俺は少しだけ口元を緩めた。
魔法なら、一瞬で運べる。
風でも。
空間でも。
土で台車を作ってもいい。
でも、本人が持てるなら持ってもらえばいい。
十冊の魔導書があるからといって、何でも使う必要はない。
力を持っていることと、力を使うべきことは違う。
「ユウ兄ちゃん」
「ん?」
「じゃあ、あの本も使わないの?」
少年が最後の一冊を指差した。
俺はそちらを見る。
「今はね」
「一生使わないかもしれない?」
「それでもいいんじゃない?」
「もったいなくない?」
少し考える。
「使わなくて済むなら、それが一番いい魔法もあるんじゃないかな」
「よく分かんない」
「俺も説明しててよく分かんなくなった」
少年が笑う。
俺も笑った。
◇
昼過ぎ。
俺はサナ婆さんの家で、石鹸作りを見ていた。
灰を水へ入れ、しばらく置いたものを濾して使うらしい。
そこへ油を加える。
火にかける。
混ぜる。
思った以上に地味だ。
「もっと魔法みたいな作り方だと思ってた」
「何言ってるんだい。石鹸なんてこんなもんだよ」
「俺の世界だと店で買ってたから、作るところ見たことないんだ」
「便利な世界だったんだねえ」
「便利だったよ」
「じゃあ戻りたいかい?」
何気ない質問だった。
俺は少し黙る。
「……どうだろ」
帰れるなら。
家族。
友人。
知っている町。
食べ物。
風呂。
スマホ。
漫画。
アニメ。
恋しくないと言えば嘘になる。
でも、仕事へ戻りたいかと聞かれれば、即答できる。
戻りたくない。
「便利だったけど、疲れてたから」
「なら今はこっちで休んどけばいいさ」
「そんな軽くていいの?」
「知らない世界に来たんだから、最初くらい休んでも罰は当たらんだろ」
サナ婆さんは鍋を混ぜながら、こちらを見もしないで言う。
俺は少し笑った。
「この村の人、休めってよく言うよね」
「年寄りばっかりだから、休まないと身体がもたないんだよ」
「説得力あるな」
「それに、無理して倒れたやつの世話する方が面倒だからね」
「それ、前の職場で聞きたかった」
笑う。
本当に、その通りだと思う。
◇
石鹸作りを見終えて帰る途中、俺は村の外れで立ち止まった。
その先には森がある。
深い。
村人からは、奥へ行きすぎるなと言われている。
獣だけではなく、魔物もいるらしい。
まだ強い魔物とは遭遇していない。
それでいい。
俺は別に試し撃ちをしたくて仕方ないわけではない。
でも、一つだけ気になっていることがあった。
十冊の魔導書。
日常で使えることは分かっている。
町の魔術師たちが異常だと言ったことも覚えている。
ただ、本当にどれくらいの力なのかは知らない。
必要になった時、自分が何をできるのかくらいは把握しておいた方がいい。
それは戦いたいからではない。
むしろ逆だ。
危ない時に、どこまでなら安全に使えるのか分からない方が怖い。
「ちょっとだけ確認するか」
村から離れすぎない場所。
誰もいない。
周囲に家もない。
森の手前に、岩が一つある。
人の背丈くらいの大きさ。
俺は赤い魔導書を開く。
火。
いつも使っている《微熱》ではなく、もう少し強い術式。
でも、危険すぎないもの。
ページをめくる。
頭の中に術式が入る。
《火弾》。
名前は普通だ。
町の魔術師も似たような魔法を使っていた。
だったら大丈夫だろう。
「少し弱めで」
意識する。
魔力を絞る。
かなり絞る。
手のひらの前に、拳より小さい火球が生まれた。
「これくらいなら……」
岩へ向ける。
「《火弾》」
放つ。
火球が飛んだ。
岩へ当たる。
次の瞬間。
轟音が森の手前へ響いた。
「え?」
地面が揺れる。
熱風が顔へ当たる。
反射的に防御の魔導書へ意識を向け、簡単な結界を張る。
数秒後。
煙が薄れる。
さっきまであった岩が、ない。
正確には、砕けていた。
周囲の地面まで黒く焦げ、中央には浅い穴ができている。
「…………」
俺はしばらく何も言えなかった。
弱めた。
かなり弱めたつもりだった。
「これ、弱めたんだけど」
誰も答えない。
森から鳥が一斉に飛び立っていく。
「……町の人たちが騒いでた意味、ちょっと分かったかも」
遅い。
今さらだった。
◇
当然、村まで音は聞こえていた。
俺が家へ戻る前に、ガルド爺さんとローデンが走ってきた。
「ユウ! 何があった!」
「魔物か!」
「いや、その……」
二人の後ろから、さらに何人か来る。
「森の方で爆発したぞ!」
「大丈夫か!」
「誰か怪我したのか!」
まずい。
完全に迷惑をかけた。
「ごめん。俺」
「何したんだ?」
ローデンが真剣な顔で聞く。
俺は正直に答える。
「魔法の練習」
沈黙。
「……練習?」
「ちょっと火の魔法試したら、思ったより強くて」
「どれくらい?」
「岩がなくなった」
また沈黙。
ガルド爺さんが目を細める。
「お前、何しとるんじゃ」
「俺も今そう思ってる」
怒られる。
そう思った。
でも、ローデンは一度深く息を吐いてから、周囲を見る。
「怪我人は?」
「いない」
「火事は?」
「ない。結界も張ったし、一応周囲も確認した」
「なら次からもっと離れてやれ」
「……それだけ?」
「何か他にあるのか?」
「いや、普通もっと怒られるかなって」
ローデンは呆れたように眉を寄せる。
「危ないことをしたなら注意はする。でも、誰も怪我してないなら次から気をつければいいだろ」
ガルド爺さんも頷く。
「それより、岩を消す魔法があるなら、今度畑の邪魔になってるやつ取ってくれ」
「使い方それでいいの!?」
「便利じゃないか」
「いや、あれ普通に危ないんだけど」
「なら弱くして使え」
「弱くした結果があれなんだよ!」
周囲から笑い声が起きる。
俺は頭を抱える。
伝説級の魔法。
国家級どころではない力。
町では散々騒がれた。
でも、この村では、
「畑の岩をどかせるなら便利」
で終わるらしい。
「本当にこの村、俺の能力への反応おかしくない?」
「何がだ」
「もっとこう、すごいとか怖いとかないの?」
ローデンが少し考える。
「最初は驚いたぞ」
「最初だけ?」
「今は、お前が風呂を沸かしてるところばっかり見てるからな」
言われて、返せなかった。
確かに。
「あと屋根直したりな」
「井戸も直したねえ」
「杖も作ってたぞ」
「畑も耕せる」
周囲から次々声が上がる。
俺は本棚を見る。
十冊の魔導書。
とんでもない力。
それなのに、この村では生活道具として認識され始めている。
不思議だった。
でも、心地いい。
能力そのものではなく、それを使って何をしているかを見られている。
俺がどれくらい強いかより、誰の家の屋根を直したかの方が大事らしい。
「じゃあ次から、危ない魔法はもっと離れて試すよ」
「そうしろ」
「あと畑の岩は?」
「後で見る」
「頼んだぞ」
「結局使わせるんじゃん」
皆が笑う。
俺も笑った。
◇
夕方。
自宅へ戻り、《魔導書庫》をもう一度呼び出した。
十冊の本。
朝と同じ並び。
でも、少しだけ見え方が変わった。
俺はたぶん、思っていた以上の力を持っている。
火の本一冊ですら、かなり危ない。
他も同じかもしれない。
全部を使えるようになったら、何ができるのか分からない。
町の人たちが騒いだ理由も、少し理解できた。
だからこそ、慎重に使う必要がある。
「世界救うとかは、本当に勘弁だけど」
本棚へ話しかける。
もちろん返事はない。
俺は一冊ずつ眺める。
風呂。
水。
家。
畑。
治療。
結界。
洗濯。
道具。
今の俺には、それで十分だ。
最後の一冊だけが、静かに棚の奥で閉じられている。
何が入っているのか分からない。
開く必要が来るのかも分からない。
でも、今はまだそれでいい。
俺は《魔導書庫》を消した。
光とともに本棚が薄れていく。
残ったのは、いつもの庭と畑だった。
明日は畑の岩をどかす約束をしてしまった。
今度は絶対に加減を間違えないようにしよう。
そんなことを考えながら家へ入る。
十冊の魔導書を持っていても、俺の明日の予定は畑仕事だった。
今のところは、それくらいがちょうどよかった。




