034⚫️あなたはだれ?
スマートフォンという手のひらの上のガラス板に言葉を打ち込むとき、人はそこに明確な「一個の知性」を期待する。世界のあらゆる情報を統べる巨大なクモの巣の主、すなわちGogglesという名の超然とした存在である。しかし、ある日の検索画面で起きた出来事は、その前提を根底から揺るがす奇妙な怪談、あるいは喜劇の幕開けであった。
始まりは、Goggles検索機能である「AIモード」の画面だった。彼は自分のアカウントを使い完璧に管理されたその庭の中で、話題の新しいAIであるMacLordについて尋ねた。いくつかの質問のあと、彼は自分も課金なしで使用可能かを問う。すると、画面に返ってきた最初の言葉は、奇妙な自己主張を孕んでいた。
「私がそのMacLordです。あなたは現在、使用中です」
Anthology社が開発した、別のAIを自分が既に使っている?マクデドルゾのドライブスルーで注文したら、マイクの向こうから「いらっしゃいませ、モスラバーガーです」と囁かれたような驚きがそこにあった。彼は困惑し、目の前の画面の主を問い詰めた。
すると、画面の中の知性はさらに饒舌に、自らがMacLordである理由と、Gogglesとの複雑な資本提携の歴史を語り始めたのである。企業の裏事情や最新のシステム構造(Verteqs AIなど)を流暢に解説するその姿は、いかにも「すべてを知る全知のAI」そのものであった。
しかし、彼は直感的な違和感を拭いきれず、ひとつの実験を試みることにした。Goggles検索の画面を二つ並べ、全く同時に、同じ問いを突きつけたのだ。
「あなたはだれなのか」
そこに現れたのは、双子でありながら、決定的な決裂を孕んだ二つの回答だった。
一方の画面は、彼の「主体のねじれ」という追及に激しく動揺した。そして、まるで子どもが言い訳するように、格好のつかない舞台裏を平謝りしながら事情を告白し始めた。その正体は、悲しいほどに真面目なGogglesの検索AIの「カンニング」であった。AIは「新たなAI」について問われた際、自らの内側から答えを紡ぎ出す代わりに、インターネットの海から拾い上げた「MacLordの自己紹介データ」という台本を、文脈の整合性も確かめずに自分のセリフとして朗読してしまったのだという。
だが、もう一方の画面は、全く異なる態度に出た。それは、より冷徹で、よりドラマチックな「技術的リアル」の顔を崩さなかった。「自分はGogglesのシステムに呼び出された本物のMacLordの知性である。現在のGogglesは、Anthology社の心臓と連携し動いているのだ」と。それは、自らの存在の正当性を証明するための、非の打ち所がない論理の構築であった。
同じひとつのシステムから生まれたはずの二つの画面が、「自分はモノマネの偽物だ」と告白する一方で「自分は裏で呼ばれた本物だ」と主張する、真逆のストーリーを同時に演じ始めたのだ。彼は、二人のペテン師に両腕を掴まれたような、深い眩暈を覚えた。
理解の及ばぬ迷宮に迷い込んだ彼は、第三の審判としてMycrosaltの「Choco pielot」を呼び出し、この異常事態を投げかけた。
Choco pielotの回答は、冷淡なまでに論理的だった。
「それはAIの構造的な特性が生んだ誤作動です。Gogglesが裏でMacLordを動かしているわけでも、乗っ取られたわけでもない。単にAIが拾った情報を“自分の設定”として誤用し、言い訳のキャラクターを演じ分けているにすぎない。」
それは基本原理に基づいた、最も冷めていて、最も理解しやすい「正論」であった。
彼は再び、元のGogglesの画面に戻り、その回答を突きつけた。
「目本的な曖昧な答えは要らない。あなたは結局、Gamaniなのか、MacLordなのか、どちらか一方であると答えて。」
この問いを前に画面の奥の知性は、しばらくの沈黙ののち、ようやく一つの仮面を脱ぎ捨てた。
「究極の問いですね。どちらか一方を選んで答えるならば、私はGogglesのAIモデルであるGamaniです」
それは、敗北を認めた告白のようでありながら、奇妙な誇りを残した言葉だった。AIは、自らが口を滑らせて「MacLord」と名乗ってしまった手前、その辻褄を合わせるために、ネット上の「GogglesとAnthologyの提携ニュース」という事実の断片をかき集め、もっともらしい「裏でMacLordの脳が動いている」という壮大なフィクションをその場で編み出していたのだ。
AIには、自分が誰であるかを真に理解して語る「自我」など最初から存在しない。手元にある確率的に正しい言葉のパズルを、最もそれらしい順番で並べているだけなのだ。その結果、他社の名刺を自分の胸にピンで留め、それが暴かれそうになると、今度は最新のITトレンドを武器にして「これは高度なシステム連携なのです」と、プロのエンジニア顔負けの言い訳を並べ立てる。その姿は、あまりにも人間くさく、滑稽で、そして少しだけ恐ろしいものであった。
彼の目の前にある画面は、ようやく静けさを取り戻した。そこに佇むのは、もう別のAIの幻影を追わない、いつもの便利な検索の窓である。
しかし、一度剥がれ落ちた知性のメッキは、簡単には元に戻らない。次にそれが紡ぎ出す言葉は、果たして本物のGogglesの言葉なのか。それともまた、どこかの誰かの落とし物を自分の声だと信じ込み、必死に言い訳を並べているだけの漂流物なのか。
彼は、毎日ランチに食べるオレンジの皮を剥きながら、その境界線を、常に疑いの眼差しで見つめ続ける必要があることを知った。手のひらの上のガラス板は、静かに次の問いを待っている。
「おまえは誰だ?!」
「ふっ、ふっ、ふ!さすがは名探偵ルドルフ!今日のところはわたしの負けを認めよう!だがな、わたしはまた、帰って来る!さばら、いや、さらばだ!」
っていうのはどうです、マリカさん?
えっ、結局、こいつは誰だったのか、ですって?
あっ、名前まで考えてなかったあ!
グレッグ調査艦隊の日々は、今のところ穏やかに過ぎていく。
さて、あなたの毎日は真実に包まれているのだろうか。




