11 ー数馬ー (下条数馬)
すっかりハンター生活も会社員生活も板についた27歳の春、それは突然、数馬を襲った。
二重記憶の奔流である。
その少し前から、笹島課長の様子が変だ——と、数馬は気がついていた。
妙にそわそわした様子を見せるかと思うと、自分のデスクで書類に目を通しているときに、突然、にっと微かに口元に笑いを浮かべてみたり——。
とにかく、あの課長にしては珍しく落ち着きがないのだ。
何やら、白の魔導士の組織のあちこちに連絡をとっているようなのだが、それでいて、数馬や刈谷のような課内の魔導士には何の話もない。
何か、かなり込み入った話らしい——、と数馬は課長自身が話してくれるのを待つことにした。
ただ、その我慢は1日で済んだ。
翌日、下請けの営業マンと打ち合わせを終えた後、笹島課長は数馬と刈谷をデスクに呼んだ。
2人の白の魔導士がデスクの周りに集まると、課長はそこに結界を張った。
機密か——。このところの課長のそわそわの原因がいよいよ明かされるんだな、と数馬は少し期待した。面白い話だといいな・・・。
ちら、と刈谷の方を見ると、彼女もこちらを見ていて目が合った。
刈谷沙夜香は入社は数馬より2年後だが、大学を出ているため数馬よりも2つ年上だ。数馬はこういうとき、相手を立てて「先輩」扱いをする。このあたりが数馬の如才なさだった。
「まず、これを見てくれ。」
と、課長が開いたファイルブックに挟んであった図面を見て、2人は息を呑んだ。
「こ!・・・これは——!」
「ビオトープ・ネットワークだよ。」
魔法陣だ! 銀のドラゴンを呼び出すという——。
これまでに3つほど完成させた「都市内ビオトープ」をその中に含み、それをつなげて拡張して・・・・、あの「魔法陣」の形にしてしまっている。
「オレが、下請けに描かせた。」
ウソだ。
と数馬は見抜いた。
おそらく、「都市内ビオトープ」を最初に提案してきたあの『気鋭の孫請け社員』というヤツの仕事だろう。
そいつは魔導士なんだろうか?
一般人ではあるまい。一般人が「偶然」こんなものを提案できるはずがない。
課長は、これが表に出ることで降りかかってくるだろう「危険」を、一身に被ろうとしているらしい。
ならば、そいつは魔導士としても「戦闘力」は弱い魔導士なんだろう。これが表に出れば——予算を取るには出さざるを得ない——黒のヤツらも黙ってはいまい。
課長のウソは、そいつを守るためだ——と、数馬はそこまでは推理した。
課長にだって危険は及ぶ。
でも、まあ、ハンターである僕もいますから——。僕はこれから、なるべく課長から離れないようにしよう。
「そう剣呑な顔をしなくてもいい。下条——。すぐには暴力的な行動は起こさんだろうよ、向こうだって——。」
数馬は、内心を見事なほどに見透かされて少し耳を赤くした。
そんな数馬を見て、笹島課長は破顔した。
「ここに、あの下条数馬がいる——ってのは、向こうさんだって重々承知のことだからな。」
課長は、数馬のネームヴァリューを抑止力として使うつもりらしい。
数馬の心配をよそに、そこから先の1週間ほどは地味な事務仕事と根回しがメインになった。
こういうことになると、笹島課長のウデは天下一品だった。プレゼン前に、ほぼ8割がた確実——という状態にまで持っていってしまったのだ。
それだけではなく、どうやら孫請けの「発案者」にも、密かに護衛を手配していたようだった。
抜け目がない——というのは、この人のためにある言葉なんだろうな、と数馬は舌を巻いた。
だが「黒」の側も、黙って指をくわえているわけではなかった。
本庁の財務部門の方に手を伸ばしたらしく、そこから横槍が入った。
企画案は候補から外れた。
「竜崎との情報のパイプを遮断しろ。」
数馬と刈谷に課長から厳命が下った。
「刈谷は徹底的に予算を詰めろ。下条とオレは地主への根回しに回るぞ。」
この課長は、常に『もう一つ先』を用意している。
「準備期間が増えただけだ。1年後の予算会議には、通ると同時に工事にかかれるところまで詰めたものを持って行くぞ。」
その日の夕方、課長が少し慌ただしい動きを見せたのを、数馬は見逃さなかった。
結界を張って誰かと電話している。
「お先に——。」と言って帰る刈谷を「お疲れ様です。」と見送って、数馬は(もう少し課長の傍にいた方がよさそうだな——)と思った。
何か緊急事態が起こるかもしれない———。
そのうち、課長が廊下に出ていった。
数馬は、護衛のつもりで自分のデスクを離れて、後に続いた。課長は、窓際に立って外を眺めている。
そして——。
それが起こった。
突然、『別の記憶』が数馬の頭の中に洪水のように流れ込んできて、記憶が二重になったのである。
数馬はパニックになった。
そこに、老師からの直接の魔導通信が入った。
『下条数馬くん。君も選ばれたのだ。新しい記憶に従いたまえ。すでに2度目の経験者である笹島課長に指示を仰ぎなさい。』
数馬は、ふらふらと課長のもとに近づいた。
「課長・・・。何が・・・何が起こってるんです?」
笹島課長は数馬の方をふり返り、無理やりな感じの笑顔を見せた。
「今回は君も跳んだか——。」
それから、窓の外を指さして言った。
「見ろ。昨日までも同僚だった竜崎くんが帰ってゆく——。」




