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さようならユウマ

ユウマは、ダイチとショウを校舎の非常階段へ呼び出した。


「どうしたんだよ、急に」


ダイチが面倒そうに尋ねる。


ユウマは少し迷ったあと、愛想笑いを浮かべた。


「あのさ、悪いんだけど。俺、もうレンジのいじめから抜けるわ」


「あ?」


ダイチの目が細くなる。


「うち、母子家庭じゃん。学校から親を呼び出されたりすると、いろいろきついんだよ」


「お前、それってグループを抜けるってことか?」


ダイチの声が低くなった。


「まあ……そういうことになるかな」


次の瞬間、胸ぐらを掴まれる。


「てめえ、一人だけ逃げようとしてんじゃねえぞ」


ユウマの顔が苦しそうに歪む。


ダイチが拳を振り上げたところで、ショウが横から腕を押さえた。


「やめとけって」


「なんでだよ!」


「ユウマに手を出したら、あとで面倒になる」


ショウは階段の下を確認し、声を落とす。


「こいつ、女にだけは顔が広いだろ。殴ったなんて広まったら厄介だぞ」


「別にチクったりはしねえよ」


ユウマが胸ぐらを掴まれたまま続ける。


「ただ中立になるだけだ。お前らの邪魔もしない」


ダイチの表情がさらに険しくなる。


それでも、ショウの忠告を無視することはできなかった。


「……クソが」


乱暴に手を放す。


「ただし、もう俺らに守ってもらえると思うなよ」


ユウマは襟元を整えた。


「最初から、そのつもりだよ」


二人へ背を向け、非常階段を下りていく。


どうにか抜けられた。


これで、また葉月と話せる。


その期待だけが、ユウマの胸を満たしていた。



それからレンジは、直接やりとりができないユウマと葉月の間に立つようになった。


『元気にしてるって伝えて』


『今も葉月のことを忘れてない』


『あのときは本当に悪かった』


内容は短く、当たり障りのないものばかり。


それでもユウマは、葉月から返事が届くたびに何度も読み返した。


「次は何て言ってた?」


休み時間になると、周囲を気にしながらレンジの席へ近づいてくる。


「無理しないで、だって」


「それだけ?」


「うん。でも、心配してるんじゃない?」


ユウマの口元がわずかに緩む。


直接連絡は取れなくても、葉月はまだ自分を気にしている。


それだけで、失ったものが少しずつ戻ってくるように感じられた。


一方、学校でのいじめは明らかに減っていく。


デブゴンが消え、ユウマまでグループを抜けた。


ダイチは味方が多く煽られると強気になるタイプ。


ショウと二人きりになると、以前のような勢いは続かない。


廊下ですれ違いざまに肩をぶつける。


教科書を隠す。


聞こえるように悪口を言う。


嫌がらせ自体はなくならないものの、旧校舎へ連れ込まれてリンチされる回数は減っていた。


教室の隅で、レンジは静かに二人を観察する。


四人で固まっていた頃の力は、もう残っていなかった。



十日ほど経った昼休み。


レンジはユウマを校舎裏へ呼び出した。


周囲に生徒がいないことを確かめてから、声を落とす。


「葉月が、直接会いたいって」


ユウマの目が大きく開いた。


「本当か?」


「うん。親には絶対知られたくないから、家から離れた公園がいいって」


ユウマの顔に、一瞬だけ喜びが浮かぶ。


しかし、すぐに表情を曇らせた。


「でも、葉月の親にばれたらまずいんだよ」


「どうする? 会いたくないなら断っておくけど」


ユウマは黙り込み、落ち着かない様子で周囲を見回す。


「そんなにまずいの?」


「ああ。もし見つかったら、違約金まで取られるかもしれない」


「そっか…」


レンジは少し間を置いた。


「でも、このやり取りだって、いつまで続けられるか分からないよ」


それ以上は何も言わず、ユウマの返事を待つ。


葉月と会える最後の機会かもしれない。


ユウマはしばらく俯いていたが、やがて顔を上げた。


「……会う」


「分かった。葉月に伝えておく」


「絶対、誰にも言うなよ」


「もちろん」


レンジは穏やかに頷く。


ユウマは何度も念を押したあと、期待を隠しきれない顔で教室へ戻っていった。



約束の日。


ユウマは指定された公園へ、一人でやってきた。


ベンチや遊歩道を何度も確認するものの、葉月の姿はない。


代わりに、レンジが入口近くで待っていた。


「なんでお前がいるんだよ」


「こっち」


「葉月は?」


「奥で待ってるよ。人に見られたくないって」


レンジは木々に囲まれた遊歩道を進む。


枯れ葉を踏む音だけが、二人の間に続いていく。


やがて、人通りの少ない広場へ出た。


そこに立っていたのは、葉月ではない。


腕を組み、厳しい表情を浮かべる葉月の父親。


ユウマの足が止まった。


「……どうして、ここに」


「それはこっちが聞きたい。二度と葉月に近づかないと約束したはずだろ」


葉月の父親は、手にした書類を突きつける。


「この誓約書を忘れたのか?」


中絶費用は山岸家が全額負担。


慰謝料も請求しない。


その代わり、ユウマは今後一切、葉月へ近づかない。


約束に違反した場合は、百万円を支払う。


当時、ユウマの母親が何度も頭を下げ、ようやくその条件で収めてもらった。


「違います。俺は友達に呼ばれて……」


「まだ嘘をつくのか。全部知ってるんだよ」


父親は封筒から、数枚の紙を取り出した。


レンジとユウマのやり取りを印刷したものだった。


『公園で会う話だけど、葉月には3時に行けるって伝えてくれ』


『絶対に誰にも言うなよ。葉月と二人で話したい』


『親に見つかったらまずいんでしょ?』


『そうだよ、だら絶対に誰にも言うなよ』


『分かった』


「これは、お前が送ったメッセージだな?」


ユウマの顔から血の気が引いていく。


「後日、弁護士から連絡させる」


「待ってください。母さんにだけは……」


「今日のことは、君の母親にも学校にも伝える」


葉月の父親はそれだけ告げ、背を向けた。


ユウマが追いすがろうとしても、一度も振り返らない。


その姿が公園の外へ消えると、ユウマの膝から力が抜けた。


地面へ手をつき、荒い呼吸を繰り返す。


「なんで……」


レンジは少し離れた場所から、その姿を眺めていた。


そして、嬉しそうに小さく手を叩く。


「お前、どういうことだよ!」


ユウマが勢いよく立ち上がり、レンジの胸ぐらを掴んだ。


「葉月が会いたいって言ったんだろ!」


「言ってないよ」


「は?」


「葉月は、会いたいなんて一度も言ってない」


レンジの口元に笑みが浮かぶ。


「今日の約束は、全部僕が作った嘘だよ」


ユウマが拳を振り上げる。


その腕をレンジが掴み、外側へひねった。


「ぐっ!」


体勢を崩したところで足を払い、そのまま地面へ押さえ込む。


ユウマの顔のすぐ横には、昨夜の雨でできた水たまり。


レンジは後頭部を掴み、そこへ顔を押しつけた。


「ぶはっ! 離せよ!」


「葉月には、今のお前が何をしてるか教えてあげたよ」


「ああ!?」


「何人もの女の子と遊んでること。写真も一緒に送っておいた」


「本当に返ってきたメッセージは、"別れてよかった"だって」


笑いながら、さらに力を込める。


泥水が頬や髪を濡らし、制服の襟まで染み込んでいく。


「お、お前……最初から騙すつもりだったのかよ!」


ユウマは必死に顔を横へ向けながら叫んだ。


レンジはその耳元へ顔を近づける。


「どう? 心の底から見下してた相手に騙される気分は」


そう囁いてから、ようやく手を離した。


レンジはゆっくり立ち上がり、泥だらけのユウマを見下ろす。


「明日から、学校が楽しみだね」


ユウマは激しく咳き込み、何も答えられない。


レンジは満足そうに笑い、一人で公園をあとにした。



翌朝。


教室へ入ったレンジの目に、黒板いっぱいの文字と落書きが飛び込んでくる。


――山岸葉月を妊娠させて逃げた最低男のユウマくん。


――女の敵。やり逃げ男。人間のクズ。


――裸のユウマが股を広げている下品な落書き


黒板の前には生徒が集まり、スマホを向けていた。


写真はすでにクラスのグループチャットへ投稿され、ほかのクラスにも広まり始めている。


誰が書いたのか、皆分かっていた。


ダイチとショウは自分たちの席で笑いながら、周囲の反応を眺めている。


昨晩、デブゴンのときと同じように、匿名のアカウントからメッセージが届いた。


『山岸葉月が転校した理由は、ユウマが葉月を妊娠させ中絶させたから』


少し遅れてユウマが教室へ入ってくる。


いつもなら女子たちが声をかける。


しかし、その日は誰も近づかない。


仲の良かった女子まで、露骨に視線を逸らした。


ユウマは教室の異様な静けさに気づき、ゆっくり黒板へ目を向ける。


文字を読み終えた瞬間、顔が青ざめた。


皆、ユウマの方を向き、ひそひそと話し始める。


「マジ最低」


誰かが小さく呟く。


「中絶させたって本当なの?」


「もう近寄らないでほしい」


聞こえるように交わされる声。


ユウマは何も言い返せない。


そして下を向いたまま、教室を飛び出した。



それ以来、ユウマが教室に現れることはなかった。


葉月の父親から母親へ連絡が入った。


過去の約束を破ろうとしたこと。


再び葉月へ近づこうとしたこと。


すべてを知った母親は激怒し、ユウマのスマホを取り上げる。


数日後。


担任教師が、重い表情で教室へ入ってくる。


「ユウマは、家庭の事情で退学することになった」


教室のあちこちで、小さなどよめきが起こった。


レンジだけは、空席になったユウマの机をじっと見つめていた。


やがて両手で顔を覆う。


肩が小さく震え始めた。


泣いているように見えた。


しかし、指の隙間から覗く口元は、ゆっくりと吊り上がっていた。


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