レンジの家庭
「ただいまー。ごめんね、遅くなって」
玄関から、レンジの母親の声が聞こえた。
「おかえり」
レンジはリビングのソファに座り、テレビから目を離さずに答える。
買い物袋を提げた母親が部屋へ入ってきて、画面を見た瞬間、呆れたように笑った。
「あんた、またその映画見てるの? 何十回目よ」
レンジはリモコンを手に取り、一時停止を押す。
画面には、空手着を着た少年が映っていた。
「だって、この話好きなんだもん」
「毎回、同じところで喜んでるじゃない」
「いじめられっ子が空手を覚えて、最後にいじめっ子を倒すところがスカッとするんだよね」
レンジは楽しそうに説明する。
母親はほとんど聞いていなかった。
「はいはい。すぐ晩ごはん作るから、もう少し待っててね」
そう言いながら買い物袋を台所へ置き、エプロンを身につける。
レンジは再生ボタンを押した。
映画の中では、傷だらけの少年が何度倒されても立ち上がっている。
母親が包丁を使う音に混じり、テレビから歓声が響いた。
◇
夜になり、父親も仕事から帰ってきた。
三人は食卓を囲み、母親が作った肉じゃがを食べている。
父親は疲れた顔でビールを飲み、母親は空いた皿へ料理を取り分けていた。
「最近、学校はどうなの?」
母親が何気なく尋ねる。
レンジは箸を動かしながら、少し考えるふりをした。
「うーん。仲の良かったやつが一人、退学になっちゃったんだ」
「あら、この前もケイタ君って子が学校に来なくなったんでしょ?」
「うん」
母親の顔に心配そうな色が浮かぶ。
「最近は、そういう子が多いのかね」
父親がだるそうに呟き、ビールを口へ運んだ。
「レンジも何かあったら、お母さんにちゃんと言うのよ」
「何もないよ」
レンジは残っていたご飯を口へ入れ、すぐに立ち上がる。
「ごちそうさま」
食器を置き、そのまま自分の部屋へ向かった。
扉が閉まる音を聞いてから、父親が小さく息を吐く。
「おい。あんまり口を出すと、レンジがかわいそうだぞ」
「だって心配じゃない」
母親はレンジの茶碗を手に取り、流しへ運ぶ。
「中学のときの剣道部の事件だって、私たちが知ったのは事件の後だったのよ」
「あれは、レンジだけが悪かったわけじゃないだろ」
「だからこそよ。あの子、自分から何も言わないじゃない」
父親は何か答えようとしたものの、結局口を閉じた。
食卓には、テレビから流れる明るい笑い声だけが残った。
◇
自分の部屋へ戻ったレンジは、勉強机の引き出しを開けた。
中から一冊のノートを取り出す。
表紙には、大きく『ショウ』と書かれている。
ページを開けば、ショウについて調べた情報が細かな文字で並んでいた。
父親は会社員。
母親は専業主婦。
家庭は比較的裕福で、成績も上位。
中学時代からのダイチの親友であり、簡単に裏切ることはない。
教師の前では態度を変え、問題を起こしても自分だけは逃げられるように動く。
そして、同じ学校に通う幼馴染の彼女がいる。
名前は、山本 理央。
中学から付き合っており、交際期間は三年以上。
レンジはノートをめくりながら、静かに考え続けた。
デブゴンやユウマのように目に見える弱みはない。
しかし、ショウを残したままでは、ダイチを追い詰めるのは不可能。
こちらが何か仕掛ければ、すぐに気づく可能性もある。
「仕方ないか」
レンジはペンを置いた。
そして、ノートの端に書かれた一人の名前へ目を向ける。
柚希。
「柚希を使うか」
小さく呟き、椅子の背もたれへ体を預けた。
柚希は、少し前までダイチの彼女だった。
今はレンジと付き合っている。
しかしダイチは、柚希を奪った相手がレンジだとはまだ知らない。
ショウも同じだった。
それは、今まで隠してきた切り札。
使うなら、もっとも効果のある形にしなければならない。
レンジはノートの新しいページを開き、中央に一本の線を引いた。
左側へショウ。
右側へ柚希。
その二つの名前を、ゆっくりと線で結んだ。




