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ダイチから柚希を奪う

数か月前に話は戻る。


レンジは駅前にある居酒屋へ、アルバイトの面接に来ていた。


店内では開店前の準備が進み、厨房から食器のぶつかる音が聞こえている。


レンジは履歴書を膝の上に置き、呼ばれるのを待っていた。


金を稼ぎたいわけではない。


ダイチの彼女である柚希が、この店で働いている。


それを事前に調べていたからだ。


「お待たせ」


店長に呼ばれ、レンジは愛想のいい笑顔を作った。


数日後、採用の連絡が届いく。


レンジはすぐに店へ希望シフトを提出する。


柚希が働いている曜日と時間を選び、できる限り同じ時間帯へ名前を書いた。


偶然を装いながら、少しずつ近づくために。


柚希には、レンジがダイチと同じ学校に通っていることを伏せていた。


もし柚希がダイチに漏らせば、すべて水の泡になる。



アルバイトを始めて数日後。


閉店後の店内で、二人はテーブルを拭いていた。


ほかの店員は先に上がり、厨房から片づけの音だけが聞こえている。


「あの、柚希さん」


「なに?」


レンジは手を止め、真っすぐ柚希を見た。


「僕、柚希さんのことがめっちゃタイプなんです」


あまりに突然で、柚希は目を丸くする。


「えっ?」


「付き合ってる人とかいるんですか?」


柚希は困ったように眉を寄せた。


「うん。彼氏いるから」


「そうなんだ」


「てか、悪いけど彼氏いなくても、あんたじゃ無理だから」


期待を持たせるような言い方はしなかった。


レンジは少しだけ目を伏せる。


それでも、すぐに笑顔を作った。


「分かった。気持ちを伝えたかっただけだから」


「あっそ、オッケー」


柚希は軽く流す。


「友達だったらいいかな?」


「まあ、それくらいならいいよ」


そのときは、レンジの告白を特に気に留めていなかった。


少し変な男の子に好かれた。


ただ、それだけのこと。



それから、レンジは少しずつ変わっていった。


おかっぱのような前髪を上げ、髪を整える。


服装にも気を遣い、眼鏡をやめてコンタクトレンズに変えた。


「なんかさ、最近ちょっと雰囲気変わったよね」


休憩中、柚希が何気なく声をかける。


「本当に?」


「うん。前より全然いいと思う」


「柚希さんに振られたから、少しは頑張ろうと思って」


冗談めかして言うレンジに、柚希は苦笑した。


変わったのは見た目だけではない。


皆が嫌がるゴミ出しや油まみれの床掃除も、自分から引き受ける。


急に欠員が出れば、予定を変えて店へ入った。


酔った客に絡まれた店員がいれば、すぐにかけつける。


店長やほかの従業員からの評判も、日に日に良くなっていった。


最初はまったく好みではなかったはずなのに。


柚希は、気づけばレンジの姿を目で追うようになっていた。



柚希の誕生日から数日後。


仕事を終えた二人は、駅まで並んで歩いていた。


レンジが鞄から小さな紙袋を取り出す。


「これ、受け取ってほしいんだ」


「何?」


「誕生日プレゼント」


柚希が中を確認する。


小さな箱には、細いネックレスが入っていた。


派手ではないが、ひと目で安物ではないと分かる。


「おお、これブランドもんじゃん」


「喜んでもらえた?」


「うん。こんなのもらうの初めて」


ダイチからも誕生日プレゼントはもらっていた。


金色のラインが入った、ヒョウ柄のジャージ。


嬉しくなかったわけではない。


ただ、目の前のネックレスとは比べるまでもなかった。


「ごめん。やっぱり受け取れないよ」


「どうして?」


「私には彼氏がいるし、レンジと付き合う気もないから」


柚希は、はっきり伝えた。


レンジは傷ついた顔を見せず、穏やかに笑う。


「付き合ってほしくて買ったんじゃないよ」


「じゃあ、なんで?」


「僕が変われたのは、柚希さんのおかげだから」


「私、何もしてないけど」


「振られたから、もっとかっこいい男になろうと思えた」


レンジはネックレスの箱を閉じ、柚希の手へ戻す。


「いつか、柚希さんみたいな子と付き合えるかもしれないから」


「お礼だと思って受け取って」


それ以上、何も求めてこない。


柚希はネックレスを握りしめたまま、レンジの横顔を見つめる。


胸の奥が、わずかに熱くなった。


そのとき初めて、自分がレンジに惹かれ始めていることに気づいた。



柚希がダイチを好きになったのは、中学で目立つ存在だったからだ。


クラスの中心にいて、いつも周囲に人が集まる。


男子たちはダイチの顔色をうかがい、女子たちも楽しそうに話しかけていた。


そんな男に選ばれたことが、当時の柚希には誇らしかった。


しかし、年齢を重ねるにつれ、その姿が違って見えるようになる。


声が大きいだけ。


周りを従わせているだけ。


少しでも気に入らないことがあると、すぐに怒る。


以前なら頼もしく見えた部分が、子どもっぽく感じられた。


一方のレンジは、誰にも見られていないところで努力を続ける。


柚希の話を遮らず、最後まで聞いてくれる。


何かをしても、恩着せがましい態度を取らない。


比べるつもりがなくても、二人の違いは次第に大きくなっていった。


「またさ、彼氏と喧嘩したんだよ」


休憩時間になると、柚希はレンジへ相談するようになる。


「今日は何があったの?」


「私がメッセージ返さないだけで怒られた。自分は全然返さないくせに」


「それはきついね」


「しかも、私が謝るまでずっと無視するんだよ」


レンジはダイチを悪く言わない。


ただ柚希の話に頷き、静かに聞いた。


だからこそ、柚希はますますレンジへ頼るようになる。


レンジは柚希の好みを聞き出し、それに合わせて髪型や服装まで変えていった。


学校では相変わらず、伸びた前髪と地味な姿のまま。


しかし、バイトへ向かう前だけは髪を整え、服も着替える。


柚希の前にいるレンジは、学校にいるときとは別人のように垢抜けていた。



ある日の夜。


柚希から短いメッセージが届いた。


『今、会える?』


指定された公園へ行くと、柚希はベンチに座っていた。


「またダイチくん?」


レンジが隣へ座る。


柚希の顔には、明らかに泣いていた跡があった。


「私が男友達と話しただけで、ずっとキレられた。昔はそういうのも嬉しいと思ってたんだけどね」


呆れたように笑う。


「最近はもう、ガキにしか見えない」


レンジは何も言わず、その話を聞いていた。


「私、あいつの機嫌を取るために付き合ってるのかな」


レンジがそっと柚希の肩を抱いた。


柚希は一瞬だけ驚いたように目を見開く。


それでも離れようとはせず、そのままレンジへ体を預けた。


「レンジ……」


柚希が顔を上げる。


レンジは何も言わず、ゆっくりと顔を近づけた。


唇が重なる。


ほんの短いキスだった。


離れたあとも、柚希はしばらく目を閉じたまま動かなかった。


やがて頬を赤くし、レンジの胸へもたれかかる。


「もう、あいつのことで泣くなよ。俺が守るから」



その日から、柚希はダイチに隠れてレンジと会うようになった。


レンジは別れを急かさず、不満を聞きながら、柚希の気持ちが完全に離れるのを待つ。


そして頃合いを見て、静かに告げた。


「ダイチとは終わりにしたら?」


柚希はしばらく黙ったあと、静かに頷いた。


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