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最初の裏切り者

翌日から、美幸はデブゴンへ話しかけるようになった。


最初は朝の挨拶だけ。


「おはよう、ケイタくん」


本名で呼ばれただけで、デブゴンの顔が一気に緩む。


「お、おう。おはよう」


美幸が自分の席へ戻ったあとも、しばらくその背中を見つめていた。


「なんだよ、デブゴン。顔赤くね?」


ショウが笑う。


「うるせえよ」


「安野と何かあったのか?」


「別に、何もねえし」


そう言いながら、口元の笑みを隠せていない。


美幸は休み時間にも、ときどきデブゴンへ声をかけた。


授業で使うプリントを渡したり、提出物について尋ねたり。


夜になると、美幸からメッセージまで届く。


『今日の社会の小テスト、難しかったね』


デブゴンは画面を見つめたまま、有頂天になった。


少し迷ってから返信を送る。


『俺は余裕だったけどな』


もしかすると、自分にも彼女ができるかもしれない。


デブゴンは本気でそう思い始めていた。


レンジに対する態度にも、少しずつ変化が現れる。


ダイチがレンジの椅子を蹴り、転ばせたとき。


いつもなら真っ先に笑うデブゴンが、美幸の方を確認した。


美幸は何も言わず、冷めた目を向けている。


デブゴンは慌てて笑うのをやめた。


「おい、デブゴン。またレンジの弁当落としてこいよ」


ダイチに命じられても、すぐには動かない。


「どうした?」


「いや……先生来そうだし、やめた方がよくね?」


ダイチが眉をひそめる。


「あ?」


「だから、今はまずいって」


デブゴンはごまかすように笑い、再び美幸へ目を向けた。


好きな相手には、自分が卑劣な人間だと思われたくないらしい。


レンジは弁当を食べながら、その様子を静かに眺めていた。



数日後。


デブゴンのスマホに、美幸からメッセージが届いた。


――放課後、少し話せる?


指定されたのは、学校から離れたファミリーレストラン。


画面を見た瞬間、心臓が大きく跳ねる。


もしかすると、告白されるのではないか。


鏡の前で何度も髪を整え、普段は着ない新しいシャツまで選んだ。


待ち合わせ時間より二十分も早く到着し、店の前を何度も行き来する。


やがて美幸が姿を見せた。


「ケイタくん。待った?」


「いや、今来たとこ」


定番の台詞を口にしながら、デブゴンは笑顔を作る。


美幸に案内され、店の奥へ向かった。


そこで足が止まる。


席には、すでにレンジが座っていた。


しかも、美幸は当然のようにレンジの隣へ腰を下ろす。


「おい、なんでてめえがいるんだよ!」


デブゴンがレンジを睨みつけた。


レンジは黙ったまま、その視線を受け止めている。


「なんとか言えよ、てめえ」


掴みかかろうとした瞬間、美幸が口を開いた。


「お願い、ケイタくん。座って」


デブゴンは舌打ちし、向かいの席へ腰を下ろす。


「お前が呼び出したのかよ。説明しろ」


威嚇するように身を乗り出した。


レンジがようやく口を開く。


「あのさ、いじめるのをやめてほしいんだ」


「あ? 馬鹿かお前。そんなんやめるわけないだろ」


デブゴンは鼻で笑う。


しかし、レンジは目を逸らさない。


いつものおどおどした姿とは、何もかも違っていた。


「やめないなら、美幸さんのご両親に相談しようと思ってる」


美幸の肩がぴくりと動く。


「おい! 関係ない安野を巻き込むんじゃねえよ」


デブゴンが声を荒らげた。


「今からダイチくんたち呼んで、ボコってやろうか?」


ダイチの名前を出せば怯える。


そう思っていた。


ところが、レンジは背筋を伸ばしたまま微動だにしない。


デブゴンの目を、まっすぐ見返している。


「聞こえてんのかよ」


レンジは答えず、テーブルの水を一口飲んだ。


その余裕のある態度に、デブゴンの方が落ち着かなくなる。


「なんだよ……」


「美幸さんの両親が、二人とも教師なのは知ってる?」


「それが何だよ」


「美幸さんは、クラスにいじめがあるのが嫌なんだよね?」


レンジが隣を見る。


美幸は黙って頷いた。


デブゴンの表情から、少しずつ強気が消えていく。


「いじめをクラスからなくしたいと思ってる」


レンジが続ける。


デブゴンは鼻で笑った。


「ダイチたちがお前を許すわけないだろ」


「じゃあ聞くけど、僕がいなくなったら次の標的は誰かな?」


デブゴンの顔が固まる。


自分がいじめに加担できなければ、次は標的になる。


本人も、それをよく分かっていた。


「う、うるせえよ」


美幸は下を向き、両手を膝の上で握っている。


「ケイタくん」


小さな声が響いた。


「もう、いじめるのやめた方がいいよ」


デブゴンは笑ってごまかそうとする。


「違うんだよ。俺はダイチに言われて――」


「本当はやりたくないんでしょ?」


その一言で、顔が強張る。


美幸から嫌われたくない。


それでも、ダイチの言うことを聞かなければ今度は自分が標的になるかもしれない。


デブゴンは黙り込んだ。


レンジは迷う様子を眺め、口元に薄い笑みを浮かべる。


「別に、急に仲間をやめなくていいよ」


「どういうことだよ?」


「今まで通り、ダイチたちと一緒にイジメてかまわない。僕をかばう必要もない」


デブゴンが怪訝な顔を向ける。


「ただ、少しだけ手伝ってほしいんだ」


「何を?」


「証拠集め」


レンジは声を落とした。


「いじめの動画を率先して撮ってほしい。それだけでいい」


「それだけ?」


「うん。ばれないようにね」


「それくらいなら、まあ……」


レンジはテーブルの下で、美幸の手を軽くつつく。


美幸もデブゴンへ目を向けた。


「ケイタくん。私からもお願い」


その一言で、デブゴンの抵抗は消えた。


しばらく黙ったあと、大きく息を吐く。


「……分かったよ」


「本当に?」


美幸が尋ねると、デブゴンは勢いよく頷いた。


「証拠の動画を撮るの、手伝ってやるよ」


少しでも頼れる男に見られたい。


その気持ちだけが、声を大きくしていた。


「ありがとう」


美幸が微笑む。


デブゴンは嬉しそうに顔を赤くした。


向かい側では、レンジも静かに笑っている。


デブゴンは、美幸に微笑まれたことしか見えていない。


この裏切りの代償を知ることになるとは、まだ思ってもいなかった。



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