文化祭
文化祭当日。
校舎の正門には色とりどりのアーチが設置され、朝から多くの生徒や一般客が行き交っていた。
廊下には模擬店の看板が並び、焼きそばやクレープの甘い匂いが混ざり合っている。
教室からは呼び込みの声が響き、普段の学校とはまるで別の場所のように賑わっていた。
レンジたちのクラスは、教室を使ってタピオカドリンクの店を開いている。
入口には手作りの看板。
窓には色紙で作った飾りが貼られ、教室の奥では生徒たちが慌ただしく動き回っていた。
「レンジ、黒糖ミルク二つ!」
「分かった。こっちは僕が作るよ」
「ストロー足りない!」
「机の下の段ボールに入ってる」
レンジは注文を受けながら、周囲へ的確に指示を出していく。
気づけば、店の中心にいるのはレンジだった。
以前なら、教室の隅で俯いていた少年。
何を言われても逆らわず、クラスメイトから目を逸らされていた存在。
今では誰もが当たり前のようにレンジを頼り、名前を呼んでいる。
「海斗、次のお客さんお願い」
「う、うん」
エプロンをつけた海斗が、緊張した顔で商品を受け取る。
「ありがとうございました」
声はまだ小さい。
客へ商品を渡し、少し照れたように笑う海斗を見て、レンジも満足そうに頷いた。
教室には笑い声が絶えない。
誰もダイチの名前を口にしなかった。
まるで最初から、そんな生徒はいなかったかのように。
◇
その頃。
ダイチは、ショウの住むマンションを訪れていた。
呼び鈴を鳴らすと、ショウの母親が気まずそうな顔で玄関を開ける。
「ショウくん、いる?」
「いるけど、まだ学校には……」
「ちょっと話したいんです」
母親は少し迷ったあと、ダイチを中へ通した。
ショウの部屋。
鼻の固定具はすでに外れている。
腫れも引き、見た目だけなら以前とほとんど変わらない。
しかし、ショウはベッドに座ったまま、学校へ戻ろうとはしていなかった。
レンジと顔を合わせるのが怖い。
「なあ、ショウ」
ダイチはベッドの前に立った。
「いい加減、学校来てくれよ」
「文化祭なんか行ってどうすんだよ」
「レンジのクズが、最近調子乗ってんだよ」
その名前を聞いた瞬間、ショウの表情が変わった。
無意識に鼻へ手を伸ばす。
骨折したときの痛みが、再び蘇ったようだった。
「ダイチ。もうレンジには関わらない方がいい」
「は?」
「関わらない方がいいんだって」
「なんでだよ」
ショウは答えられない。
レンジに一発で鼻を折られたこと。
自宅で痛めつけられ、土下座までさせられたこと。
動画や写真を奪われ、完全に弱みを握られていること。
そんな話を、とてもじゃないがダイチに出来なかった。
「とにかく、一緒に学校来てくれよ」
ダイチの声が弱くなる。
「もう一人は嫌なんだよ」
ショウは顔を上げた。
以前のダイチなら、そんなことは絶対に口にしなかった。
周囲に人がいるのが当然。
誰かが自分に従うのも当然。
それがすべて消えた今、ダイチはただの孤独な高校生になっている。
ショウは長く息を吐いた。
「文化祭を見るだけだからな」
「分かってるって」
ダイチの顔に、久しぶりの笑みが浮かんだ。
二人は並んで学校へ向かった。
◇
「おーい、レンジ!」
聞き慣れた明るい声に、レンジが振り返る。
教室の入口で、柚希が大きく手を振っていた。
「来てくれたんだ」
「約束したじゃん。ちゃんと案内してよ」
レンジは嬉しそうに笑い、海斗へ声をかけた。
「少し抜けても大丈夫?」
海斗は頷く。
「うん。こっちは任せて」
「ありがとう」
レンジはエプロンを外し、柚希の隣へ並んだ。
柚希は自然にレンジの腕へ手を回す。
二人は人で賑わう廊下へ出ていった。
――数分後
教室の後ろの扉から、ダイチとショウが入ってくる。
海斗は二人の姿を見た瞬間、手に持っていたカップを落としそうになった。
体が強張り、顔から笑みが消える。
「おい」
ダイチが店内を見回した。
「レンジはどこだよ」
海斗はすぐには答えられない。
それでも、周囲の生徒たちがこちらを見ていることに気づき、なんとか声を絞り出した。
「私服の女の子と……どこかへ行った」
「女?」
ダイチが眉を寄せる。
ショウは背後で黙ったまま、嫌な予感を覚えていた。
ダイチは舌打ちし、教室を出る。
「探すぞ」
「もう放っておけって」
「いいから来い」
ショウは帰りたかった。
見つけるな、そう思いながら仕方なく後を追った。
◇
ダイチとショウは校内を歩き回った。
二階の模擬店。
中庭のステージ。
廊下に並ぶ展示。
どこを探しても、レンジの姿はない。
やがて三階にある写真部の展示教室へ入る。
壁一面に風景写真や人物写真が飾られ、一般客がゆっくりと作品を眺めていた。
ダイチが辺りを見回したとき、窓際にいる二人が目に入る。
レンジの腕へ、自分の腕を絡ませている少女。
ショウが目を細めた。
「おい……あれ、柚希じゃないか?」
ダイチの顔が一気に赤く染まる。
「柚希!」
突然の怒鳴り声に、教室中の視線が集まった。
「なんで、そんな奴と一緒にいるんだよ!」
柚希は驚き、レンジの腕を強く掴む。
「やば。ダイチだ」
「とりあえず、体育館へ逃げよう」
レンジは焦る様子を見せない。
むしろ、最初からそのつもりだったように柚希の手を取った。
二人は反対側の扉から教室を出る。
「待てよ!」
ダイチが客を押しのけながら追いかける。
「なんでレンジが柚希と……」
怒りで呼吸が荒くなっている。
ショウはその背中を追いながら、レンジの意図に気づき始めた。
あいつは逃げているんじゃない。
人の多い場所へ、ダイチを誘導している。
「ダイチ、待て!」
ショウが呼び止めても、ダイチは振り返らない。
廊下の先では、レンジが一度だけこちらを振り返った。
その顔は鬼ごっこから逃げる子どものように笑っていた。




