逆転
数日後。
クラスでは、再来週に迫った文化祭の準備が進んでいた。
机を教室の端へ寄せ、床には新聞紙を広げている。
何人かの生徒が、大きなベニヤ板へペンキで絵を描いていた。
「そこ、もう少し青くした方がよくない?」
「じゃあ、レンジ塗ってよ」
「分かった」
レンジも輪の中に入り、率先して作業を手伝っている。
教室には笑い声が絶えず、以前とはまるで違う空気が流れていた。
一方、ダイチは準備に加わらない。
一人でいることを隠すように、休み時間になると教室から姿を消していた。
そのとき、前の扉がゆっくりと開く。
教室へ入ってきたのは、小柄な男子生徒だった。
半年前、ダイチたちのいじめによって不登校になった海斗。
久しぶりの教室に緊張しているのか、入口で立ち尽くしたまま周囲を見回している。
最初に気づいたレンジが手を振った。
「海斗、こっち」
海斗は少し迷ったあと、恥ずかしそうに輪へ加わる。
「ここ、塗ってくれる?」
「う、うん」
渡された筆を握り、恐る恐る色を塗り始めた。
周囲の生徒たちも、特別扱いはしなかった。
それがかえって、海斗にはありがたかった。
しばらくして、後ろの扉からダイチが戻ってくる。
手伝う気などないらしく、後方のロッカーへ寄りかかった。
そこで海斗の姿を見つけ、口元を歪める。
「あれ、海斗じゃん」
呼ばれた海斗の手が止まった。
「お前、なんで学校来てんだよ」
ダイチが半笑いを浮かべながら近づいてくる。
「二度と来るなって言ったよな?」
海斗は顔を強張らせ、筆を持ったまま動けない。
すぐにレンジが立ち上がり、二人の間へ入った。
教室内の声が消える。
クラスメイトたちは、レンジとダイチを見つめていた。
「海斗に構うな」
レンジは真っすぐダイチを睨む。
「てめえ、誰に向かって口きいてんだよ」
ダイチが顔を近づけても、一歩も引かない。
「お前なんか、一人じゃ何もできないだろ」
その言葉に、ダイチの顔が引きつった。
「うるせえ!」
ダイチはレンジへ飛びかかり、そのまま床へ押し倒した。
女子生徒の悲鳴が上がる。
しかし次の瞬間、周囲にいた男子たちが一斉にダイチを引き離した。
「やめろよ!」
「先生呼んで!」
何人かの生徒が廊下へ飛び出す。
自分を取り囲むクラスメイトたちを見て、ダイチの表情が変わった。
以前なら、誰も動かなかった。
全員が目を逸らし、見て見ぬふりをしていたはず。
ダイチは何も言えず、そのまま教室を飛び出した。
その日は、ダイチは二度と戻ってこなかった。
◇
翌朝。
いつもより少し遅れて登校したダイチは、自分の席を見て固まった。
一番後ろに置かれていたはずの机と椅子がない。
「誰がやったんだよ!」
大声を上げても、クラスメイトたちは一瞬見るだけ。
すぐにそれぞれの会話へ戻っていく。
「おい! これ誰がやった!」
隣の女子生徒の肩を掴む。
「痛い!」
女子が声を上げると、周囲の男子たちがすぐに立ち上がった。
「手離せよ」
「また先生呼ぶぞ」
ダイチは舌打ちし、ようやく手を放す。
「お前ら、こんなことしてただで済むと思うなよ!」
そこへ騒ぎを聞きつけた担任が入ってきた。
ダイチはすぐに机と椅子がなくなったことを訴える。
「先生! こいつらが俺の机を隠したんだよ!」
すかさずレンジが手を上げた。
「机と椅子なら、焼却炉の近くで見ました」
担任の動きが止まる。
以前、同じことをされたレンジには、自分で探してくるよう告げた。
教室中が、そのことを覚えている。
レンジは担任の目を見つめたまま、視線を逸らさない。
「……ダイチ。自分で取ってきなさい」
担任は気まずそうに言った。
ダイチは文句を吐きながら教室を出る。
焼却炉の前には、机と椅子が置かれていた。
机を持ち上げようとした瞬間、異様な重さに気づく。
中には教科書と一緒に、大量の泥が詰め込まれていた。
ダイチは校舎を見上げる。
教室の窓には、レンジやクラスメイトたちの姿。
誰も笑ってはいない。
それでもダイチには、全員が自分を笑っているように見えた。
◇
その日から、立場は完全に逆転した。
教科書への落書き。
体操着を隠される。
鞄の中に泥をいれられる。
ダイチがレンジへしてきた嫌がらせが、少しずつ自分へ返ってくる。
しかも、クラスの誰も口をきこうとしない。
それでもダイチは、暴力ならまだ勝てると思っていた。
昼休み。
レンジが海斗と教卓の前で話していると、ダイチが不敵な笑みを浮かべて近づいてきた。
「おい。ケツ蹴り我慢勝負しようぜ」
先行後攻に別れて交互に尻を蹴るだけの単純な遊び。
だが、弱い側は報復を恐れ、本気で蹴ることができない。
ダイチがいじめのために考えた遊びだった。
海斗が怯えたように目を伏せる。
「俺がやるよ」
レンジが前へ出た。
じゃんけんの結果、先攻はダイチ。
「よく見とけよ!」
ダイチは周囲へ声をかけアピールする、そしてレンジを教卓へ手をつかせる。
そして助走をつけ、太もものあたり思いきり蹴りを入れた。
衝撃でレンジの膝が床へ落ちる。
何人かが止めようとするが、レンジは片手を上げて制した。
「まだやるのか?」
ダイチが笑う。
レンジは黙って頷いた。
今度はダイチが教卓へ手をつき、余裕を見せながら尻を突き出す。
以前もレンジに蹴らせたことはある。
だが、仕返しを恐れた軽い蹴りばかりだった。
レンジは数歩下がった。
そして勢いよく踏み込む。
レンジの蹴りはなんの迷いもなくダイチの股間に向けられた。
鈍い音が響いた。
「がっ……!」
ダイチは股間を押さえて床へ崩れ落ちた。
「ごめん。ダイチ。間違えちゃった」
レンジは申し訳なさそうに言う。
しかし、口元には薄い笑みが浮かんでいた。
教室中から笑い声が上がる。
涙目のダイチを囲むように、その声は大きくなっていった。
「じゃあ、次はダイチの番だよ」
レンジが尻を向ける。
ダイチは立ち上がれない。
仮に蹴ったとしても、また同じものが返ってくる。
「……もういい」
絞り出すように言い、股間を抑えながらその場を離れた。
それ以来、ダイチは暴力でクラスを支配できなくなった。
露骨に手を出せば、すぐに教師を呼ばれる。
遊びを装えば、今度は自分がやり返される。
居場所を失ったダイチは、次第に学校を休むようになっていった。




