レンジの過去
ショウの部屋。
理央が出て行ったあとも、ショウはベッドの上で動けずにいた。
レンジのやつ、いったい何者なんだ。
学校では俯き、何をされても抵抗しない。
殴られれば倒れ、命令されれば従う。
ずっと、そういう人間だと思っていた。
だが、実際は違う。
ショウの鼻を一発で折り、脅しの材料まで用意していた。
デブゴンとユウマが学校から消えたのも、あいつが仕組んだのではないか。
このままでは、自分もダイチも潰される。
その前に、レンジの正体を暴かなければならない。
ショウは必死に記憶を探った。
クラスに、レンジと同じ中学出身の生徒はいなかったはず。
「いや……待てよ」
一人だけ思い当たる。
半年前まで、同じ教室にいた男子生徒。
「ちょっと出かけてくる」
上着を羽織り、部屋を出た。
「ショウ、まだ安静にしてなさい!」
母親の声を無視し、そのまま玄関を飛び出す。
◇
ショウが訪れたのは、住宅街にある一軒家。
半年前、レンジがいじめから助けようとした生徒の家だった。
インターフォンを押すと、女性の声が返ってくる。
『はい』
「海斗くんのクラスメイトです。少し話したくて」
しばらくして、警戒した様子の母親が玄関を開けた。
「海斗を呼んできます。ここで待っていてください」
十分ほど経ち、扉がゆっくり開く。
現れたのは、小柄な少年。
海斗はショウを見た瞬間、肩を強張らせた。
「あ、あの……僕、もう学校には行かないから」
声が震えている。
ショウは気まずそうに頭をかいた。
「今日は、いじめに来たんじゃない」
海斗は疑うような目を向けたまま、黙っている。
「レンジのことを教えてほしい」
その名前を聞き、海斗の表情がわずかに変わった。
しばらく迷ったあと、小さく扉を開く。
「……入って」
◇
海斗の部屋。
机の上には、学校から届けられたプリントが積まれていた。
ショウが座ると、海斗の母親がお茶を運んでくる。
「ありがとうございます」
頭を下げるショウを見て、母親は驚いたような顔をした。
二人きりになると、海斗が遠慮がちに尋ねる。
「レンジくんの、何が知りたいの?」
「あいつさ……いったい何者なんだ?」
「何者って?」
「ずっと、お前の代わりに俺らからいじめられてたんだよ」
海斗は下を向いた。
「でも今は逆だ。デブゴンもユウマも学校から消えた。俺も怪我をさせられた」
ショウは鼻の固定具へ触れる。
「レンジのやつ、わざといじめられてたんじゃないかと思ってる」
部屋に沈黙が落ちた。
やがて、迷うように顔を上げた。
「か、関係あるか分からないけど……」
「レンジくんは、中学のとき剣道部だったんだ」
海斗は、膝の上で手を握ったまま話し始めた。
◆
その中学校の剣道部は、県大会でも上位に入る強豪だった。
部員数も多く、顧問は厳しいことで知られている。
だが、厳しいのは稽古だけではなかった。
上級生が下級生を鍛える。
そんな名目で、暴力や嫌がらせが当たり前のように行われていた。
防具をつけないで打ち合いをさせる。
何キロも防具をつけたまま走らされる。
少しでも逆らえば、背中や太ももを竹刀で思いっきり叩く。
気が弱そうで、大人しく見えたレンジは格好の標的になった。
入部して間もない頃から、毎日のように上級生に呼び出されていたという。
それでもレンジは休まなかった。
何をされても黙って道場へ現れ、言われたとおりに頭を下げていた。
上級生たちは、完全に逆らえない奴だと思っていた。
ある日の放課後。
道場から大きな悲鳴が響いた。
部員たちが駆けつけると、上級生の男子が腕を押さえて床にうずくまっている。
その前には、木刀を握ったレンジが立っていた。
「おい、やめろ!」
上級生が取り押さえようと近づく。
レンジは何も答えず、木刀を横へ振り抜いた。
防具をつけていても、木刀と竹刀では衝撃がまるで違う。
胴を打たれた部員が倒れ、別の上級生はみな後ずさりをする。
それでもレンジは止まらない。
近づく者へ向けて、なんの迷いもなく木刀を何度も振り回した。
顔には怒りも焦りもなかった。
ただ無表情のまま、相手が逃げるまで木刀を振り回し続けた。
最後は、駆けつけた顧問が背後から抱きつき、数人がかりでようやく木刀を取り上げた。
当然、大問題になった。
レンジは生活指導の教師や保護者の前へ呼び出される。
そこで初めて制服を脱ぎ、腕や背中に残った傷を見せた。
赤黒い痣。
竹刀で叩かれた跡。
何本ものみみず腫れ。
日常的ないじめがあったことは、誰の目にも明らかだった。
だが、学校は剣道部を守ろうとした。
強豪部で暴力事件が起きたと知られれば、顧問も学校も責任を問われる。
結局、事件は部員同士の喧嘩として処理された。
上級生にも軽い指導が入り、レンジにも反省文が課された。
それで無理やり終わりにされた。
「昔から切れると、何をするかわからない危ないやつってことか?」
ショウが口をはさむ。
海斗は黙って首を振る。
「でも、怖いのはそのあとなんだ」
レンジは剣道部を辞めなかった。
翌日も、何事もなかったように道場へ現れた。
顧問が何度も退部を勧めても、レンジは首を縦に振らない。
「どうして僕だけ辞めるんですか?」
そう聞き返し、道場に居座り続けた。
部員たちは、次第にレンジを避けるようになった。
上級生は一人、また一人と退部していく。
三年生が引退する頃には、剣道部に残っている者は半分以下になっていた。
そしてレンジは、自ら部長へ立候補した。
反対する者はいなかった。
部長になってから、道場での稽古はほとんど行われなくなる。
レンジは美化活動と称し、毎日部員たちに校内清掃をさせた。
学校のまわりのゴミ拾い。
トイレ掃除。
倉庫の整理。
竹刀を握る時間より、箒を持つ時間の方が長い。
全く稽古をさせてもらえない、剣道部は急速に弱くなった。
それまで県大会で上位だったチームが、公式戦ではすべて一回戦か二回戦で負け。
顧問が稽古を命じても、レンジは美化活動を優先した。
「きれいにすることは、大事な事ですから」
そして試合に負けるたび、満足そうに笑ったという。
◆
話を聞き終えたショウは、何も言えなかった。
自分たちは、ただのいじめられっ子を相手にしていたのではない。
追い詰められたら反撃する人間でもない。
相手が築いてきたものを、時間をかけて徹底的に壊す。
そんな男を、半年間も笑いながら痛めつけていた。
「……マジかよ」
ショウの背中に、冷たい汗が流れた。




