第32話 トリノ・エロティック・パピルス――神殿の村に残った、世界最古級の性の巻物
イタリア・トリノのエジプト博物館に、細長く破れたパピルスがある。登録番号はPapyrus Turin 55001。通称、トリノ・エロティック・パピルス。
全長およそ2.6メートル、高さ約25センチ。文字はほとんどなく、絵だけで進む巻物です。作成は新王国時代、よく挙げられるのは紀元前1150年頃、ラムセス3世の時代。近年は様式から、一世代前の第19王朝(ラムセス2世期)とする説もあります。いずれにせよ、今からおよそ3,100年以上前です。
出土地は、王家の谷の墓を掘り、壁画を描いた職人村デイル・エル=メディナと考えられています。王墓を作る職人・書記・画家が暮らした場所です。公式の神殿壁画には絶対に出ない絵が、同じ職人の手で、別の紙に残されました。
発見と沈黙
1820年頃に発見され、1824年、ドロヴェッティ・コレクションとともにトリノへ入ります。ヒエログリフを解読したシャンポリオンも、この巻物を見ました。兄への手紙で、彼は「途方もない猥褻さの絵」と書いています。
それから長いあいだ、倉庫にしまわれました。本格的に研究されたのは20世紀後半です。「世界最古の男性向け雑誌」という呼び方は後世の冗談ですが、それほど特異な一点です。同じ密度で性場面を並べたパピルスは、ほかに見つかっていません。
巻物は二つに分かれる
右から左へ読みます。巻物は、一見まったく別の二部からなります。
第一部は動物の諷刺。動物が人間の仕事をしています。猫がガチョウを散歩させる。ネズミが猫の町を攻める。動物が楽器を奏でる。カバが木の上にいて、カラスが梯子をかけて登る。いわゆる「逆さまの世界」です。エジプト美術では、秩序の反対として、こうした転倒が諷刺に使われました。
第二部は人間の性場面。約12の小場面が続きます。交わりの最中、その前後。男性は短躯で禿げかかり、性器が極端に大きく描かれ、理想の美男子ではありません。女性はしなやかで、ハトホルに結びつく蓮、シストルム、香水のコーンなどの持ち物を持つ場面もあります。室内、あるいは宴のあとの空間のように見えます。
二つの部が同じ巻物にあること自体が謎です。単なる春画なら、動物劇は不要です。単なる童話なら、性場面は不要です。
何のための絵か
解釈は、今も割れています。
一つは、私的な娯楽、すなわちポルノグラフィ説。職人村の男性向けに描かれた、という読みです。
二つめは、諷刺説。理想の身体から外れた男、誇張された行為、動物の「逆さまの世界」を並べ、上流や聖職者、あるいは男らしさそのものを笑い者にしている、という見方です。近年は「支配的な男性性のパロディ」と読む研究者もいます。
三つめは、宗教・祭礼説。デイル・エル=メディナにはハトホル神殿がありました。ハトホルは愛・音楽・酔・豊穣の女神で、ナイルの氾濫と「遠方の女神」の帰還を祝う祭りでは、酒と性的な高揚が儀式の一部でした。2025年の再検討では、この巻物を私的ポルノではなく、氾濫と豊穣の祝祭に連なる視覚物語とする説も出ています。動物の話は女神を歓待する芸能、性場面は祭りの夜の熱狂、という読みです。
決定打はありません。一点しかない資料は、どれにも読めます。
なぜ残ったのか
公式エジプトは、性を壁画の主題にしません。愛の詩はあっても、体位を連ねた絵巻は、神殿の壁には描けません。だからこそ、このパピルスは貴重です。
王の永遠を描く同じ職人が、別の紙に、笑いと欲望と転倒を描いた。検閲されたのではなく、用途が違ったのです。神殿用と、村の夜用。
トリノの巻物は、こう語っています。
古代エジプトにも、墓の外側の人生があった。そこには酒があり、冗談があり、身体があり、三千年後の研究者が今も顔を赤らめて議論する絵が、残っていた、と。
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