第30話 オファニム――エゼキエルが見た「車輪の中の車輪」
紀元前6世紀。バビロン捕囚のただ中、ケバル川のほとりで、祭司エゼキエルは幻を見たと記されています。
旧約聖書『エゼキエル書』の成立は、およそ紀元前593年から571年頃とされます。その第1章に登場するのは、後世の天使画に出てくる白い翼の少年ではありません。人の姿を大きく逸脱した、四つの顔を持つ生き物と、目で満ちた車輪です。
本文に書かれていること
エゼキエル書1章の描写は、おおよそこうです。
北から嵐のような風が来て、雲と火の輝きがある。その中から四つの生き物が出てくる。それぞれに四つの顔と四つの翼がある。顔は、人・獅子・牛・鷲。足はまっすぐで、足の裏は子牛のよう。翼の下には人の手がある。行くときは向きを変えず、顔の向いた方向へまっすぐ進む。
そして15節以降、車輪が現れます。
生き物の傍ら、地の上に輪がある。四つとも同じ形で、緑柱石のように輝く。その作りは、あたかも輪の中に輪があるようであった。行くときは四方のどこへでも行き、向きを変えない。輪縁の周囲は、目で満ちていた。
10章では、この生き物はケルビムだと明示されます。車輪のほうは、ヘブライ語で「オファン」(車輪)と呼ばれます。後のユダヤ伝統で、この車輪そのものが天使の階級として独立し、オファニム(Ophanim)と呼ばれるようになりました。
なぜ「機械」のように見えるのか
本文をそのまま読むと、確かに奇妙です。
•車輪の中に車輪がある
•向きを変えずに全方向へ進む
•輪の縁が目で覆われている
•生き物の霊が車輪の中にもある
•生き物が動けば車輪も動き、上がれば車輪も上がる
現代の読者が「立体交差する輪」「全方向車輪」「監視装置」を連想するのは、無理のない反応です。1970年代、元NASA技術者ヨーゼフ・ブルームリッヒは、この記述を飛行機械の設計図と読み、全方向に動く車輪まで特許出願しました。いわゆる古代宇宙飛行士説の定番資料のひとつです。
ただし、これは現代側の読みです。紀元前6世紀のバビロンには、すでに車輪付きの祭具、戦車、神殿の台車がありました。エゼキエル自身も祭司であり、エルサレム神殿のケルビムや、神の「戦車の座」という発想を知っていました。幻は、神が捕囚の地にまで移動できる、という神学的メッセージでもあります。神はエルサレムに縛られない。車輪はその「移動する玉座」の一部です。
車輪の「目」についても、古代メソポタミアでは神像に多数の目を施し、神の全知を示す例があります。星を「目」と呼ぶ天文表現との関係を指摘する研究者もいます。「輪の中の輪」は、直交する二つの輪で全方位へ進むイメージとも、同心円とも読まれてきました。
天使の位階になった車輪
聖書本文そのものは、車輪を「天使」とは呼ばません。生き物は後にケルビムと同一視されますが、オファニムが独立した天使階級になるのは、後世のユダヤ神秘思想、特にメルカバー神秘主義やカバラの流れです。
そこではオファニムは、玉座の近くで回転し続ける存在として描かれます。羽、無数の目、交差する輪。セラフィムやケルビムとは別種の、より抽象的で機械的な姿です。
中世以降のキリスト教美術でも、この幻は何度も描かれました。しかし絵にすると、どうしても「車輪付きの怪物」か「目だらけの幾何学」になり、普通の天使画とは別物になります。
残る謎
エゼキエルが見たものは、
•神殿神学を極限まで視覚化した幻か
•バビロンの神像・天文図・祭具が混ざった心象か
•後世がUFOや機械に読み替えた、あまりに異様な文章か
確定はできません。残っているのは本文だけです。
四つの顔。向きを変えない車輪。輪の中の輪。縁を埋める無数の目。
約2600年前の文章は、今も「天使」と「機械」の境目に立ったまま、読者を見ています。
※画像はInstagramに載せました。
https://www.instagram.com/p/DdQG0wwg3mr/?stkn=bDU3anppYmJ4c2Ro




