37.疑惑はめぐる(2)
そんなことをぼへーと考えているうちに、気がつけば、湯がだいぶ冷めていた。
風呂から上がって、しゃかしゃかと歯を磨き、寝間着に着替える。
灯をつけたまま、ベッドに大の字になった。
イレーナとフレデリックは、いかにも怪しい。
しかし、その怪しさの影に、犯人が息を潜めているとしたら。
例えば、ベアトリス。
例えば、公爵。
公爵夫妻には、一見動機がない。
ベアトリスはジョルジェットの庇護者であり、彼女の大親友。
仮に、ジョルジェットが邪魔になったのなら城から追い出せばよいのだし、なにも殺すことはない。
だが、テレサが言っていたことが気になる。
ジョルジェットは、眼をかけている甥を貴族の世界に戻したがっていた。
ベアトリスに縁談を探してもらえないかと頼んだが、諸般の事情で難しかった。
ジョルジェットも無理筋であることはわかっていたとテレサは言ったが、ジョルジェットは納得していたのだろうか。
事情を理解することと、納得することは違う。
ジョルジェットの視点で考えてみよう。
貴族としての生活を維持できなくなり、落ちぶれていたジョルジェット。
旧知のベアトリスに招かれ、この城で暮らすようになった。
だが、周りにいるのは流行のドレスを着込み、華やかに社交を楽しむ淑女たち。
その中で、わずかな手持ちのドレスをやりくりして、体面を繕わなければならない立場。
悪癖は既に知られていて、ベアトリス以外からは距離を置かれ、使用人にも遠慮しなければならない日々。
そんな生活、ジョルジェットは本当に望んでいたのだろうか。
辛い過去もあるとはいえ、夫に愛され、人々に敬われているベアトリスを僻まないでいられただろうか。
ジョルジェットの唯一の望み、甥のエドモンを貴族の世界に戻すという希望を叶えてくれない彼女を、逆恨みせずにいられただろうか。
ベアトリスは、ジョルジェットを大切な友人だと思っていただろう。
しかし、ジョルジェットは、ベアトリスを友人だと心から言えなくなっていたのではないか。
二人の間のこの齟齬が、昨日の午後、あらわになり、その結果、発作的にベアトリスがジョルジェットを殴ってしまったとしたら。
シムノー公爵夫人ベアトリスは、素知らぬ顔をし続けるしかない。
愛する夫のために。
実家や、妹であるサン・ラザール公爵夫人など、血族のために。
たとえ、無辜のテレサが火炙りになろうとも。
──ありえるかありえないかで言えば、ありえる。
そして、公爵。
公爵は、盗癖をもつジョルジェットを快く思っていなかった。
公平で高潔な公爵にしては「好きで置いているわけではない」という表現はなかなか強い。
ま、伝聞の伝聞だから、実際にそう言ったかどうかはわからないが。
仮に、ベアトリスが「試練」に遭っていた頃、公爵が浮気していたとしたらどうだろう。
さすがにジョルジェット自身が相手だとは思えないが、その相手がジョルジェットに悩みを打ち明けていたとしたら?
自分の城なのに、かなり居心地の悪い思いをしなければならない。
そして、ベアトリスは当てにならないと見切りをつけたジョルジェットが、公爵の醜聞を握っていることをほのめかしながら、エドモンを貴族に婿入りさせるよう要求する。
だがそんなことは無理だと揉めたあげく、公爵は、とうとうジョルジェットを殺してしまう──
ありえなくは、ない。
ないが、いくらなんでも妄想度が高すぎる。
ベアトリス編の方が、まだマシだ。
そして、ルシアン。
立派な伯爵、立派な紳士のはずなのに、どこかうさんくさく感じられる瞬間がある。
彼は「リュイユール伯爵ルシアン」を演じているのではないか。
そうだ、母親との接触を頑なに拒むのは、本当は偽者だからなのではないか。
その秘密を、実はジョルジェットが──
いつの間にか、意識が途切れていた。
部屋は明るいままだ。
枕元の旅行用時計は、3時過ぎ。
昨日の夜と同じ時間だ。
とりあえず、ソレルはさっぱりしに行った。
湿り気が残ったまま寝たせいで、髪がえらいことになっている。
明日の朝、これをなんとかしてから出動するとしたら、7時45分起床がギリギリだ。
目覚ましをかけ、さて灯りを消して寝直すか、というところで、ソレルはふとカーテンを開いた。
ようやく晴れたのか、部屋の正面、東の空に弓形の月が見える。
ソレルは右に眼を向けて、あ! と声を漏らした。
灯だ。
昨日見えたのとほぼ同じ位置に、白い光が見える。
眼をこらすと、心なしか人影らしき輪郭も見えた──気がした。
ソレルは飛び上がった。
犯人だ。
カタリナの推測が正しければ、あれが犯人だ。
なぜ、またジョルジェットの部屋の外にいるのだろう。
寝間着のまま、慌てて靴を引っ掛け、部屋を飛び出そうとして、カタリナに犯人は危険だと言われたのを思い出す。
取って返し、暖炉の脇に吊るされた火かき棒をもぎ取るようにして、薄暗い廊下を、わずかな月光を頼りに客室棟から本館へ走った。
「あ、あれ……!?」
息せき切って本館から中庭へ出ようとして、ソレルはたたらを踏んだ。
光が、消えている。
どこだ。犯人はどこに行った。
慌てて見回したソレルは、あちゃーと頭を抱えた。
自分の部屋の窓が、おぼろおぼろとした闇の中にぺかっと輝いている。
灯をつけたままカーテンを開いたために、犯人が気付いたのだ。
いや。まだ近辺に潜んでいるのかもしれない。
そうっと、ソレルはあたりを調べた。
そっと扉を開いて、主棟の廊下を覗いて見るが、誰も使っていない部屋が並ぶ暗がりは、当然のように無人。
ジョルジェットの部屋についていた見張りも、調査が終わったので撤収したようだ。
振り返って、本館の西へ伸びる廊下を伺うが、これも無人。
もちろん、ソレルが来た客室棟に続く廊下には誰もいない。
念の為、半地下にある男性上級使用人、女性上級使用人の個室エリアに続く階段を二三歩降りて覗いてみたが、どちらも真っ暗だ。
「ふぬぬぬぬぬぬぬ……!」
犯人は、まだ近くに潜んでいるのかもしれない。
ソレルが諦めて立ち去るのを待って、また蠢動するつもりなのかもしれない。
しかし、どこにいるのだ。
古城はしんと静まり返り、自分の他に生ある者がいると思われないほど。
ソレルは仁王立ちになって、あたりを睥睨した。
本当なら、玄関ホール脇の詰所にいるはずの近衛騎士に急報したい。
どこにいるのかわからないが、アドバンを呼びたい。
なんなら、カタリナを叩き起こしてしまいたい。
だが、自分が助けを呼びに行く間に、犯人は逃げおおせてしまうだろう。
ソレルは、1時間近く、ひたすらジョルジェットの心臓マッサージをし続けたクレールの気持ちがやっとわかった。
うっかり離れたら、そこで致命的な事態が起きかねない状況は、人を縛るのだ。
どうしよう。
どうすればいいんだ。
自分の鼓動が、やけに大きく聞こえる。
焦ったソレルは、あたりを見回した。
ふと、廊下の隅に背もたれのついた椅子が置かれているのが目に入った。
重厚な造りの椅子を、主棟の廊下と本館の廊下が両方見通せる位置に移す。
ここなら、犯人が主棟へ行こうと、本館経由で客室棟に行こうと、とりあえずは目に入る。
誰か来てくれるまで、ここで見張ろう。
ソレルは、椅子にどかっと座り込み、火かき棒を膝の上に置いて、両手で握りしめた。




