34.死者のドレス
「でも、ソレルが夜中の3時に、レディ・ジョルジェットの部屋の前で謎の光を見たって言うのよ」
「は? お前が!?」
びっくりしてカトー大尉が聞いてきたので、ソレルは片手を軽く挙げて頷いた。
「え。まままままさか、レディ・ジョルジェットの魂か!?」
カトー大尉は、わかりやすく怯えている。
ソレルは、一気に親近感を感じた。
死人が出た部屋の近くに謎の光が現れたのなら、普通、思いつくのはそっちだ。
「なんで人魂とか、いちいちそういう方向に行くのよ。
犯人がなにか回収しようとしたのかもってなるのが、普通でしょ!」
カタリナの「普通」は違うようだ。
「調べてみたら、ローズマリーの茂みの中に、足跡が残ってたの。
テレサが犯人だったら、そんなことできないじゃない。
昨日の夜からずっと拘束されてるんだから」
「あー……しかし、足跡一つで疑いを晴らすわけにはなぁ。
本当に、犯人がうろついていたのかどうかもわからんし」
言い合いながら、二人は遺体を調べたが、特に不審な点はないようだ。
「ああ、もうよろしくてよ」
遺体を調べ終わってシーツをかけ直したところで、カタリナは廊下に声をかけてきた。
ルシアンとソレルも、部屋に入る。
カタリナは、先に手袋をチェックし、不審な点はないと結論づけると、ジョルジェットが着ていた紺色のドレスの胴の部分、ボディスを机の上に広げた。
まだ血の匂いがする。
ぱっと見にも、左側に血の染みが黒々と残っているのがいたましい。
カタリナは、まず、襟のフリルをめくった。
「部屋にあったドレスと同じ仕組みですね」
フリルの裏には、ドレスの共布で作ったループがついていた。
鎖骨の下、両肩、そして背中心の4箇所にループがあるが、背中心のループは切れていた。
他のループも、伸びて細くなっている。
「背中から引っ張られて、ちぎれたということでしょうか」
ルシアンが呟いた。
「そういうことでしょうね。
それにしても、興味深いわ……」
カタリナは、手袋をした指先でループに触れた。
「レディ・ジョルジェットは犯人に背を向けた状態で、襟飾りを引きちぎられた。
でも、殴られた時は、犯人と向かい合っていたはず。
それにしては、防御創もないのよ」
「……それのどこがヘンなんですか?」
ソレルには、わからない。
「想像してみて。
強盗みたいな、害意丸出しの相手を想定してみましょうか。
がおーっと犯人が襲いかかる、レディ・ジョルジェットが背を向けて逃げる、犯人が追いすがって襟飾りを引っつかむ、襟飾りがちぎれる、犯人が殴る……って流れだったら、後頭部を殴ることになるでしょ?」
「あ、はい」
そう言われてみれば、そうだ。
「ちょっと違うシチュエーションで行ってみましょうか。
今度は客人として招き入れた相手。
レディ・ジョルジェットが、たとえばなにか寝室に取りに行こうとして、客に背を向ける、そこで客が止めようと襟飾りを引っ張る、レディ・ジョルジェットが振り返る、そこで殴られた……
って流れだったら、身を守ろうと反射的に手を上げるでしょ」
実際に、カタリナは両手を顔のあたりで交差させ、腰を少し落としてみせた。
まぁ、殴られる! となれば、人間そういう姿勢を取るのが自然だ。
「でも、彼女の手には、痣もなんにもない。
綺麗なままなのよね。
ま、突然過ぎて、棒立ちのまま殴られたのかもしれないけれど。
それにしたって、振り返った状態で殴られたのなら、こめかみじゃなくて、額の真ん中とかそのあたりに凶器が当たるじゃない」
ほへー、とソレルは首を傾げた。
「襟飾りが後ろから引っ張られてることと、真正面から左のこめかみを殴られてるってのが両立しない的なアレですか?」
「それよ。それそれそれ!
襟飾りを後ろから引きちぎるのが、完全に余計なのよ。
襟飾りが欲しくて殺したとか意味わからない系なら、殺してしまってからゆっくり外せばいいじゃない」
ふむ、とルシアンが考え込む。
「犯人が二人だったとしたらどうでしょう。
つまり、襟飾りを引きちぎった者と、殴った者は異なる」
きらん、とカタリナは眼を輝かせた。
「複数犯。興味深い可能性ね。
それだと被害者は犯人たちに挟まれている状態で、襟飾りを後ろの犯人に引きちぎられ、前の犯人から殴られたことになる。
たとえば、凶器を持っている犯人にレディ・ジョルジェットが立ち向かっていき、後ろにいた後ろの犯人が彼女を止めようと襟飾りを引っ張る、けれど、結局、彼女は前の犯人に殴られた、みたいな流れになるのかしら。
……どういう状況でそんなことになるのか、想像つかないわ。
前の犯人と後ろの犯人の関係性も、謎すぎるし」
「どうも、巧くないですね」
ルシアンは苦笑した。
「そもそも、レディ・ジョルジェットが犯人に向かっていく絵がしっくり来ません。
あなたなら、相手が抜刀していようが、堂々と立ち向かうでしょうけれど」
「本人が、襟飾りが気に入らなくて、無理やり外した後に犯人が来たってことはないのか?」
面倒くさそうに、カトー大尉がカタリナに訊ねた。
「ないないないない、絶対ない」
カタリナは手を横に振った。
「外すとしても、侍女を呼んで丁寧に外させたはずだわ。
一昨日の夜、レディ・ジョルジェットがされていた襟飾りも、クローゼットにあった襟飾りも、めちゃくちゃ凝ってるもの。
何十時間……いや、作品によってはもっとかしら?
とにかく大変な時間をかけて、自分で編んでるのに、引っ張って外すだなんてありえないわ。
レース編みって、一度歪んだら、残った癖を直すのは結構厳しいし」
「んーあー……
じゃ、つけたのがやっぱり気に入らなくて、一度下がらせたテレサを呼んで外させようとして、言い争いに?」
息を吐くように、カトー大尉はテレサ犯人説に戻った。
「だーかーらー! どこの馬鹿が、主人を殴り殺しておいて部屋に戻ってうたた寝するのよ。
主人殺しなんて、よほどのことがない限り火炙り確定なんだから、全力で逃げるなり、本気で偽装工作するなり、どうにかするでしょ」
言いながら、カタリナはボディスをさらにガン見した。
「あ。やっぱり水の染みがある」
カタリナが「ライト」を動かしながら照らすと、右側に結構大きな輪染みが、はっきり見えた。
輪郭は白く、赤黒い血飛沫とは、明らかに異なる。
位置は、ドレスの右胸下のあたりから脇にかけて、かなり大きく広がっている。
ボディスの下に着るコルセットを見ると、こちらは淡いベージュだったので、さらに顕著だ。
殴られた側、つまり左側に血飛沫や、垂れた血の跡。
右側に水が染みた跡。
血と水は一部混ざりあったのか、血が淡く滲んでいるところもある。
濡れていたところに血が飛んだのか、血が流れた後に濡れたのかまでは、素人目にはわからないが。
むぅ、とカトー大尉が腕組みをする。
「雨か? それとも外からきた賊から垂れた水か?
あの花瓶に水が入っていたとか?」
「あの時、絨毯はちっとも濡れてなかったじゃない。
部屋には生花もなかったし、花瓶に水だけ入れておくなんてありえないでしょ」
「カタリナ。カトー大尉」
カタリナが言い返したところで、ベアトリスがやって来た。
「イレーナと一緒に、冷温魔法をかけ直そうと思って」
後ろから、イレーナも現れた。
喪のドレスを着たイレーナは、ヴェールもつけ、小さな花束を持っていた。
二人の後には、侍女達も続いている。
侍女の一人は、白い布を畳んだものを持っていた。
死者に着せる屍衣だ。
死者に手向けるためか、香炉を持っている者もいた。
慌ててカトー大尉達近衛騎士は、二人の貴婦人に騎士の礼をとった。
「会えて、ちょうどよかったわ。
カトー大尉。ジョルジェットの弔いの支度は、いつからできるのかしら。
調べがつくまでは待ってほしい、と言われたのだけれど」
「あ、はい。もう進めていただければ。
医師の検案書も取りましたし、シムノー公爵家の『黄薔薇の乙女』であるレディ・カタリナのお調べも終わりましたので」
カトー大尉はカタリナに視線をやり、カタリナは頷いた。
「そう。大尉、カタリナが突拍子もないことを言い出しても、聞いてやってね。
それが犯人を見つける、一番の早道だから」
「は」
カトー大尉は、踵を鳴らして頭を下げた。
表情は不承不承だったが、動きはシュッとしている。
「では伯母様、テレサの話を聞きに行って参ります」
「ありがとう。よろしくね」
カタリナ達が部屋を出ると、ベアトリスとイレーナは、侍女を従え、しずしずと殯の部屋に入っていった。
テレサが拘束されている部屋も半地下だが、この部屋から直接行けないという。
一度、玄関ホールの脇に出たところで、カタリナは、ジョルジェットが編みかけていたもの一式をテレサに見せたいと言い出し、カゴごと取ってきた。
「カタリナ様!?」
「ごめんなさいね、来るのが遅くなって」
テレサは、なにかを布団の中に押し込みながら、慌てて立ち上がった。
テレサが閉じ込められている部屋は、狭かった。
簡易寝台が一つ、小さなチェストが一つあるだけで、椅子すらない。
あまりに狭いので、カタリナとカトー大尉だけが入り、ルシアンとソレルは廊下だ。
通風孔はあるが窓はなく、扉についている覗き窓にも鉄格子。
もともと、罪人を留め置く部屋なのかもしれない。
カトー大尉は仏頂面で、部屋の隅で腕を組んでいる。
「大丈夫? こんな部屋に押し込められて。
食事は摂れているかしら」
カタリナは、あたりを見回しながら訊ねた。
「お気遣いいただき、痛み入ります。
私は、大丈夫です。
午前中、ベアトリス様がわざわざお出ましくださいまして、カタリナ様が捜査を引き受けてくださったから、すぐに疑いは晴れると、扉越しにおっしゃってくださいました」
テレサは、しっかりした声音で言った。
突然、主人を失って、やつれてはいるが、眼には力がある。
カタリナが、自分の無実を証明してくれると、信じているのだ。
一瞬、カタリナは、虚を突かれたような表情を見せたが、頷いてみせた。
「そう。良かったわ。
で、いくつか聞きたいことがあるの。
あなたがレディ・ジョルジェットのお部屋から下がった時、彼女、なにをしていたのかしら?」
「お昼の時に、なにかあったのか動揺されているご様子でしたが……
気を取り直して、窓辺で編み物をされておりました。
雨はしとしと降っておりましたが、風もなかったので、窓は開いたままにされていました」
「編んでいたのは、このコスモスのショール?」
カタリナは、編みかけの編み物をカゴごとテレサに渡した。
「ああ、これです。
ベアトリス様のお誕生日にと編まれていたもので……
あら? 糸が足りなくなってたんですね」
「そうなの? 糸玉なら、いくつもあるじゃない?」
「ほら、淡いピンクで花びらを編み終えて、濃いピンクの花びらに移って、少し編んだところで、終わってます。
濃いピンクの糸がなくなったから、編み進められなくなったんですね」
テレサは指先で、編地を示しながらカタリナに説明する。




