32.あの二人が理想的
庭園への出口には、ゼルダがカタリナの短靴と日傘を持って待っていた。
ルシアンとソレルが眼を背けている間に、ささっとカタリナは靴を履き替える。
アドバンがロジェを呼んできて、案内してもらうことにしたのだが──
主棟と客室棟の間に広がる庭園を抜け、北側に広がる木立の間をぐねぐねと続く遊歩道を歩くことしばし。
崖にたどり着いたカタリナは、げんなりした顔であたりを見回した。
崖からの眺めそのものは、悪くない。
眼下は十数メートルはあろうかという切り立った崖と、その下に広がる草地。
草地の先は、今は水かさが増えている河で、その向こうには羊や牛が放牧された丘陵、そして低い雲に覆われた山々。
晴れれば、絶景と言っていい眺めになりそうだ。
「15分、かかりましたね。
早歩きのつもりだったんですが」
ルシアンが、懐中時計で確かめる。
「……思っていたより、遠いわね。
道も良くないし。
これじゃ、いくら満月の夜でも、見学に回った時に抜け出して、コルネイユを突き落とし、気づかれないよう戻るのは無理だわ。
早くゲームが終わるかもしれないんだし」
ううううむ、と考え込んだソレルは、ピキーンと閃いた。
「レディ・カタリナ。
死んだ時間と、崖から落ちた時間がズレていたというのはどうでしょう。
たとえば、部屋で殴り殺して、後で運んで崖から落とした、みたいな」
ロジェが、こわごわとソレルを二度見した。
「あー……その可能性はあるけれど。
でも、共犯がいないと無理じゃない?
死にたての死体ってぐにゃぐにゃだから、一人で運ぶのは大変よ。
女性一人じゃ、せめて手押し車でもないと絶対に無理。
しかも、満月の夜とはいえ、夜中でしょ?
足元も暗いし、男性でも結構大変なんじゃないかしら」
「では、共犯がいたとすれば?」
ルシアンが首を傾げる。
「共犯がいれば、運べたんじゃない?
昔だったら、執事や従僕に命じて捨てさせる……なんてこともできたかもしれないけれど。
いまどき、そんな命令に従う人なんていないでしょうね」
いないのか。
まあでも、そういうものかもしれない。
貴族が、一方的に平民の命を奪っても罪にならなかった時代とは違う。
「ロジェ。あなた、伯父様からうっかりコルネイユを殴り殺したから崖から落としておけって言われたら、どうする?」
「めめめめ、滅相もない!
誰よりも高潔な閣下が、そんなことをお命じになるはずがございません!」
ロジェは、ぶるぶると首を横に振った。
「アドバン。あなたはうちの父に同じことを命じられたら、従う?」
「それは、私の仕事ではありませんね」
素っ気なく、アドバンは答えた。
その言い方、サン・ラザール公爵家は、そういう仕事をする者を別途囲っていると聞こえかねないが、大丈夫なのだろうか。
「レディ・カタリナ。ならば、フレデリック卿とバティスト卿ではどうでしょう?
あの二人なら体力もあるし、仲も良い。
たとえばフレデリック卿が殺し、後でバティスト卿に助けを求め、二人で運んでいった、とか」
ルシアンは、ぎょっとするようなことを言い出した。
確かに、それならいけそうではある。
それに、フレデリックはジョルジェット殺害に関して、やたらと外部犯説を推している。
自分が殺したからこそ、強盗のせいにしたがっているのではないか。
バティストも、コルネイユとはやりあったはずだ。
「ま、まさか。フレデリック様が、そんな……!」
真っ青になったロジェに、ルシアンは多角的に可能性を検討するための方便だからと慌てて弁解した。
ロジェは一応納得してくれたが、怯えたような眼をルシアンやカタリナ、おまけにソレルにも向けてきた。
「あの二人が理想的なのは、確かよ。
でも、昨日の夜、バティスト卿は犬に結構吠えられていたでしょ。
昨日の夜は吠えられて、コルネイユが死んだ夜は吠えなかったなんて、おかしくない?」
「あー、凄い吠え声でしたもんね。
どういう基準で吠えてくるんですか?」
「ここの犬達って、おりこうさんで、伯父様が城の主人だってわかってるの。
だから、伯父様がこの人は問題ないんだって示せば、後は吠えたりしないのよ。
伯父様以外でも、フレデリック卿みたいに、犬が身内だと認識している者なら、落ち着かせることもできる。
ま、それでも、落ち着かせ方が中途半端だったりすると、なかなか収まらないこともあるけれど」
ソレルは首を傾げた。
「んあ? コルネイユが死んだ夜、犬が吠えたって話は今まで出てませんよね?
公爵閣下は、犬たちに、わざわざコルネイユは大丈夫だって教えたんですか?」
自分はそんなことをしてもらっていないのに、なんかズルい。
ロジェは首を横に振った。
「まさか。彼は公爵家の御客人とは違う立場です。
戻りが夜になる時には、正門から入るよう伝えていました。
……しかし、そういえば妙ですね。
犬を放すのは20時頃と決まっておりますのに、あの夜、犬の吠え声を聞いた覚えはありません。
フレデリック様達の御用があるかと、お戻りになるまでお待ちしていたのですが」
ロジェが最後にコルネイユを見た時は、既に犬は放された後。
その後、一人で散歩したのなら、吠えられて騒動になったはずだ。
「つまり、コルネイユには、フレデリック卿よりもちゃんと犬をなだめられる同行者がいたということね。
さて、誰だったのでしょうってことになるけれど……
そろそろ晩餐の支度をしなければ」
「え。晩餐に出る余裕って、あります?」
ソレルは思わず訊ねた。
「カトー大尉が戻ったら、中座するわ。
伯父様達のご様子も、見ておきたいし」
カタリナは、薄い笑みを浮かべた。
晩餐に集まったのは、公爵夫妻と、フレデリックにバティスト。
それに、カタリナ、ルシアン、ソレルの7人だった。
イレーナとクレールは欠席とのことだった。
ソレルとしては、一番気になるイレーナの様子をもっと観察してみたかったのだが、いたしかたない。
「ソレル君。原稿の件だが、今夜頑張ればなんとかなりそうだ」
晩餐の前、控えの間で声をかけられて、ソレルはシムノー公爵ユベールの顔を二度見した。
「それはまた……大変な時にありがとうございます」
反射的に、ガッと頭を下げる。
文人として名高い公爵だが、まさか執筆を進めてくれていたとは思いもよらなかった。
城の中を右往左往しているうちに、ソレルの頭から原稿の件は飛んでいたぐらいだ。
しかし──
ジョルジェットの死は、公爵にさほど影響を与えていないようだ。
というか、カラッとしすぎている気もする。
ま、同居していたとはいえ、ジョルジェットはあくまでベアトリスの客人なのだから、深い関わりもなかったのかもしれない。
そういえば、公爵が「好き好んでジョルジェットをこの城に置いているわけではない」的な発言をしたらしいとかなんとか、騎士が教えてくれた。
むしろ、ほっとしている面もあるのかもしれない。
いずれにせよ、予定通り原稿を貰えるのはめちゃくちゃに助かるが。
公爵がカタリナを、ルシアンがベアトリスをエスコートし、フレデリックとバティスト、ソレルはその後についていく形で正餐室に入る。
カタリナとベアトリスは、喪の色である濃灰色のドレス。
男性陣も全員、艶のない鈍色のクラバットだ。
ソレルの分は、アドバンが調達してくれた。
公爵の右手にカタリナ、左手にバティスト。
ベアトリスの左手にフレデリック、右手にルシアン。
ソレルはカタリナの隣に座った。
初日の晩餐には10人いたのが、3人減って、なんとも寂しい雰囲気だ。
まだ7人いるのに、妙にひっそりしている。




