30.不適切な覚書
「いや、相手はわかりません。
このフロアは、主に男性が泊まられるので、メイドは置いておりませんし。
遺体からは、付文のようなものも出ませんでした」
慌てて、ソレルは、コルネイユのメモ帳を繰った。
日付が自由記入式なので飛び飛びだが、今年に入ってから使い始めたようだ。
春あたりは、王都の社交場やカフェの名と時間、人の名前が書かれたメモが中心。
誰かと会う約束をしたのだろう。
その隙間に、会った女性の情報が、癖の強い速記文字でびっしりと書き込まれている。
たとえば「アンヌ 黒髪160cm肉感的 丸顔 20代なかば? 夫は官僚 遊びたいが監視がキツい 外出の口実を作るなら芝居」「ジュリア 金髪165cm細身 狐顔 19歳 地主の一人娘 婚約中 婚約者は粗暴で苦手 恋に恋する系 画家設定」といった感じだ。
なんだこれ、とソレルは引いた。
社交場であれこれ女性をナンパして、脈がありそうだと見込んだ女性の情報をメモしたのだろうか。
しかし、この城に来る乗合馬車の時間のメモ以降、予定は特に書かれていない。
手帳の後ろ半分は、自由にメモを書くために白紙になっている。
そちらを繰っていて、ソレルはぎょっとした。
「♤Mar」「♧Isa」「♢Jul」など、三文字に略された女性名のあとに日付、それからびっしりと身体つきの品評やら性癖やら、情事の感想としか思えない文言が連なっている。
中には、貢がせた金品も書かれていた。
その数、十数名分。
6月は、相手を入れ替えながら5股をキメていたようで、ソレルはドン引きした。
この男、職業的なジゴロでもあったようだ。
むしろ、ジゴロが本業で、詐欺師グループからジョルジェットの攻略を頼まれていたのかもしれない。
最後に書き込まれた名は「♤Ire」。
日付は7月なかばから3回。
つまり、この城に来てからだ。
「貪欲」「年から言えば悪くない」とか、もっと直接的で下品なことも書かれている。
「♤Ire」といえば、イレーナの略称としか思えない。
そういえば、♤は剣、♢は富や金貨、♧は農民、♡は聖杯を表す。
騎士爵以上の貴族は♤、地主の娘や妻は♧、♢は商会の娘や妻の印としていたのかもしれない。
それなら、聖職者を表す♡がまったく使われていないのも頷ける。
ソレルは、イレーナに初めて挨拶した時の、捕食者を思わせる強い視線を思い出した。
年配の貴婦人の中には、若い男と遊ぶのを好む者がいると聞いたことがあるが、イレーナもそうだったのか。
イレーナが、実はコルネイユと関係を持っていたとしたら──
報告しようとしかけて、ソレルは気づいた。
バティストにバレるのは、まずい。
彼は、イレーナの息子の親友なのだ。
ソレルは、必死でカタリナにアイコンタクトを取った。
バティストの視野に入らない角度で、彼を指し、とにかく外へ出せと身振りで伝える。
「……バティスト卿。ちょっとお願いがあるのだけれど。
伯父様は忙しいでしょうから、ベアトリス伯母様に、『カルサイト』に心当たりがあるかどうか聞いてもらえないかしら。
それとも、収蔵庫の管理をしている者に聞いた方がよいと思う?」
「あ、はい! 収蔵庫に行ってみます」
むしろ喜び勇んで、バティストはコルネイユの部屋を出ていった。
なんだか、申し訳ない気がする。
ロジェもなにやら察したのか、「御用がございましたら、お呼びください」とついでのように下がる。
ソレルはカタリナに手帳を差し出し、勢いこんで自分の発見を伝えた。
カタリナは、呆れた様子でため息をついた。
「さっきの反応……そういうことだったのね。
未亡人なんだし、年齢的に妊娠はないでしょうし、愛人くらい好きにすればとは思うけれど、遊んでいい相手とマズい相手がいるでしょ。
しかも、自分の実家でとか、どういうことよ。
結局、フレデリックが友達を連れて来て、コルネイユと顔をあわせてるんだし、バレたら大騒動じゃない」
フレデリックは、イレーナはもうリシャンディエール城にはいないと思っていたようなことを言っていた。
イレーナは立ち寄った実家でコルネイユと出会い、滞在を延ばしていたところに、フレデリックが来たということだ。
さすがに、息子がいる間は自重しただろう。
しかし、フレデリックとバティストが来て3日目の夜に、コルネイユは死亡した。
となると、単なる事故死とは考えにくい。
もし、フレデリックがイレーナの情事に気づいていたら、コルネイユ殺害の十分な動機になる。
公爵も、妹がこんな怪しい男と関係を持っていると知ったら、手を切らせようとしたはず。
もちろん、イレーナ自身にも動機がある。
フレデリックが来たので慌ててコルネイユを突き放したら、面白がったコルネイユが息子に関係を匂わせた、とか、金品をねだりはじめた、とか──
と、ここでソレルは、ピコーンと閃いた。
「もしかして、カルサイトというのは、レディ・イレーナのことなんじゃないですか?
彼女とつながりができれば、詐欺稼業もはかどりますよね」
ぽんとカタリナが手を打った。
「ああ……確かに。イレーナ様、社交界でも顔の広い方だし。
色々紹介してもらったり、後ろ盾だと匂わせたりできれば、なにかと役に立つでしょうね。
でも、なんでカルサイトなのかしら。
紫色のアメシストかなにかだったら、モーヴリエ前侯爵夫人なのだし、イレーナ様かなってなるけれど」
「あ」
そこを考えていなかったソレルは、固まった。
モーヴリエという家名は、モーヴ【紫】と同じスペルで始まる。
「さっき、バティスト卿は、カルサイトの一部が大理石だと言ってましたよね。
大理石の色は、赤、紫、黒、緑と多様ですから、色を例えるのに使うのは不向きなような。
色とは関係ない属性で、侯爵家なり、彼女ご自身なりに引っ掛けたのか……」
ルシアンは首を傾げた。
領地で、大理石を生産しているとかそんな話もない。
そもそも、大理石を表したいのなら、カルサイトではなく大理石と書きそうなものだ。
侯爵家の領都の名、本邸の名、などなどカタリナは挙げたが、どれもそれらしくない。
「ミドルネームを含めた、アナグラムだと?」
「イレーナ様は、確か、イレーナ・フランチェスカ・ルクレツィア。
伯母様は、ベアトリス・エレオノーラ・マリア。
ついでに、伯父様は、ユベール・ヴィットーリオ・アマデオよ」
ルシアンが言い出して、カタリナがつらつらと三人のミドルネームを並べる。
ソレルは自分の手帳を取り出して、スペルを書きつけた。
イレーナ・フランチェスカ・ルクレツィア(Irena Francesca Lucrezia)
ベアトリス・エレオノーラ・マリア(Beatrice Eleonora Maria)
ユベール・ヴィットーリオ・アマデオ(Hubert Vittorio Amadeo)
「むむむ……三人とも、ダメですね。
レディ・イレーナの名前が、一番惜しいです。
tが一つ足りないだけなので」
お手上げだ。
うむむ、とルシアンが唸った。
「しかし、この件、レディ・ジョルジェット殺しとどう関わるんでしょう?
誰かがコルネイユを殺し、レディ・ジョルジェットに気づかれたから、彼女も殺した、というには、間が空きすぎているような」
「確かに。10日も空いてるんですよね」
「そうね……なにがどう絡んでいるのか、そもそも全然絡んでいないのか。
そこからさっぱりだわ」
くへーと、カタリナはため息をついた。
「とにかく、わたくし、物証がほしいのよ物証が!
結局、カルサイトも意味がわからないってオチになる予感しかしないし。
もう面倒だから、殺されるなら殺される前に、犯人の名前を書いておいてくれればいいのに!」
カタリナは、めちゃくちゃなことを言いながらパンと手帳を閉じて、あれっという顔になった。
「あら? ここ、ページが1枚切られてる」
「え」
ルシアンとソレルが覗き込むと、カタリナは両手でぴっちり閉じたメモ帳の小口を見せた。
よくよく見ると、確かに1ページ、小口のきわきわで切り取られている。
欠けている部分を開いてみると、リシャンディエール城へ向かう段取りをメモした、次のページにあたる。
ソレルは、この手帳を結構繰ったのに、全然気がつかなかった。
「切り口は綺麗だし、ハサミでは、こんな風には切れないわね。
ナイフで切ったにしては、前後のページに切り跡も残っていない」
切り口が気になるのか、カタリナは矯めつ眇めつガン見している。
ソレルは、振り返って、書き物机の文房具用のトレーを見た。
自分の部屋にもある、備え付けのものだ。
筆記具のほかに、吸い取り紙、刃のないレターオープナー、ハサミ、鉛筆を削る小刀が並んでいる。
慎重にページを浮かせて、小刀で切ったのだろうか。
ソレルなら、ほぼほぼしくじりそうな作業だが。
「ちょっと不思議ですね。
仮に、コルネイユが殺された後、不利なことを書かれているのに犯人が気づいたとしたら、丸ごと処分しそうなものですが。
コルネイユが、切り取って捨てたんでしょうか?
うっかり、速記文字ではなく普通の字で、従僕などにみられたらまずいことを書いてしまったとかで」
ルシアンが首を傾げた。
「その可能性もないとは、言えないけれど。
こんな切り方をするってことは、ページを切ったことをなるべく気づかれたくなかったんでしょう。
でも、手帳そのものは遺した……」
カタリナは、眼を伏せて考え込む。
「ま。とりあえず、コルネイユ事件の本丸、レディ・イレーナを詰めちゃいましょ」
手帳と死後届いた手紙をポケットにしまうと、カタリナは宣言した。
イレーナが移った主棟の2階に上がると、彼女は昨日まで使っていた部屋で、なにを新しい部屋に持っていくか指示していると言われた。
1階に降りたところで、カタリナはイレーナと腹を割って話すのに、男性は邪魔だと言い出した。
ま、それもそうなので、カタリナを一人で送り出す。
すぐに、イレーナの部屋から、侍女や従僕達が戸惑いながら出てきた。
戦闘開始の模様だ。
「……ソレル君。庭に回ろう。
この部屋には、たしかテラスがある。
直接、庭に出られるようになっているはずだ」
「あ、はい」
二人は少し先にある扉から、ささっと庭に出た。
そーっと忍び足で、イレーナの部屋のテラスの近くまで行く。
どこか窓が開いているのか、一応二人の声は聞こえるが、なにを言っているのかはわからない。
やがて、声高に罵るような声に、カタリナの高笑いが重なり、ガチャンとなにかが割れるような音がした。
窓のそばの壁に張り付くようにして、部屋の中を伺っていたルシアンが、咄嗟に飛び出しそうになる。
ソレルは、ルシアンの腕をひっつかんで止めた。
ここで乱入でもしたら、絶対、面倒なことになる。
カタリナとイレーナに同時にキレ散らかされるとか、地獄でしかない。
そのうち、号泣が始まった。
泣いているのは、イレーナだろう。
何度かやりとりがあり、やがて泣き声はすすり泣きに変わって、若干の会話の後、誰かが出ていくような物音がした。
慌てて、主棟の廊下に戻る。
カタリナは、紅い帽子箱を小脇に抱えていた。
「あら? どこに行ってらしたの?」
「いえ。その、なにかあってはと……」
ルシアンが、へどもどしながら言い訳する。
「というか、その帽子箱は?
まさか……」
ソレルは、カタリナが抱える帽子箱を指した。
カタリナは、そっと唇の前に指を立てた。
距離はあるが、ジョルジェットの部屋の前に、公爵が立てた見張りがいる。
「預かりものよ。
ベアトリス伯母様のところに、参りましょう」
カタリナは、そばの階段を上りはじめた。




