27.花瓶の指紋
「あら、それはなに?」
カタリナは、座ったまま少し伸び上がるようにして、サモワールの隣を指した。
布巾をかけたカゴがある。
「ド、ドーナッツです。
間食用に、厨房が毎日用意してくれるもので……」
騎士の一人が、おろっと説明した。
「さっと食べられるし、皆さんのおやつにぴったりね。
なにか美味しそうな匂いがしてるなって思ったのよ」
カタリナが笑みを向けると、「めめめ召し上がりますか?」と別の騎士が勧めてきた。
いただくわ、とカタリナは即答し、逆に騎士達にも食べるよう勧めて、一同もぐもぐタイムとなった。
カトー大尉は苦い顔をしていたが、カタリナが美味しい美味しいと満面の笑顔で食べるものだから、釣られて食べ始める。
どさくさに紛れて、ソレルもお相伴した。
粉も油も高級なものを使っているから、王都のドーナッツ屋のより上品な味だが、がっつり甘い。
通常の警備にくわえて、捜査で右往左往させられる騎士達への配慮かもしれない。
カタリナはドーナッツを食べながら、騎士たちをちょいちょいねぎらった。
国の盾、王家の盾として、厳しい修練を積む騎士達を昔から尊敬しているとか、そんな話もする。
実際、貴族学院の同級生で、騎士として活躍している人物とは、今もつきあいがあるらしい。
カトー大尉はとにかく、部下達はすっかりカタリナに心酔してしまった。
意識高い間食が基本のカタリナが、なぜドーナッツに手を出すのかと思ったが、一緒に食べることで、打ち解けるのが目的だったのかもしれない。
「ところで、レディ・ジョルジェットって、城内ではどんな評判だったのかしら?
直接話すことはなくても、色々噂も伝わるでしょ?」
「んー……あー……」
カトー大尉が視線を泳がせるが、「内緒にしておくから」とカタリナは唇の前に指を立てて、ぱちんとウィンクしてみせた。
あざとい。
露骨にあざといが、カタリナは誰もが振り返って二度見するレベルの美人。
破壊力が凄い。
部下達は、顔を見合わせた。
「なんというか……評判は良くなかったですね。
高貴な生まれの方が、使用人の私物まで手をつけるんですから」
「後で奥様が返してくださるし、償いもしてくださるとはいえ……なぁ」
「奥様に甘えるにもほどがあるだろうって、怒っていた者も、まぁ。
影で、『レディ・カラス』とか『紅首鳥の奥様』とか呼ぶ者もいたり」
「閣下も、だいぶ苦々しく思われてたんじゃないですかね。
一度、イレーナ様に、レディ・ジョルジェットをリシャンディエールに置いてるのは外聞が悪すぎると詰め寄られた時に、自分だって好きで置いてるわけじゃないとおっしゃったとかなんとか」
カトー大尉の部下達は口々に言った。
ことが盗癖だけに、どうにかならないかと騎士達に相談する者もいたのだろう。
「なるほどね……」
カタリナが頷いたところで、ノックの音がした。
はぁい、とカタリナが勝手に返事をすると、胸元に包みを抱えたクレールが現れる。
「あの。指紋を採取されるとかうかがいましたが」
入ってきたクレールを見て、ソレルはぎょっとした。
一夜で眼は落ちくぼみ、やつれ果てている。
まるで病人のようだ。
「クレール。あなた、休んでいた方が良くない?」
カタリナがさっと立ち上がり、クレールを迎えた。
カトー大尉ですら、心配顔だ。
「いえ……なにもしないと、かえって……」
細い声で言いながら、クレールはテーブルの上に包みを置いた。
「あら? 鉛筆を頼んだのだけれど」
カタリナが包みを開くと、デッサンに用いる細い木炭が何本か、乳鉢と乳棒、大きな紙が何枚か、ついでに刷毛が入っている。
「いえ、閣下が指紋の検出ならば、木炭の方が良いだろうとおっしゃいまして。
鉛筆の粉は、反射しますから」
言いながらクレールは、濃紺のデイドレスのポケットから、使い込まれた革製のケースを取り出した。
開くと、ペンや鉛筆が数本、携帯用のハサミや鉛筆を削る小刀などがきちんと収められている。
羽ペンの先を尖らせるためのクィルナイフや、スクラップ用の刃が極小のナイフ、携帯用のインク入れにスポイト、印章用の蝋の棒、ピンセットなどもある。
公爵家のデキる秘書セットという感じだ。
「そう。伯父様が。助かるわ」
クレールはかすかに微笑むと、乳鉢の上で木炭を小刀で削ろうとした。
しかし、見るからにふらふらで、刃物を持っていい状態には全然見えない。
一同、慌ててクレールを止め、頼むから休んでいてくれと古びた肘掛け椅子に座らせる。
気配を消していたアドバンがずいと進み出て、しょりしょりと木炭を削り、乳鉢で丁寧に擦って、粉にし始めた。
騎士の一人がクレールにドーナッツを勧めたが、青ざめた秘書は首を横に振る。
結局、騎士は砂糖を多めに入れた紅茶を渡し、とにかく飲むように勧めた。
「このくらいで、大丈夫でしょうか」
すぐに、アドバンは木炭を二本分、細かい粉にした。
「い、いってみるか」
カトー大尉が、逆さまにした花瓶の底を持ち、カタリナが乾いたティースプーンで、首のあたりにそっと木炭粉をかける。
皆が、思わず息を止めた。
「あ? あれ? なんにも浮かび上がらないぞ??」
刷毛で払うまでもなく、つるんとしたピューター製の花瓶にはなにも残らない。
「やっぱり素人には無理なんだよ」
ケッと、カトー大尉は嗤った。
「なにか、別の金属製のもので試してみましょう。
ああ、そこの兜とか、どうかしら?」
カタリナは、備品が並んでいる棚を指した。
兜は鉄製のようだが、丁寧に磨かれていて、いかにもつるんとしている。
「カトー大尉。指紋をつけてみてくださる?」
無駄だとかなんとか言いながら、カトー大尉は手袋を外し、手を押し付けた。
カタリナが木炭粉を振りかけ、兜を傾けて、トントンとテーブルの上で叩いて粉を落とす。
「うお!? これが指紋か!」
兜には、カトー大尉の掌紋が思いっきり浮かび上がった。
ふふんと、アドバンはドヤ顔だ。
「と、いうことは……?」
ソレルは凶器の花瓶と兜の様子をメモしながら、カタリナに訊ねた。
カタリナは、改めてじっくりと花瓶を観察する。
「犯人は、手袋をしていたか、指紋がつかないようなにかで手を覆って、凶器を振り下ろした。
飛び散った血の跡が、かすれてるところがないのよね。
後から拭き取ったんじゃ、こうはならないと思うのよ」
「じゃあ、手袋をしていた者が犯人なのか!?」
カトー大尉は、反射的に皆を見渡した。
ソレルも釣られて、皆の手を見る。
淑女であるカタリナは、薄手のレースの手袋をしている。
秘書であるクレールは、手袋をしていない。
彼女は、書き物をするのが仕事だ。
手袋をしたまま仕事をすれば、すぐインク染みまみれになってしまう。
そういえば、発見時もシャワーから上がったところだったので、手袋をしていなかった。
ルシアンも、日中の屋内なので、手袋をしていない。
紳士が手袋をするのは、外出時や夜の正装の時だ。
事件があったのは、晩餐前のタイミングだから微妙なところだが──
きっと、皆が同じことを考えている。
犯人は淑女なのか? と。
「カトー大尉!」
そこに、乗馬服姿のフレデリックとバティストが駆け込んできた。
「町外れの『黒羊亭』まで聞き込みに行ったら、昨夜、荷物を置いたまま宿屋に戻ってこなかった客がいたそうだ!
初めての客で、着いたときから、妙に人目を避けてたって!」
「なんと! もしや、リシャンディエールを狙った賊では!
さすがです、フレデリック坊ちゃま!」
カトー大尉は立ち上がった。
「よしッ わかった! そいつが犯人」
と、昨夜のセリフを叫びかけたカトー大尉を、カタリナが冷たく睨んだ。
「……かもしれないッ 行くぞ!」
ギリギリのところでセリフを修正すると、カトー大尉は部下を連れて飛び出して行った。
カタリナ「ドーナッツうまぁ…うまぁ…」
ソレルは裏読みしてますが、カタリナにとって、ドーナッツはめったに食べられない貴重なおやつなのです…




