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22.再び雨の朝

 控えめなノックの音で、ソレルは眼が覚めた。

 ふゃいとかなんとか答えると、沈痛な面持ちのロジェが入ってきた。


「おはようございます。

 昨夜は、大変なことになりまして」


「あー……はい」


 明け方まで、輾転反側てんてんはんそくしていたので、ぼうっとしている。

 頭が回らないまま、もそもそ起き上がる。


 ロジェは、ささっとカーテンを開いてくれた。


 また雨がしとしと降っている。

 なかば霧のような雨で、中庭も、向かいの主棟も灰色にけぶっている。

 もし足跡が残っていても、これではわからなくなってしまいそうだ。


 それでも朝は朝。

 昨夜、あれほど怯えた人魂への恐怖が吹き払われていく。

 というか、あれは夢だったんじゃないだろうか。


「レディ・カタリナとリュイユール伯爵閣下は、もう調査に取り掛かっていらっしゃいます。

 朝食は、さっと召し上がれるものにいたしましょうか」


「へ」


 ソレルは慌てて時計を見た。

 もう8時半を回っている。

 超特急コースを頼んで、ソレルはベッドから飛び出した。


 とにかく、さささと着替える。

 案の定、爆発している髪は、ポマードをたっぷり両手に広げて、手ぐしでかきあげるようにして抑えた。


 こういう時、つくづく男で良かったと思う。

 成人した女性が人前に出るなら、未婚ならハーフアップに、結婚していればがっつり結い上げなければならない。

 夜中、宿屋で火事が起きたのに、髪を下ろしたままでは部屋から出られないと逃げ遅れた事例まであるのだ。


 すぐにロジェがコーヒーと分厚いトースト、とうもろこしのポタージュ、ゆで卵とヨーグルトを持ってきてくれた。

 トーストはカリッとふわっとしていて、塩気強めのバターが効いている。

 ソレルはガツガツ食べて、コーヒーで流し込んだ。


「公爵夫人から、こちらをおつけくださいと」


 ロジェは、鈍色の短い帯を差し出してきた。

 喪章だ。

 よく見ると、ロジェも左腕に喪章をつけている。


「あ! しまった! 喪服がない!

 レディ・ジョルジェットのお葬式は、どうしたらいいでしょう」


 ソレルは慌てた。

 検死審問が済んだら、仮葬儀があるはずだ。

 この先どういうことになるかわからないが、自分も少なくとも仮葬儀には出るべきだろう。


「事情が事情ですので、華美ではない装いに喪章でよろしいのでは?

 借り着というのも、なかなか難しいものですから」


 ロジェは首をひねりながら助言してくれた。

 大型馬車を何台も連ねて旅行する貴族は、万一に備えて喪服も常に持ち歩いていると聞いたことがあるが、ソレルの立場でそこまで用意しているとは誰も期待していないだろう。


「そ、そうですね」


「さ。巻いてさしあげましょう」


 ロジェは、ソレルの紺の麻のジャケットの左腕に、喪章をピンで留めてくれた。




 どうにか支度を終えて扉を開けると、小サロンでカタリナとルシアンが書類の読み合わせをしていた。

 二人とも、正式な喪服ではないが、艶のない灰色の服を選び、左腕に喪章を巻いている。


 カタリナの後ろには、アドバンと侍女のゼルダが立っていた。

 ガタイが明らかに良いアドバンは護衛を兼ねているのだろうが、しなやかな身体つきのゼルダもいざとなれば相当動けそうだ。


 殺人が起き、まだ犯人は捕まっていない。

 アドバンとゼルダは、なによりもまず、カタリナの安全を確保しなければならない。

 当のカタリナがなにをするかわからない令嬢だから、かなり骨の折れる仕事になりそうだが。


 カタリナがこちらに気づいた。


「おはよう、ソレル。

 医者が来て、レディ・ジョルジェットはこめかみへの一撃で亡くなったと診断したそうよ。

 実は毒殺です! とかならなくて、よかったわ。

 毒殺って、犯人を特定するのが大変だから」


「おはようございます。

 って、どういう良かった探しなんですか、それは……」


 ソレルは思わず突っ込んだ。

 ルシアンも苦笑している。


「で。朝一で、この城の全使用人127名に、昨日の行動報告を書いてもらって突き合わせてるところなんだけれど」


「ああああ、す、すみません。

 寝過ごしてしまって」


 自分に期待されているのは、そういう情報整理だ。

 気にするな、とカタリナは手を軽く振った。


「この城、使用人は18時前くらいから夜番が夕食を食べて、他の者は19時前くらいから食べることにしてるんですって。

 で、夜番は、夕食を食べたら、それぞれ決められた仕事をしている。

 晩餐の給仕とか、料理人達、あとは主棟と客室棟で待機する従僕やメイドね。

 他の者は夕食を食べた後、食堂でそのままおしゃべりをしていたか、交代でシャワーを浴びていたか。

 いるはずなのに、いなかったって者は見当たらないわ」


「つまり、19時から20時半の間、ほとんどの使用人にアリバイが成立している……ってことですか?」


「そ。主棟には、2階と1階に使用人の控室があって。

 どちらも2人ずつ詰めていたのだけれど、別に妙な物音は聞かなかったし、不審な人物も見ていない。

 これは後で、位置関係を見に行くつもりだけれど」


「あ、はい」


「それから、クレールの着替えを誰かが手伝ったのなら、現場付近も通りがかったんじゃないかと期待していたのだけど。

 一昨日は本館の控室のベルが鳴ったから手伝ったけれど、昨日はベルが鳴らなかったから、誰も行ってないとかで」


 カタリナは、気に入らなさそうな顔をした。


 それにしても、クレールが晩餐用のドレスに着替えることは、わかっていたはず。

 誰か手伝いに行けばよかったのに、とソレルは内心思った。


 公爵の口ぶりでは、本来、クレールはメイドになるのが妥当な生まれ。

 それが、公爵夫妻に眼をかけられ、秘書という地位についているのだ。

 使用人の間で、浮いているのかもしれない。


「あと、昨日の16時頃、草地に放していた馬を馬丁が迎えに行ったら、どこから紛れ込んだのか、見慣れない男が二人がいたそうなのよ。

 ここは城の敷地だから立ち入ったらダメだと言ったら、町に行く道を教えてほしいって言われて、教えたら普通に出ていったそうなんだけれど」


「それで、カトー隊長は『よしッ わかったッ! そいつらが犯人だ』と言い出した。

 今は、何人か騎士を連れて、近くの町で聞き込みをしている」


 ルシアンが、人の悪い笑みを浮かべながら教えてくれた。


「えええええええ!

 じゃあ、テレサさんは無罪放免ですか?」


「……だと良かったのだけど。

 念の為、テレサの確保は続ける、ですって」


 カタリナは苦々しげに言った。


「その二人が見つかって、ほんとに犯人だったりしたら万々歳なのだけど。

 掴まえてみたら、行商人かなにかで、普通にアリバイも成立ってなる可能性の方が高いと思うのよね。

 馬丁も、そんな風に見えたって言っているし」


「あー……」


 行商人が迷い込んで、町への道順を訊いたのなら、十中八九、町の宿屋に泊まっただろう。

 ここからだと、一番近い宿場町まで歩いて小1時間かそこら。

 その次の町となると、夜中になってしまうから、近場で泊まるのが妥当なところだ。


「伯父様が言うには、カトー大尉、捜査経験なんてほぼないらしいのね。

 近衛騎士は警備が本業なんだから、仕方ないけれど。

 とにかく、彼が戻ってきたら面倒だから、今のうちに調べられるだけ調べてしまわないと」


 というわけで、ソレルのメモを元に、調べたいことを三人で洗い出すことになった。


 まずは、現場近辺の位置関係。

 これを抑えなければ、証言の矛盾を聞き逃す可能性がある。


 それから、現場であるジョルジェットの部屋。

 昨夜、寝室をチラ見したカタリナは、荒らされていると言ったが、なにがどうなっているのか、確認しなければならない。


 テレサにも、普段のジョルジェットの暮らしぶりや、最後にジョルジェットを見た時の詳細を聞くべきだ。

 あとは、クレール。

 かなり詳細に話してくれたが、一晩明けて、なにか思い出したこともあるかもしれない。


 まずは現場近辺の確認だ。

 そういえばフレデリックとバティストはどうしたのかと訊けば、カトー大尉と一緒に町へ行ったそう。

 カタリナの周りでわちゃわちゃされても困るが、外部犯説に傾きがちなのは、なにか理由があるんだろうかとソレルは疑問に思った。


 ジョルジェットの部屋の前には、屈強そうな従僕が一人、背もたれのない椅子に座って番をしていた。

 夜の間も交代で番をしていたそうだが、特に不審なことはなかったという。


 カタリナは、ジョルジェットの部屋を通り過ぎて、廊下の奥へ向かった。

 こちらの棟は、すべて続き部屋なのか、客室棟よりも扉の数が少ない。

 突き当りに一部屋、中庭側に四部屋、反対側に四部屋という構成だ。


 イレーナの部屋は、外庭側。

 ジョルジェットの部屋との間に二部屋空き部屋を挟んだところで、かなり遠い。

 控室は、さらに遠く、イレーナの部屋と突き当りの部屋の間。

 のぞかせてもらうと控室は、朝食の仕上げをするための簡単なキッチンと手洗い、テーブルや椅子、仮眠のための二段ベッドなどが詰め込まれており、扉の脇には9つ、ベルが並んでいた。

 内装はあっさりしているが、扉も壁も重厚なものだし、事件に気づかなかったのは仕方ない。


 カタリナは、クレールとテレサの部屋の位置が見たいと、案内役のメイドを一人借りて、本館側に戻った。


 本館に入ってすぐ右手、目につきにくい狭い階段を下ると、半地下特有のやや薄暗い廊下に、いくつか扉が並んでいた。

 扉には、眼の高さのあたりにすりガラスが嵌っている。

 こうしておけば、部屋の灯りが漏れて、廊下にもある程度の光が確保できるからだろう。


 年配のメイドが言うには、上級使用人用の個室は、半地下と三階にあり、半地下の方は、男女別に区画を分けているという。

 クレールとテレサ、公爵夫妻に直接仕える侍女が二人、ここに部屋を貰っているそうだ。

 この区画は、本館の東南角にあたり、中庭に面している。

 男性用の区画は、主棟との接続部を挟んだ南東角。

 つまり、主棟でなにかあれば、男女の上級使用人がすぐに駆けつけられる造りになっているようだ。


「あら? ここがバスルームかしら。

 いつも開けっ放しなの?」


 階段の脇、開けっ放しになっている扉の前でカタリナは足を留めた。

 見ると、手前が脱衣所、奥にシャワーとバスタブがある。

 高い位置に、すりガラスのルーバーがついた横長の明り取りの窓があり、案外明るい。


「左様でございます。

 半地下は湿気がこもりやすいものですから」


 ふーん、とか言いながら、カタリナは入っていった。

 ソレルとルシアンは、女性用のバスルームに立ち入るのはどうかと、手前に留まる。


 カタリナは、ルーバーのねじを捻って全開にすると、つま先立ちになって外を覗いた。


「あー! この向こう、レディ・ジョルジェットの部屋の前なのね。

 あっちの窓まで、ほんの数メートルくらいしかないわ!」


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