16.それは僕だ
真正面にある出窓の前に、サイドテーブルと肘掛け椅子。
窓は開け放たれ、開いたままのカーテンが、わずかな風に動いている。
雨は、いつのまにか止んでいたようだ。
右の壁に、上に大きな鏡を飾った暖炉。
暖炉の上には、金色の置き時計がある。
三人の花の精霊が踊りながら小さな丸時計を支えるデザインで、扉付近にいるソレルには肝心の盤面が読み取れなかった。
暖炉の脇には、メイドを呼ぶベルの紐が下がり、奥には、開けっ放しのドア。
落ち着いた、深い緑色の絨毯が見えるから、寝室なのだろう。
左の壁際には、なかほどに飾り棚とライティングデスク。
飾り棚の下部にある引き出しが、中途半端に引き出されたままなのが目についた。
奥の扉は、化粧室に通じるものだろうか。
部屋全体に、淡いベージュの無地の絨毯が敷き込まれている。
「ああ……」
そして、居間の中央からやや左寄りに、ジョルジェットが仰向けに倒れていた。
扉から見ると、頭が左、足が右、そして足を廊下側に向けた、斜め45度くらいの感じだ。
頭の周辺には、血溜まりができていた。
晩餐に出る支度をした後に襲われたのか、紺の夜用のドレス姿だ。
老眼鏡をかけたままだ。
老眼鏡の上から殴られたのか、鼈甲ぶちの眼鏡は大きく右にずれている。
クリノリンで膨らませたスカートの裾が浮き、白いストッキングを穿いた膝下が無作法に突き出ていた。
一目で見て、絶命しているとわかった。
顔色は、死者特有の土色。
眼はかっと見開かれ、怒りか、驚愕か、凄まじい表情をしている。
あまりに無惨で、ソレルはぎょっとして眼を背けた。
カタリナは、ジョルジェットの遺体から距離を取るようにして奥の寝室に向かった。
「誰もいないわ。
鏡台が荒らされてるけど、窓は閉まってる」
すぐに出てくると、カタリナはジョルジェットの遺体の傍にしゃがみこんだ。
「ライト」と魔法で強い光を灯し、恐れげもなく観察しはじめる。
手袋を外して、血のついていない右の頬に手を触れ「まだほのかに温かい」と呟くと、ルシアンにも確認させた。
そのまま二人で、遺体の観察を続ける。
服の上からわかる傷は、頭部への一撃のみ。
血は、あまり派手に飛び散っているわけではないが、よく見ると、回りの絨毯に点々と見える。
ジョルジェットの紺色のドレスも、左肩、そして胴部のあたりも黒っぽく変色し、血で濡れているように見える。
「老眼鏡、左のつるが折れてるわ。
後からかけさせられたんじゃなくて、かけた状態で、殴られたのね。
んんんん……?
血の飛び散り方が……ちょっとよくわからないわ」
「どういうことですか?」
「傷は左でしょう?
でも、右脇まで、わりと広く濡れているの。
首元には血は点々と散っているだけだから、身体を伝って流れ落ちたようにも見えないのだけれど。
ドレスが乾いてから、確認してみないと」
呟きながら、カタリナは傷の観察を始めた。
傷は左側頭部、こめかみのあたりで、頭蓋骨が割れている。
傷の大きさ、かたちからして、右利きの人間がジョルジェットと向かい合った状態で、なにか硬いものを斜め上から振り下ろした可能性が高いとカタリナとルシアンは推測した。
これが暖炉のそばに倒れていたのなら、目眩を起こしたかなにかで暖炉の角で頭を打ったということもありえるが、遺体の位置も違うし、暖炉も綺麗な状態だ。
一撃だけだから、犯人は返り血をほとんど浴びていないかもしれないとも言う。
頭の下は血溜まりになっているが、血が大きくこすれた跡はなく、遺体はほとんど動かされていないようだ。
ソレルは、二人の会話を慌ててメモした。
それにしても、カタリナの行動はなんなのだろう。
変死体に慣れすぎている。
新聞記者であり、凄惨な事故現場で取材したこともあるソレルの手は震え、速記文字もぐちゃぐちゃなのに。
この公爵令嬢、何者なのだ。
「……アグネーさん、大丈夫ですか」
ソレルは、扉口の脇で震え続けているクレールに声をかけた。
返事がないので、しゃがみこんで様子を見ると、かすかに石鹸の香りがした。
化粧もしていないし、髪もざっくりしたお団子。
部屋着らしい地味なワンピースを着て、肩にラメの入ったショールをかけている。
晩餐の支度に取り掛かる前に、ここに来たようだ。
「……だ、大丈夫です」
震えが止まらない身体を止めようとするように、クレールはショールごと自分を抱きしめた。
背を向けていたカタリナが立ち上がって、クレールの方を振り返る。
「どうして、あなたが発見することになったの?」
「わ、わたしは、晩餐の支度の前に、早めに使用人の共同バスルームでお風呂に入って、出たんです。
バスルームは、本館の、すぐそこにある階段を降りたところにございます」
酷いショック状態のように見えるが、一刻も早く情報共有しなければと判断したのだろう。
クレールは、とつとつと説明し始めた。
「風呂から上がったのは、いつ頃?
19時すぎとか、そんな感じ?」
「いえ、部屋で着替えの支度をしてから、バスルームに参りました。
上がったのは19時半近くか過ぎていたか……
時計は見ておりませんので、わかりません。
とにかく、自分の部屋に戻ろうとした時に、妙な物音を聞いたんです。
短い叫び声と、なにかが倒れたような……」
「……そう。それで、様子を見に来たら、こうなっていたの?」
「は、はい。扉は、薄く開いたままでした。
ノックして、お声がけしたのですが、お返事はなく。
思い切って、入ってみたら……」
眼にした瞬間を思い出したのか、クレールは言葉を詰まらせた。
ソレルは屈み込んでクレールの肩に手をかけ、「もう大丈夫です、すぐに近衛も来ます」と励ました。
クレールは、かくかくと頷く。
カタリナは、眼を細めてじいっとクレールの様子を見下ろしている。
クレールは、その視線を避けるように眼を伏せて、おどおどと口を開いた。
「もう、息はされていませんでした。
以前、看護人に心臓マッサージのやり方を習ったことがありましたので、試してみました。
何度か、声を上げたのですが、来てくれる者もなく……」
「……彼女は、ほぼ即死だったと思うわ。
どうやっても、助けることはできなかったのよ。
強盗だとメイドに言ったのは、あなた?」
「は、はい」
「なぜそう思ったの?」
「……窓が、開いておりました。
今日は、ずっと雨だったのに。
それにこの城に近衛騎士はいますが、十数人ばかりの小隊で、警備は不十分なのです。
夜は犬を放しているので、逆に昼間か夕方あたりが危ないのではないかと、以前、どなたかが……」
「それは僕だ」
不意に話に入ってこられて、ソレルはびくっと見上げた。
いつの間にやって来たのか、フレデリックだ。
バティストも一緒だ。
真っ青なイレーナも、その後ろ、廊下の壁際から覗いている。
「フレデリック様。ジョルジェット様が、強盗に」
クレールは、フレデリックにすがるように訴えた。
「強盗ですって?
ありえないわ、この城に強盗だなんて!」
イレーナが、驚いて声を上げる。
「いや、きっとそうだ。
侯爵家の本邸の方が、よほど警備がちゃんとしていると、母上もおっしゃっていたじゃないですか。
行こう、バティスト。
まだそのへんでうろうろしているかもしれない!」
眼を怒らせたフレデリックは、矢のように駆けていった。
バティストも後を追う。
どこかから庭へ出るつもりなのだろう。
「……けれど、窓から侵入したにしては、絨毯に足跡がないのよね」
カタリナは考え込みながら、窓際へ歩いていった。
毛足の長い、ふかふかした絨毯はベージュ。
泥靴で踏めば、めちゃくちゃに目立ちそうだ。
出窓の下辺は、腿のなかばくらいの高さ。
窓が開いているのだから、適当な踏み台でもあればまぁまぁ入り込めそうではあるが。
カタリナは、窓敷居を指ですいと撫でて、汚れてないわねと呟いた。
「ああでも、カゴがひっくり返っていますね」
ルシアンが指摘した。
窓際に置いた肘掛け椅子でレース編みをしていたのだろう。
床の上に、底の円いカゴがひっくり返っていて、その周りには編みかけのものやら糸玉、こまごました道具が散らばっている。
「そうね……」
カタリナは考え込んだ。
「カタリナ。ジョルジェットは一体どうやって殺されたの?」
まだジョルジェットを直視できない様子のイレーナが、胸元を抑えながら、廊下から恐る恐る訊ねた。
「頭を殴られたようです。
ああ、そうだ。凶器はないのかしら?」
カタリナは手袋を嵌め直すと、あたりを見回した。
特にそれらしいものはない。
不意に、カタリナは床の上にしゃがみこむと、頬を絨毯につけるようにして家具の下を見た。
ルシアンも探し、すぐにライティングデスクの足元から、長細い首に丸っこい胴がついたピューター製の花瓶が転がっているのが見つかった。
高さは30cm以上ある。
カタリナが口を掴んで光にかざしてみると、大人の握りこぶしより二回りほど大きい胴の部分にべっとりと血がついていた。
「この花瓶のようですわ」
カタリナは、イレーナの方に血のついた胴を突き出すようにして、花瓶を示した。




