革命なんて起こらない
マルクスやレーニンの時代、社会構造は比較的単純だった。
乱暴に言えば、
・少数の資本家
・大多数の労働者
である。
資本家は豊かで、労働者は貧しかった。
もちろん現実には農民もいたし、小商人もいた。
だが社会を動かす力学としては、「資本家対労働者」という構図が成立していた。
だから革命も起きた。
不満を持つ人々の大半が同じ方向を向いていたからである。
では日本はどうだったか。
戦後の高度経済成長を経て、日本は「一億総中流」と呼ばれる時代を迎える。
富裕層はいた。
貧困層もいた。
しかし多くの人は自分を中流だと思っていた。
サラリーマンとして働けば生活できた。
家が買えた。
車が買えた。
子供を育てられた。
老後も何とかなると思えた。
少なくとも将来への希望はあった。
当時も貧困は存在した。
しかし私の感覚では、それは個別の事情によるものだった。
病気になった。
体を壊した。
商売に失敗した。
会社を潰した。
連帯保証で借金を背負った。
そうした事情によって生活が苦しくなることはあった。
しかし社会全体としては、
「働けば普通に暮らせる」
という感覚が共有されていたように思う。
では現在はどうだろうか。
富裕層は相変わらず存在する。
その下には中流意識を持つ正社員層がいる。
生活はできる。
しかし給料はなかなか増えず、税金や社会保険料は上がり続ける。
豊かになっている実感は薄い。
さらにその下には、非正規雇用や派遣労働者などの層がいる。
働いている。
真面目に働いている。
それでも生活は楽にならない。
将来への不安も大きい。
そして生活保護受給者もいる。
生活保護に問題がないと言うつもりはない。
だが少なくとも制度として最低限の生活は保障されている。
つまり現在の日本は、
・富裕層
・中流意識の正社員層
・ジリ貧の非正規層
・生活保護層
という複数の階層に分かれている。
しかもそれぞれ利害が違う。
富裕層は資産を守りたい。
正社員は現状維持を望む。
非正規は待遇改善を望む。
生活保護受給者は制度維持を望む。
全員が同じ方向を向いていないのである。
ここでさらに大きな変化が起きた。
インターネットである。
昔は新聞だった。
テレビだった。
労働組合だった。
政党機関紙だった。
地域組織だった。
同じ情報を見て、同じ問題意識を持つ人が多かった。
ところが今は違う。
SNS。
YouTube。
ブログ。
note。
個人配信。
知識人の発信。
無数の情報源が存在する。
誰もが自由に発信できるようになった。
これは素晴らしいことでもある。
しかし同時に、人々の意見をバラバラにする効果も持っていた。
同じ「生活が苦しい」という不満を持っていても、
増税が悪いと言う人もいる。
資本主義が悪いと言う人もいる。
移民政策が悪いと言う人もいる。
自己責任論が悪いと言う人もいる。
政府支出が少ないと言う人もいる。
不満は共有されても、解決策は共有されない。
だからまとまらない。
デモも時々行われる。
しかし私はあまり大きな政治的圧力にはなり得ないと思っている。
あれは市民運動だからだ。
参加者は集まる。
声も上がる。
しかし継続的な組織力にはなりにくい。
昔の労働組合のように何十万人、何百万人を動かす力とは違う。
票をまとめる力にもなりにくい。
結局のところ、
不満はある。
問題もある。
だが誰も同じ方向を向いていない。
マルクスやレーニンの時代は、
少数の資本家と多数の労働者だった。
しかし現代は違う。
社会は細分化された。
情報も細分化された。
価値観も細分化された。
だから革命は起きない。
いや、革命どころではない。
改革すら起こらない。
誰もが少しずつ違う方向を向いているからだ。
それが現代社会なのではないだろうか。




