51話
依頼の場所は、領都から北へ半日の森だった。
樹海そのものではない。樹海の縁から染み出すように広がった林で、地元では外森と呼ばれているらしい。畑を荒らす犬型が三頭。それだけの依頼だった。
朝のうちに町を出て、昼前には林の入り口に着いた。
一歩入って、足が止まった。
濃い。
領都でも濃いと思っていたが、比べものにならなかった。下生えのあいだにも、木の根元にも、澱みが溜まっている。息を吸うだけで喉の奥に膜が張るような感じがして、それが不快ではないのが自分でも不気味だった。
俺の身体は、これを歓迎している。
歩くたびに流れ込んでくる。腹の底で受けて、上へ回して、器へ落とす。考えなくても回る。この森は、俺にとっては餌場のようなものだった。
そして、懐かしかった。
理由は分かっている。分かっていて、それでも肌の感覚が覚えていた。
腐葉土の柔らかさ。日の差し込み方。木の皮に爪を立てたときの、あの引っかかり。踏むと音の出る枝と、出ない枝の見分け方。誰にも教わっていないのに、身体のほうが先に選り分けている。
百六十年ぶりの森だ。
犬型は、林の中ほどで見つけた。
三頭。札のとおりだった。風下から近づいて、一頭目の首を落とし、振り向いた二頭目の脚を薙いだ。三頭目が逃げようとしたので、追って背骨を断った。
どれも二十を数えるほどで終わった。動きを強化すれば、犬型にも後れを取ることはない。
核を三つ、取り出して袋へ入れた。
これは、そのまま納める。浄めた石を持っていけば怪しまれる。二年前に一度やって、ギルドの職員に問い詰められた。
依頼の分は、早々に終わった。ここから先は散歩のようなものだ。
俺は、もう少し奥へ入った。
札に書かれていない個体を探して、片づけて回る。半日で、犬型が二頭と、猪型が一頭。どれも畑の側へ下りてくる前に始末した。
核を三つ、掌で握る。
瘴気が抜けていく。腹の底へ落ちて、上へ回って、器へ収まる。石が黒から灰色へ変わるのに、三つ数えるほどもかからなかった。
足元の土に、穴を開ける。
土を掘る手間は要らない。退けと決めれば、その分の土が脇へ寄る。死骸が三つ入るだけの穴が、木の根の下に開いた。
犬型を二頭、猪型を一頭、そこへ落とす。灰色になった石も一緒に落とした。決めたものを戻せば、土は元のとおりに閉じる。落ち葉を蹴って、上からかけておいた。
浄めた石は、ただの石だ。放っておいても害はない。売れば小銭になるが、売れば出どころを訊かれる。埋めるのがいちばん静かだった。
この森から出ていく石が、三つ減った。
教会の木箱は千に届こうかという量で、明日も明後日も増える。三つ減らしたところで、大した違いにならないのは分かっていた。
分かっていて、そのまま森を歩いた。
日が傾くまでに、合わせて十頭。核はどれも浄めて、埋めた。
ふと、俺は林の奥を見た。
木々の向こう、北東の方角。そちらへ行くほど木が太くなり、間隔が詰まって、日が入らなくなる。あれが樹海だ。
巣穴があったのは、もっと奥だった。
覚えているのは、岩が三つ重なった場所と、その下の窪み。雨の日でも濡れない、狭くて暗い穴。
もうないだろう。百六十年あれば、岩も動く。木も倒れる。あの窪みが残っているとは思えない。
それでも、方角だけは間違えていない。
あいつを埋めたのは、巣穴から少し離れた、平らな場所だった。
石を積んだ。手が小さかったので、大きな石は運べなかったが、積み終えるのに半日かかった。そのあいだ何も食べなかったのを覚えている。
あの石も、もうないだろう。
俺は、そちらへ向かって少しだけ立っていた。手を合わせる作法をこの世界で見たことはないし、前の世界の作法も、いまさら意味があるとは思えなかった。
だから、気持ちが落ち着くまで、ただ立っていた。それから背を向けて、林を出た。
ギルドに戻ったのは、日が落ちてからだった。
受付に石を三つ出すと、職員は何も言わずに帳面へ書き込み、銅貨を数えた。三頭で銅貨四十五枚。犬型としては悪くない値だ。魔物が多い土地は、討伐の値も上がる。
建物の半分が酒場になっていた。
安い麦酒と、煮込みと、硬いパン。頼んで隅の卓に座ると、隣の卓の話が勝手に耳へ入ってきた。
探索者が四人。四十代くらいが二人と、若いのが二人だ。
「外森が、また広がってやがる」
「去年の測りより、三十歩ぶん出てるとよ」
「木が勝手に生えてくるんだ。どうしようもねえだろうが」
俺は椀を置いた。
樹海が広がっている、という話は聞いていた。だが、測っている人間がいるとは思わなかった。
「毎年、測るんですか?」
声をかけると、四十代くらいの一人が顔を上げた。俺の札を見て、それから顔を見る。
「あん? 新入りか。……ああ、測るさ。領のお達しでな。畑がどこまで削られるかって話だ」
「そうなんですか。……広がる速さは、変わっていますか?」
男は麦酒をあおって、少し考えた。
「早くなってるとも。俺が若いころは、十年で十歩てえところだった」
十年で十歩が、一年で三十歩。
何倍になったのかを考えかけて、やめた。数えても仕方のないことだ。




