52話
それから数日、同じことを繰り返した。
朝に依頼を受け、森へ入り、その分を片づける。それから奥へ回って、札に書かれていない個体を狩る。核は浄めて、死骸と一緒に埋める。日が傾く前に戻って、石を三つか四つ納める。
三日で、探索者たちは俺を覚えた。
毎日出て、毎日戻ってくる新入りがいて、等級のわりに死なないらしい。その程度の認識だろう。ちょうどいい。
森を歩きながら、俺は瘴気の流れを見ていた。
濃さは一様ではない。北東へ寄るほど濃く、しかも流れがある。水のように低いところへ集まるのではなく、奥から染み出して外へ広がっていく。源は樹海の中だ。それも、かなり深い。
入ってみたいとは思った。だが、装備も情報も足りない。エルベルクで出たような受肉型が一体でもいれば、いまの装備では厳しい。
まだ急ぐ必要はない。
その代わり、町では別のことを調べていた。
塞がれた北の門について訊けば、答えはどこでも同じだった。昔の氾濫で破られたから、二度と開けないのだと。百六十年前の話だという。
誰もが知っていた。そして、誰も詳しくは知らなかった。
雑貨屋の主人に当たったのは、四日目だった。
油と縄と蝋燭を買いに入った、中央通りの店だ。皺の深い老人が一人で店番をしていて、俺が北門のことを口にすると、勘定の手を止めた。
「おや。あんた、余所の人だね」
「はい」
「うちの家には、あの日の話が残ってるんだよ」
口角が上がっていた。話したくて仕方がないという顔だった。
老人は帳場の奥から椅子を引っぱり出して、座れと顎で示した。客は他にいなかった。
「五代前のばあさんが、まだ子供だったころの話だ」
群れが壁に取りついて、町の民は広場へ集められた。逃げ場はなかった。その中に、母親に連れられた五つか六つの女の子がいたという。
「ばあさんは、母親の陰から防壁を見ていたそうだ。そこに、剣を振るってる女騎士がいた。目が合ったんだと」
老人は自分の目を指した。
「うなずいてくれたそうだよ。それだけだ。声も届かない距離でな。だが、守ってくれると分かったと」
「騎士の方だったんですか」
「そのときはな。あとで家を継いで、女の身で当主になった方だよ。うちの領で女が当主になったのは、後にも先にもあの方だけだ」
俺は、椅子の縁を握っていた。
握っていることに、しばらく気づかなかった。
「その騎士の方は?」
「生きて帰ったよ。ただ、しばらく剣を握らなかったそうだ」
「怪我をされたんですか?」
「それが、大きな傷はなかったらしい。なのに、剣だけ持てなくなったと」
老人は肩をすくめた。
「うちのばあさんは、あの日に何か見たんだろうと言っていたそうだ。何を見たのかは、一族の誰にも話さなかったらしい。……ただ、領の者には言われたそうだ。町を守った者たちへの感謝と、これから先も自分がこの町を守るということを」
老人は、そこで一度言葉を切った。五代ぶん繰り返された話の、いちばん大事なところなのだろう。
「だがな。剣は、生涯手放さなかったそうだ。持てなかった時期を越えて、また握って、亡くなる年まで握り続けた。領の子供らに教えながらな」
息を吐いた。
あの人は、生きたのだ。
俺が最後に見たのは、剣を振り上げた姿と、その向こうの空だけだった。あのあと町がどうなったのか、あの人がどうなったのか、俺は何も知らないまま死んだ。
「立派な方だったんですね」
「立派すぎて、扱いに困る類だな。うちのばあさんは、生涯あの人の話をやめなかったらしい。おかげでうちは、五代にわたって同じ話を聞かされとるんだ」
老人は笑って、それから少し声を落とした。
「墓は、館の裏の丘だよ。騎士の墓所がある。参る者はもう少ないがね」
「行っても、構わないんですか?」
「誰でも入れる。花を持っていくなら、白いのがいい。あの人が好きだったとか、そんな話も残ってる」
丘へ上がったのは、その日の夕方だった。
墓所は、館の裏手の斜面を平らに削ってつくられていた。石が並んでいる。数えると三十を超えていた。どれも手入れが行き届いていて、いちばん古いものでも文字がはっきり読める。新しいものでも、俺が生まれる前のものばかりだ。
並びには順序があった。
斜面の下のほうが古い。文字の彫り方が今と違う石が十いくつ並んで、そこから上へ、代を追って続いている。当主と、その妻。次の代の当主と、その妻。石の形も彫り方も、代が下るにつれて少しずつ変わっていた。
途中で、並びが一度だけ乱れていた。
当主の位置に、女の名がある。隣に並んでいるのは男の石で、そちらには見慣れない家名が添えられていた。婿に入った側なのだろう。
俺は、その石の前へ回った。
他より大きい石ではない。飾りもない。ただ、彫られた文字が深く、風化しても消えていなかった。
ヴォルヒルド・フォン・ヴァルトハイム
その下に、生まれた年と、死んだ年。
差し引けば六十一。三年前に王都の図書室で読んだとおりの数字が、石にも刻まれていた。
紙の上では、ただの記録だった。
俺は、白い花を石の前に置いた。町の外れで摘んだ、名前も知らない花だった。
膝をつくべきなのか、頭を下げるべきなのか、やはり分からなかった。だから森でしたのと同じように、ただ立っていた。
あんたが介錯してくれたおかげで、俺は次へ行けた。
そう言ってみようかと思って、やめた。声に出すには、この場所は静かすぎた。
立ち去ろうとして、視界の端に何かが入った。
小さい。
列から外れた、墓所の隅だった。斜面の縁に近く、そこから先はもう草地になっている。膝の高さもない、丸い石が一つ。据えられているというより、置かれているという形だった。
周りの草は刈られている。誰かが手入れをしている。
文字がない。
名前も、年も、紋も、何も彫られていなかった。
俺はしゃがんで、その石を見た。
墓所の石は、どれも切り出して形を整えてある。この石だけが、そのままの丸い形をしていた。川原か、森から持ってきたものだ。
列の中ではない。だが、遠くもなかった。さっきの石から、十歩と離れていない。
墓所に入れるつもりはなかった。それでも、近くに置きたかった。そういう距離だった。
誰の墓ですか、と訊けば、たぶん答えは返ってこない。
名前がないのだから、誰にも分からない。分かる人間は、あの日から四十年生きて、六十一で死んだ。
俺は、その石にも手を触れなかった。
ただ、しばらくのあいだ、そこにしゃがんでいた。




