47話
書庫は、聖堂の裏手にある別棟だった。
受け入れ所とは反対側で、坂を回り込んだところに石造りの建物が立っている。窓が高い位置にしかない。中の紙を陽に焼かせないためだろう。
案内の若い神官は、扉の前で足を止めた。
「ここから先は、私は入れません」
入れないのか、入らないのか。訊く前に、扉が内側から開いた。
「二人だと聞いていなかったが」
背の高い老人だった。六十を越えているだろう。神官服の上に、埃よけの前掛けをつけている。袖には墨の染みが幾筋も残っていた。
「祖父です」
俺は言った。
「連れてきました」
「クラウスと申します」
テオドールは、俺ではなくクラウスの手を見た。指の関節が節くれ立ち、爪の縁が黒い。三十年、砂と炭を触ってきた手だ。
「入りなさい」
中は、紙の匂いがした。
天井まである棚が並び、その隙間を通路が縫っている。奥行きが分からない。窓が高いので、光は上から降ってきて、床には届かない。クラウスの足が止まった。
三十年、この老人は自分の家の一室に紙を積んでいた。塔のように積んでいたと本人は言っていたが、ここにあるのはその数百倍だ。
テオドールは奥の卓へ俺たちを通した。
「儀式の日、堂に残ったのは君か?」
「はい」
「なぜ残った?」
俺はハンネに話したのと同じことを話した。陣を見に来たこと。祖父が三十年それを追ってきたこと。中に入らなければ見えない場所だったこと。
テオドールは肘をついて聞いていた。途中で口を挟まない。話が終わってからも、しばらく黙っていた。
「盗みでも、破壊でもない、と」
「はい」
「では、何を得た?」
クラウスが動いた。油紙の包みを卓に置き、十四枚の写しを広げていく。
テオドールの目が変わったのは、三枚目のあたりだった。
立ち上がって、棚の陰から燭台を持ってきた。火を近づけ、身をかがめ、一枚ずつ順に見ていく。指は触れない。触れずに、目だけで舐めるように追っている。
「これを、どこで?」
「堂の中で。歌が鳴っているあいだに、盤へ通しました」
「盤を持ち込んだのか?」
「持ち込みました」
「砂を撒いたか」
「撒きました」
テオドールは、初めて俺の顔をまともに見た。
「……あれは、記録の中にしか残っていない。今の教会に、あの盤を使える者は一人もおらんのだ」
隣でクラウスが息を詰めたのが分かった。三十年、この老人が一人で組み立て直してきたものは、かつて誰かが持っていて、失われた技術だったことになる。
「十四枚。……足りないな」
「三枚写しそこないました。歌は十七節ぶんです」
「十七ではない」
テオドールが顔を上げた。
「記録には、二十九とある」
部屋の空気が止まった。
クラウスが椅子から半分腰を浮かせている。俺も、たぶん同じ顔をしていた。
「四百年前の書き付けだ。当時の記録係が、儀式の最中に立つ形を数えて残している。二十九」
テオドールは燭台を置いた。
「だが、それを確かめた者は、この四百年で一人もいない。数えるには堂の中にいなければならず、堂の中にいられるのは歌う者と削られる者だけだからな」
「あなたは?」
「私は記録係だ。歌わないし、削られない」
自嘲でも卑下でもない言い方だった。事実を読み上げる口調だ。
俺は、口の中が乾いていくのを感じた。
「……二十三でした」
テオドールの手が止まった。
「一つの節で、砂が二度形を変えるものが六つありました。十七に、その六つを足して二十三。数え違いでなければ、六つ足りません」
しばらく、誰も何も言わなかった。
高い窓から落ちてくる光の中を、埃が上がったり下がったりしている。それを見ていた。
四百年ぶりに数字が確かめられて、分かったのは、足りないという一事だけだった。総本山ですら、もう本来の姿ではない。
クラウスが、ようやく声を出した。掠れていた。
「四百年前の記録には、他に何が書いてあるのですか?」
テオドールは答えなかった。代わりに、卓の上の十四枚を指で示した。
「その前に、一つ確かめたい。あなたは、この形が何のためのものだと思っている」
クラウスは背嚢に手を伸ばした。
油紙を開いて、三十二年前の一枚を卓に置く。角の丸くなった、擦り切れた紙。中心から外へ線が出ていこうとしている、あの図だ。
テオドールの顔から、表情が消えた。
「……どこで手に入れた?」
「古物商の屑籠です」
「三十二年前だと?」
「はい」
テオドールは椅子に座り直した。それから、長く黙っていた。
「その束を捨てたのは、私だ」




