41話
翌日、俺はギルドの掲示板の前に立っていた。
二十日で金が尽きる。宿を替えれば延びるが、クラウスを相部屋の床に寝かせることになる。それなら稼ぐほうが早い。
討伐の札は、昨日と同じ三枚のままだった。代わりに、常設の依頼が壁の下段にまとめて貼ってある。井戸の掃除、石切り場の人足、荷の受け取り。
その一枚に、目が留まった。
”北の荷の受け取り。数え違いのない者。日当銅貨五十”
受付の男に訊くと、教会の受け入れ所の仕事だという。ノルドグレン王国から運ばれてくる魔石を、数えて、帳面と突き合わせて、倉へ納める。教会が直に人を雇わずギルドへ回すのは、俺のような余所者に数だけ数えさせるほうが揉め事が少ないからだろう。
「魔石を直接数えるのですか?」
「魔石が入っている箱を数えるんだ。直接手に持って数えたりしたら危ないぞ。開けるのは向こうの役目だ」
調べるのに、ちょうどいい。俺はこの札を取った。
受け入れ所は、聖堂の裏手の坂を下りたところにあった。
石を積んだ倉が四棟。その手前に、荷馬車を寄せるための広い土間がある。屋根はあるが壁のない造りで、風が抜けるようになっていた。瘴気の溜まりを嫌ってのことだろう。
帳面を持って立っていたのは、四十くらいの女だった。
「ギルドの子かい?」
「はい、ヴァルドといいます。よろしくお願いします」
「おや、礼儀正しいね。書記をやってるハンネだよ、よろしく。あんたの仕事は箱の積み下ろしと、数えて伝えること。いいかい、決して箱を開けたり、中身を直接触ったりするんじゃないよ。あとは余計なことを訊かないこと。分かったかい?」
「はい」
三つとも守れそうにない、と思ったが、口には出さなかった。
仕事そのものは単純だった。
荷馬車が着くと、鉛を張った箱が降ろされる。魔石を運ぶための専用の箱らしい。一箱に石が二十個。俺が箱の数を数えて読み上げ、ハンネが帳面に書き取る。突き合わせが済んだら人足が倉へ運ぶ。それだけを日に何度か繰り返す。
だが、二日目には気づいた。
俺には、箱の中身が分かる。
鉛は瘴気を薄めてくれるが、断ち切ってはくれない。漏れてくるぶんが、俺には読める。魔石が二十個入っていれば、箱から漏れてくる濃さはどれも同じだ。それが一つ減るだけで、はっきりと違って感じられた。三日目に一度だけ、それを言った。
「この箱、他の箱と重さが違う気がします」
ハンネは俺を見て、それから箱を開けさせた。十九個だった。
「どうして分かったんだい?」
「持ち上げたときに、少し軽いように思えました」
嘘だ。鉛の箱一つに石が二十個も入っていれば、一個ぶんの差など腕では分からない。ハンネはしばらく俺を見ていたが、それ以上は訊かなかった。訊くなと言った本人が訊いたことになるからかもしれない。
その日から、ハンネの俺を見る目が少し変わった気がする。どうやら数を読み上げるだけの人間ではなくなったらしい。
面白かったのは、帳面のほうだった。
ノルドグレンからの荷は、十日に一度きちんと届く。箱の数はいつも百前後で、揃っている。書き込みの横に、代価の額と、納めた領の名が並んでいた。
俺は自分の国の欄を、つい探してしまった。グランフェルドからは月に一度。送り出しているのはエルデンハル。それから南部の三領。北東の名は、どこにもない。
ヴァルトハイム領
樹海に接した、あの辺境の名は、帳面のどこにも書かれていなかった。
「北東の領からは、来ないんですか?」
「訊くんじゃないと言ったろ」
ハンネは筆を止めずにそう言って、それから短く付け足した。
「お布施を払えないところからは来ないよ。浄化はただで行えるわけじゃないんだ。運ぶ金と、納める金と、両方要る。ここは慈善の場所じゃないからね」
倉の中を見たのは、六日目だった。
人足が足りずに、運び込みを手伝わされた。扉が開いた瞬間、腹の底が動いた。
中に溜まっていたものが、開いた隙間から一斉に押し出されてくる。鉛越しにあれだけ漏れていたものが、四棟ぶん重なればこうなるのか。
箱が天井近くまで積み上がっている。四棟のうち、これが一棟目だ。エルベルクで俺が運んだ八百個が、ここでは棚の一段に収まる程度でしかない。
そして、すぐに分かった。
これは、溜まっているのだ。
届いた石が、届いた順に浄められているわけではない。運び込まれる速さのほうが、浄める速さより速い。だから積み上がる。建物がどれだけ優れていようと、最後に手を動かすのは人間で、その人間の数と命には限りがある。
俺は箱の一つに手を伸ばしかけて、止めた。
触れれば消せる。三日もあれば、この一棟ぶんもだいぶ減らせるはずだ。だがそれをやれば、翌日には俺の名が教会の帳面に載る。奉納を断り続けてきた男が、ここで自分から名乗り出るのと同じことだ。
手を引っ込めて、俺は箱を数えた。
その晩、宿に戻ると、クラウスは卓に真鍮の板を並べていた。
揺れない床の上でようやく研究が再開できるらしく、機嫌がいい。俺は日当の銅貨を五十枚、卓の隅に置いた。
「倉に、かなりの石が積まれていた」
「そうだろうな。国をまたいで石が運び込まれておるのだ」
「あれは、浄化が持ち込まれる石に追いついていない」
クラウスは板から顔を上げた。
「その話は、あの倉の中だけの話ではないぞ」
分かっている。エルベルクで三人の司祭が床に就いたのも、同じ一本の線の上にある。
「儀式の日は、倉の人間も駆り出されるらしい」
これはハンネが誰かと話していたのを、聞くともなく聞いたものだった。毎日の浄化は、司祭が数人で回している。それとは別に、十日に一度、聖歌隊を揃えて大掛かりにやる日があるらしい。そのときは堂へ運び込む石の数が桁違いになる。人手が足りないから、受け入れ所からも人を出す。石を内陣まで運び入れる役だという。
クラウスの目が、板の上から動いた。
「歌っている最中にか?」
「いや。運び込むのは歌が始まる前だ。積み終わったら、聖職者でない人間は全部外へ出される」
「……なんだ、それは」
あからさまに落胆した声だった。
それでも、収穫はある。柵の内側までは入れる。七本の柱も、途中で断たれて見えた梁の先も、石を積んでいるあいだなら見られる。
問題は、そのあとだ。
積み終わって、人が追い出されて、それから歌が始まる。立ち上がるものを見たければ、その場に残っていなければならない。
しばらく、部屋が静かになった。真鍮の板が一枚、クラウスの手の下で、かすかな音を立てた。




