40話
門をくぐるのに、また一刻かかった。
巡礼の客と、それ以外で列が分かれている。巡礼の側は長い代わりに進みが速く、俺たちの並んだ列は短いのに動かなかった。荷を一つずつ開けさせているらしい。ようやく順番が来ると、役人は俺の札を見て、滞在の目当てを訊いた。
「祖父の付き添いです。療養に来ました」
用意しておいた答えだった。役人は棒に体重を預けて立っているクラウスを一瞥して、木札を二枚寄越した。ひと月ぶんの滞在札だという。銅貨を六枚取られた。
「延ばすときは、区の詰所へ出せ。黙って居続けると面倒になる」
街に入ると、道が上りになった。
白い石を敷いた通りが、丘の上の聖堂へ向かってまっすぐ伸びている。その両脇に宿と店が詰まっていて、どこも巡礼の客を当て込んだ商いだった。杖、布、蝋燭、聖句を彫った木札。物乞いの姿はここにもない。教会の前に並ばされているのだろう。
探索者ギルドは、坂を一本外れた通りにあった。
建物は小さい。掲示板を覗くと、討伐の札は三枚しか出ていなかった。残りは荷の護衛と、山の見回りと、井戸の掃除。エルデンハルの掲示板が魔物の名前で埋まっていたのとは、まるで違う。
瘴気が薄い国では、そもそも狩る相手がいない。
この国の探索者は、魔物を討つ者ではなく、荷を運ぶ者らしかった。
宿は、坂の中ほどで取った。
巡礼宿は安いが十人の相部屋で、床に寝る。クラウスにそれをさせるわけにはいかなかった。二階の奥の、窓が一つある部屋で、一泊が銅貨四十枚。ゲルトから受け取った銀貨十一枚を全部この部屋に注ぎ込んでも、二十八泊しか買えない。食う分を引けば二十日で底が見える。滞在札はひと月ぶんあるのに、金のほうが先に尽きる勘定だった。
部屋に入るなり、クラウスは寝台に腰を下ろして、そのまま動かなくなった。
「疲れたか?」
「私を何歳だと思っておる。歳には勝てんのだ」
九日、荷台で揺られ続けた。膝が痛むと言い、腰が痛むと言い、それでも真鍮の包みだけは自分で抱えていた。俺はそれを取り上げて、卓の上に置いた。
「水を汲んでくる」
「明日すぐ見に行くぞ」
食い気味に、クラウスが言った。
「明日は寝ていたほうがいい」
「そんな時間はない!」
言い合っても勝てないのは分かっていた。
翌朝、俺たちは坂を上った。
クラウスは杖代わりの棒を突いて、三十歩ごとに立ち止まる。それでも、上を向く回数のほうが多かった。近づくにつれて、塔はもう視界に収まらなくなっていた。
聖堂は、丘の頂を平らに均した上に建っていた。
前庭が広い。そこに人が敷き詰められている。跪いている者、並んでいる者、順番を待って座り込んでいる者。列は正面の扉へ向かっているが、扉の手前で二つに割れていた。
左へ流れる列は、そのまま中へ入っていく。右へ流れる列は、脇の建物へ回されていた。
「どっちがどっちだ?」
「分からない。訊いてくる」
前庭の隅に、案内の神官が立っていた。若い男で、一日中同じ説明を繰り返しているらしく、俺が口を開く前に喋りはじめた。
左は参拝。堂の後方までなら誰でも入れる。右は奉納。魔力を納める者と、納めたい者が、あちらで検分を受ける。
「奥までは入れないんですか?」
「内陣は、神職に就いた者と、奉納の記録がある方のみです」
神官は暗誦するように答えた。何百回も同じことを訊かれているのだろう。
「奥の柱の組み方を見たいだけでも、駄目ですか?」
「柱を、ですか?」
神官は少しだけ目を丸くして、それから声を落とした。
「後方からでも、奥のほうまで見えることは見えます。……ただ、皆さんはたいてい、六柱の御像のほうへ行かれますよ」
俺は礼を言って、クラウスのところへ戻った。
左の列は、思ったよりも早く進んだ。
扉をくぐると、天井が消えた。
そう感じるほど高い。柱が並んでいて、その一本一本がグランフェルドの大聖堂の主柱より太かった。奥のほうは霞んでいて、祭壇があるはずの場所も、光の粒の向こうにぼんやりと見えるだけだ。歌が聞こえている。人の声だとは、しばらく気づかなかった。
奥に、像が六つ並んでいた。
六本の柱が輪を描くように立っていて、その一本ずつの前に、像が一体ずつ据えられている。どれも人の三倍はある背丈で、白い石を磨いて作られていた。足元には花と蝋燭が積み上がり、その前に列ができている。堂に入った客は、まずそこへ向かう。順に回って、六つ目まで祈り終えてから帰っていく。
ただ、どれも古びていた。
風雨に晒されてもいない堂の中で、石の表面に細かい罅が走っている。剥がれた箇所は磨き直され、欠けた指は継がれていた。手入れは行き届いているが、傷そのものは消えていない。傷み方には差があって、堅牢神テラルドは罅が浅く、伝令神ヴェントゥスは片腕の継ぎ目が目立つ。
いちばんひどいのは、奥の一体だった。
安寧神ノクティス。顔の左半分から胸にかけて、色の違う石が嵌め込まれている。継ぎ足しの粗さは、一目で分かるほどだった。それでも、その像の前にも列はできている。
俺は像の顔を順に見ていった。
変転神イグナル。流転神アクレア。伝令神ヴェントゥス。堅牢神テラルド。奥の一対が、光輝神ルクセイアと安寧神ノクティス。名前は知っている。十歳で初めて参列してから毎年、祭礼で読み上げられるのを聞かされてきた。
顔は知らない。
あの白い場所にいたものたちに、こういう顔はついていなかった。俺が斬った相手がこの六つの中にいるのかどうかは、像を見ても分からない。分からないまま、隣で女が一人、イグナルの足元に額をつけているのを見ていた。
足元の敷石には、線が入っている。王都の大聖堂と同じだ。ただし、これは模様ではない。目で追っていくと線は柱の根本で消えて、そこから上へ続いていく。柱の太さ、柱と柱の間隔、その上を梁がどう渡っているか。堂そのものが、まるごと一つの装置として組まれている。
三年前に司祭が言っていたのは、こういうことだった。
組み方は、王都のものと同じだった。
柱の数も、輪の作り方も、梁の渡し方も変わらない。違うのは寸法だけだ。何もかもが一回り大きく、そのぶん柱の間隔が広く取ってある。同じ図面を引き伸ばして建てたように見えた。
——盤が変われば形も変わる。
クラウスが三十年言い続けてきた言葉が、そのまま目の前にあった。組み方が同じでも、大きさが違えば別の盤だ。俺が砂の盤で拾った十七の図は、王都のあの建物が歌に叩かれて出したものにすぎない。この堂で同じ歌を歌ったら、同じものが浮かび上がるのだろうか。それとも、どこかが違うのか。
いまは何も出ていない。歌は聞こえているが、浄めの儀式ではないのだろう。図が立つのは、歌と、納められた魔力が揃ったときだけだ。
それでも、一つだけ違うところがあった。
六本の柱が囲んでいる、その真ん中の一本。
像もなければ、花も蝋燭もない。六本より細く、そのぶん高い。そこまでは王都と同じだ。あちらは、てっぺんで折れた断面が剥き出しのままだった。子供のころ、直す気がないのか直せないのかと思ったのを覚えている。
こちらは違う。
てっぺんから、何かが伸びていた。どこへ繋がるのかを目で追おうとしたが、そこから先は柵の向こう側で、参拝の者が入れる範囲を出ていた。
隣で、クラウスが息を吸う音がした。
「……繋がっとる……!」
声が震えている。王都の堂なら、この老人も何十回と通ったはずだ。折れた断面しか見たことのない男が、いま先のあるほうを見上げている。
「見えるか?」
「全ては見えん。だが、途中で終わっておらんのは分かる」
クラウスは柵に手をかけて、身を乗り出そうとした。俺はその腕を掴んで、押し戻した。周りの巡礼者が、何人かこちらを見ている。
列に押されて、俺たちは堂の外へ出た。
前庭の光が、やけに白かった。クラウスはしばらく黙って歩いて、坂を下りはじめたところで、ようやく口を開いた。
「あの柵の中に入る手を考えろ」
「神職に就くか、奉納するか、どちらかだ」
「片方は何年もかかる」
もう片方は、俺には無理だ。
魔力を納めろと言われて、俺の身体から出るものは一つもない。測れば針は動かず、司祭の目には何も映らない。十五年、この国のものではない仕組みに助けられてきた。それが初めて、扉の前で俺を止めている。




