32話
翌朝、まずギルドへ行った。
板を増やすなら金が要る。昨日のうちに数えたが、教会から受け取った銀貨六枚は、真鍮三枚と鍛冶屋への手付けで半分以上が消えている。宿代を差し引けば、残りは知れていた。
掲示板の前で、十等級でも受けられる依頼を探した。薬草。下水の掃除。荷運び。半日で銅貨が十枚か十五枚。板一枚が銀貨一枚だから、この調子だと何日かかるか分からない。
紙を三枚剥がして、窓口へ持っていった。
「まとめて三つ?」
あの退屈そうな顔の女が、紙を検分しながら言った。
「急ぎで金が要るので」
「まあいいけど。……ちょっと待って」
女は帳面をめくり直して、それから木札を出せと言った。俺は腰から外して渡した。
彼女は引き出しから小刀を取り出すと、札の裏に二つ、刻みを入れた。
「あなたは今日から八等級ね」
「は?」
「昇級よ。等級不問の応援を、教会が二十日ぶんで申請したでしょう。あなたへの評価よ」
札を返された。裏の刻みが三つになっている。
「十日で二十日ぶん出すってことは、教会があなたを二人ぶんだと思ったってこと。うちはそれを記録する。等級は腕を測るものだけど、腕なんて誰も直接は見られない。だから、誰がどれだけあなたを信用したかで測るの」
「……信用ですか」
「そう。八等級なら、護衛も受けられるし、討伐も共同でなら通る。二等級はまだ無理だけどね」
「エルベルクで一緒だった人は、何等級ですか?」
「ハインツ? あれは四等級よ。十年やってる」
四等級。あの男が二度目の討伐隊にいて、生きて帰ってきた。そういう等級だ。
女はそう言って、次の客のほうを向きかけて、思い出したように付け足した。
「言っておくけど、上がったぶん死にやすくなるわよ」
外へ出て、木札の裏を見た。粗い彫りの剣と天秤。その裏に、刻みが三本。二つ増えただけの木の板だ。それでも、しばらく指でなぞっていた。
二年、俺は城で一番下だった。魔力なしの出来損ないで、順序を間違えて生まれてきた長子で、誰も俺を数に入れなかった。
ここでは、誰かが俺を二人ぶんだと思ったらしい。俺は札を腰に戻して、東門へ歩いた。
依頼は昼までに三つとも片づいた。下水の掃除は臭かったし、荷運びは肩に響いた。それでも銅貨が三十枚と少し。半日で稼げる額としては悪くない。
その足で南門の内側へ回って、鍛冶屋に板を注文した。円と四角と六角、それぞれもう一枚ずつ。厚さを変えて作ってくれと頼んだ。
「前のと同じでなくていいのか?」
「同じでないほうがいい。厚みが違えば、出るものが違うはずだから」
鍛冶屋はまた妙な顔をしたが、今度は何も訊かなかった。
銀貨三枚と、稼いだばかりの銅貨。袋を逆さにして、底に残った鉄貨を数えて足した。
これで、教会からもらった金は一枚も残っていない。
午後、クラウスの家へ行った。
机の上は昨日のままだった。真鍮の板が三枚、砂の入った小箱、そして紙の山。歪んだ線で埋まった紙が、昨日より倍に増えている。この男は寝ていないらしい。
俺は指を支点に当てて、また力を流し込んだ。渦が出る。石を思い描けば六本の筋になり、水ならさざめきになり、火なら中心が空く。昨日と同じだ。三度やって三度とも同じなら、それは偶然ではない。
「何度やっても同じ形が出るのなら、逆はできないのか?」
俺は、思いついたことをそのまま口に出した。
「逆?」
「この形を、板に彫っておく。そこに魔力を流したら、石が出るんじゃないか?」
クラウスの手が止まった。
「……お前は、何を言っとるんだ?」
「あんたが言ったんだ。陣は形で術を起こすと。教会の陣がそうなんだろう。なら、形さえ分かっていれば、決めるのは陣のほうがやってくれる。人は流すだけでいい」
クラウスは椅子に浅く座ったまま、しばらく何も言わなかった。
やがて、机の端を指で叩きはじめた。速い。苛立っているのではなく、頭が追いつこうとしているときの癖だ。
「……スクロールだ」
「スクロール?」
「決まった術を、決まったとおりに起こす紙だ。音感のない者でも使える。市場でも売っとる」
「あんたの言い方だと、あれも形で決めているのか?」
「そうだ。もっとも、いま出回っとるものは、そう単純ではない」
クラウスは紙の山から一枚を抜いて、机に置いた。何も書かれていない。
「陣を描いた紙をそのまま売れば、買った者が写して覚えてしまうだろう。だから術者は、紙のほうに術を込める。専用に漉いた紙でなければ受けつけんそうだ。見た目は、これと同じで真っ白だ。何も描かれておらん。それでいて、魔力を通せば起きる」
「中に、形が入っているのか?」
「そうとしか思えん。だが、目には見えん。写せもせん。……教会がやっとるのと同じことだ。仕組みを外に出さずに、結果だけを配る」
クラウスは俺の顔を見た。
「お前が言っとるのは、その大本だ。写しでも、込めたものでもない。形そのものを作る話をしとる」
部屋が静かになった。
俺は、別のことを考えはじめていた。
石が出る形があるなら、水が出る形もある。火も、風も、土も。ここまでは今日のうちに埋められる。
では、と思った。
「浄化はどうだ?」
声に出したとき、自分の喉が乾いているのが分かった。
「浄化の形が分かれば、板に彫れる。誰でも使える。魔力を流すだけでいい」
クラウスが息を呑んだ。
考えていることは、たぶん同じだ。
魔力を納めれば浄化が進む。それはつまり、納めた魔力が陣を動かしているということだ。陣が形で術を起こすなら、奉納する者は、形を動かすための燃料を注いでいることになる。
そして、いま動いている陣は、あの大聖堂そのものだ。
いつか見学したとき、司祭はこの大聖堂そのものが陣なのだと言っていた。図は床に描かれているのではない。柱の並びも梁の走りも屋根の組み方も、建物まるごとで一つの形になっている。だから王都では八百個を捌ける。
エルベルクでは、それを三人と、若い神官が一人で回そうとしていた。回しきれずに、三人が床に就いた。国じゅうの町で同じことが起きていて、誰も止められないでいる。
あれが、板一枚で済むなら。
「……形が分からん」
クラウスが呻いた。
「私は音の形しか集めておらん。それも教会の陣は写しすら手に入らん。あれは秘匿されとる。三十年、そこで止まっとるのだ。……それに、大聖堂まるごとを使うような大きさの形だぞ。こんな小さい板一枚でどうにかなる浄化なら、誰も苦労はせん」
「見に行けばいい」
「どこへ?」
「もちろん教会だ。いま大聖堂には、東から運んだ石が八百近くある。あれを浄めるあいだ、堂の中で陣が回る。板を持って中に入れば、何が起きているか拾えるかもしれない」
クラウスが天井を仰いだ。それから、俺を見た。
「入れるのか。あそこは信徒でも奥までは通さん」
「司祭に知り合いはいるか?」
「おらん。学者は嫌われとる。……お前はいるのか?」
俺は、二日前に別れた若い神官の顔を思い浮かべていた。
「司祭じゃないが、一人いる。いま大聖堂にいるはずだ。石を運んできた側の人間だから、浄めるところにも立ち会うだろう」




