30話
板ができるまでの三日は、河原で過ごした。
王都の西を流れる川の、下流の外れだ。石ばかりで草も生えていないし、対岸は葦の原で人が渡ってこない。燃えるものがなく、水はいくらでもある。探すのに半日かかったが、探しただけの場所ではあった。
水から始めた。石のときと同じ手順を踏む。
水素と酸素でできている、と前世で習った。たしか二対一だったか。そこまでは出てきたが、その先が続かない。分子がどう並んでいるのかも、なぜそれが液体なのかも、思い出せなかった。
だから、こちらも噛み砕くしかない。
形を保たないもの。低いほうへ流れるもの。器に入れれば器の形になるもの。冷やせば固まり、温めれば消えるもの。
水が持っている性質を、思いつくかぎり並べていく。掌の上で、それがある。
二度目の試みで、掌に溜まった。温くもなく冷たくもない、ただの水だ。指の間から落ちて、石を濡らして、それきりだった。恐る恐る舐めてみた。味も匂いもない。飲めないことはなさそうだが、俺の中から出てきたものを進んで腹に入れる気にはならない。……水がなくて死にかけたときには、そんなことも言っていられないだろうが。
石より簡単だった。硬さや詰まり具合を決めなくていいぶん、条件が少ない。
火は、その日の午後にやった。燃えるとは何か。速く動くもの。触れたものを熱くするもの。上へ昇るもの。三日前に一度組み立ててあった理屈だから、決めるのは早かった。
掌の上に、拳ほどの炎が立った。風もないのに揺れている。
その辺に落ちていた葉を一枚、そこへ近づけてみた。縁が縮れて、黒くなって、あっさりと燃えた。ちゃんと火だ。形だけ似せたものではない。
だが、掌は焼けない。熱は感じるのに、皮が赤くなる気配もなかった。俺の中から出たものだからか、それとも別の理由かは分からない。
注ぐのをやめると、十を数えるほどで消えた。石と違って、残らない。
水は残り、火は消える。同じ手順で出したものなのに、そこが違う。理屈は分かる気もするし、分からない気もした。
風も試した。これは掴みにくかった。動いていることそのものが風なので、決めるべき中身が薄い。掌の上で空気が揺れた程度で、木の葉一枚吹き飛ばせなかった。
いまのところ、火起こしに使うくらいしか思いつかない。
土は、石の延長でどうにかなった。掌の上に土が湧いて出るのは、何とも言えない気分だったが。
試しているうちに、地面のほうへ手を向ければ、直接穴を掘れることも分かった。膝が入るくらいの深さなら、数えるほどで開く。
魔物を解体したあとの捨てどころには、ちょうどいいかもしれない。
光と闇には手を出さなかった。何が光を光にしているのかを、俺は説明できない。前世の授業でも、そこは苦手だった記憶がある。
三日で、四つ。クラウスの言い方を借りるなら、どれも一節で足りる程度のものだ。子供の読み物に出てくる、最初の一つ。それでも、俺は今日まで一つも持っていなかった。
石を撃つ。水を出す。火を灯す。どれも受肉型には効かないだろう。だが、手札は手札だ。
三日目の夕方、鍛冶屋から板を受け取った。
布に包んで抱えると、思ったより重かった。真鍮は木とは比べものにならない。円、四角、六角。どれも縁を丁寧に均してあって、指で撫でても引っかからなかった。
クラウスの家の戸を叩くと、いつものように返事の前に開いた。
「入れ」
俺は布を解いて、机の上に三枚を並べた。
クラウスは、しばらく黙っていた。それから、片手を伸ばして、四角い板の端に触れた。触れただけで、すぐに引っ込めた。それをもう一度やって、三度目にようやく持ち上げた。
「……薄いな」
「厚さを揃えてもらった」
「六角もあるのか?」
「四角と、六角だと言っていただろう」
クラウスは板を目の高さに掲げて、傾けて、光の当たる角度を変えた。それから、下ろした。
「支える場所を決めねばならん」
声が、少し掠れていた。
支点は中心にした。木の盤でもそうしていたが、真鍮では意味が違う。震えが長く残るぶん、支える一点がずれれば模様も丸ごとずれる。
クラウスが板を押さえ、俺が砂を撒いた。棒も、渡されたのは俺のほうだ。鳴らせるようになるまで十日かかった手つきを、この男は横で見ていた。自分でやるより速いと踏んだのだろう。
縁を撫でると、鳴った。木のときとは音が違った。高くて、細くて、切れずに続く。掌に伝わる震えが、撫でるのをやめてもしばらく残っている。
砂が走った。中心に一つ、それを囲む輪が三つ——ではなかった。輪は五つあり、そのあいだに細い筋が何本も渡っている。木の盤では潰れて見えなかったものが、そこにあった。
クラウスが息を吸う音がした。
「……線が、増えとる」
「増えたんじゃない。前からあったんだ」
「そうだ」
と言いながら、クラウスは板の上を指でなぞりかけて、途中で止めた。
「見えなんだだけだ。三十年、私は潰れた形を写しとって、それで表を作っておった」
俺たちは、日が落ちるまで鳴らし続けた。
音を変える。形が変わる。四角に替える。同じ音でも別の形が出る。六角では、木では一度も出なかった規則が現れた。クラウスは紙の裏に写しては、また鳴らせと言った。
そのうち、俺は一つのことを考えはじめていた。音が形を作る。魔力も、形を決めて使う。どちらも形の話だ。ならば、板に音を入れる代わりに、魔力を入れたらどうなるのか。
石にも水にも火にもしないまま、形を決める寸前で止めて、そのまま流し込む。
馬鹿げているとは思わなかった。この三日、俺がやってきたのは、そういう試しの繰り返しだ。
「クラウス。支点に触れていいか?」
「なぜだ?」
クラウスが俺の顔を見た。何を訊かれているのか分かっていない顔だった。それでも、答えを待たずに頷いた。
俺は板の裏側へ手を回して、支えている一点に、人差し指の腹を当てた。
腹の底で捕まえる。胸で変える。右手へ動かして、指先で留める。
形は決めない。
決める寸前で、止める。




