29話
翌朝、南門を出た。
薬草を採りに来ていたあの林へ向かう。半月前に犬型を仕留めた場所だ。人は来ないし、瘴気も濃い。
開けた場所に砂の盤を置いて、俺はその前に座った。
右手を開く。上へ送るのを胸のあたりで止めて、それを右手に向かって動かし、手のひらで留める。温かいものが、掌の内側に溜まった。いつも素通りさせているものが、そこにある。三年、器へ送ることしか考えてこなかったから、途中で止まっていられること自体が妙な感じだった。
形を決める。火——にしようかと思って、やめた。
万が一、林に燃え移ったら取り返しがつかない。ここは瘴気が濃いぶん下生えも枯れているし、風も通る。煙が上がれば、王都の門からでも見える。
水にするか。だが、出したところで地面に染みて終わりだ。当たったのかどうかも分からない。
石だな。
燃えないし、当たれば跡が残る。転がっていても誰も気に留めない。後始末も要らない。
最初は、灰色の塊を思い浮かべてみた。
何も起きなかった。掌の温度が上がっただけだ。溜まったものが行き場をなくして、そのまま胸へ戻っていく。
もう一度やってみたが、やはり駄目だった。前世で散々見た。剣も魔法もある話は、あの国では子供の読み物にいくらでも転がっていた。掌から石が飛ぶ絵なら、いくらでも思い出せる。
だが、絵を思い出すことと、形を決めることは違うらしい。
俺は盤に手を伸ばした。棒で縁を撫でる。力を入れると鳴らない。撫でるように——十日かかって覚えた手つきだ。
砂が震えて、模様が浮かんだ。単純な形だ。中心に一つ、それを囲む輪が三つ。音が変われば形も変わる。同じ音なら、同じ形になる。
見ていて、思い当たった。石の絵を思い浮かべていたのが間違いだ。あれは見えている姿であって、石そのものではない。俺が決めなければならないのは、見た目ではなく、何がそれを石にしているかのほうだ。
石とは何か。硬い。詰まっている。押しても形が変わらない。前世の授業でやった。物が硬いというのは、中身が隙間なく結びついて、動かないでいるということだ。詳しいことは忘れたが、そういう話だったのは覚えている。
この世界の理屈が同じかどうかは知らない。
だが、俺の中の力に形を教えてやるだけなら、俺が納得している理屈でいい。教会が神の御手だと言おうと、クラウスが術者自身だと言おうと、決めるのは俺だ。
目を閉じた。
原子。鉱物。ミネラル。
前世の言葉が、順に浮かんでは沈んでいく。どれも輪郭は思い出せるのに、中身が続かない。授業で聞いたはずのことが、二度死んだ頭のどこかで擦り切れている。
結局、残ったのはこれだけだった。
隙間なく詰まっているもの。押しても動かないもの。ひとかたまりで在るもの。
掌の上に、それがある。
——そうあれ。
掌が、ずしりと重くなった。目を開けると、灰色の塊が転がっていた。
拳の半分ほどの石だった。表面はざらついていて、川原にいくらでも落ちている類のものに見える。指で弾くと、乾いた音がした。
声も出さなかった。陣も引いていない。腹の底は、静かなままだった。
それが、いちばんの収穫だった。瘴気を大量に通せば澱みが疼くが、魔力を使うぶんには、あれは目を覚まさないらしい。
石は、消えなかった。
炎なら注ぐのをやめれば消えるのだろうが、これは残る。掌を傾けると地面に落ちて、下生えの上で止まった。土から作ったものが土に還っただけとも言えるし、俺が無から石を一つ増やしたとも言える。
どちらなのかは、いまは分からない。
俺は、それから日が暮れるまで、同じことを繰り返した。
二十回ほどで、形を決めるのが速くなった。三十回を超えたあたりで、掌ではなく、少し離れた場所に出せるようになった。宙に浮いた石はすぐに落ちる。持ち上げていられない。
形が粗いからだ。クラウスの言ったとおりだった。細く、鋭く。
——武器として使うなら、鋭くだ。
丸い石を当てたところで、打つ以上のことはできない。鏃のように先を尖らせて、後ろへ細く伸ばす。
当たる面が小さいほど、同じ力でも深く入る。
これも前世の理屈だが、槍を見れば分かることでもあった。
夕方には、鏃の形をした指の先ほどの石を、まっすぐ十歩先まで飛ばせるようになっていた。狙った木の幹に、先が半分ほど食い込んで止まった。抜こうとしたら、指では抜けなかった。
あれには、届かない。泥に石を撃ち込んだところで、呑まれて閉じるだけだろう。槍が通らなかったのと同じことだ。
分かっていた。だが、手札が増えるのは悪いことではない。
火は、そのうちやる。人のいない、燃えるもののない場所を探してからだ。
もっとも、一日使ってみて、盤のほうにも不満が出た。
撫でてから模様が出るまでが遅い。出たと思っても、手を離せばすぐに崩れる。形を目で確かめる暇が、ほとんどない。何度も鳴らし直す羽目になった。
最初は、自分の擦り方が悪いのだと思っていた。だが、力の入れ具合を変えても、擦る場所を変えても、同じだった。
板そのものだ。
木は、震えがすぐ収まってしまう。
帰り道、俺はそれをどうにかできないかと考えていた。
布を張ってみるか。太鼓のように枠へ張れば、板を切らずに済むし、四角でも六角でも枠さえ作れば作れる。だが、あれは柔らかすぎる。砂が沈むだけで、線にならないだろう。
革でも同じことだ。張り具合で音が変わるし、湿ればまた変わる。同じ音が同じ形になるという、あの話の土台が崩れる。
そこまで考えて、思い当たった。
前世で見たあれは、板が違った。教室に置かれていたのも、映像で見たのも、どれも金属の板だった。
金属なら、長く鳴る。線もはっきり出るはずだ。張り具合も湿り気も関係ない。
あの男は三十年、木の板でやってきた。円しか切れず、震えの鈍い板で、細かい形を読もうとしていた。
金がなかったからだ。それだけの理由で、三十年ぶん遅れている。
俺は、宿へ戻る道を折れて、南門の内側の鍛冶屋へ向かった。
真鍮の薄板。円と、四角と、六角。それぞれ一枚ずつ。
「妙な注文だな。何に使うんだ?」
「音を出したい。できるだけ薄く、磨いて厚さを揃えてほしい。厚みが違うと、出るものが変わる」
「太鼓か何かか?」
「そんなところだ」
鍛冶屋は肩をすくめて、寸法を測りはじめた。銀貨三枚と、鉄貨がいくらか。三日で仕上がるという。
二十日ぶんの日当の、半分が消えた。
惜しくはなかった。




