28話
「で?何を聞きに来た?」
俺は、右手を開いて、掌を上に向けた。
「魔法のことを」
クラウスの手が止まった。
「なぜわしに聞く? 貴族なら、家庭教師が付くだろう。剣と、文字と、術の基礎と。そういう順で仕込まれるはずだ」
「教師は付いた。剣と、文字と、基本的な礼儀作法だけだ」
「……ああ」
男は、それきり何も言わなかった。
測定の針が動かない子供に、術を教える家庭教師はいない。教えたところで何も出ないし、出ないのは教える側の落ち度に見える。だから、あの城で俺に付いた教師は、剣の型と、王族としての文字の書き方と、人前へ出しても恥にならない程度の作法までで終わった。
その作法にしても、人前へ出る用がなかったから、身についているとは言いがたい。膝の折り方も、女の手の取り方も、教わったきりだ。相手を務めたのはいつも教師で、それも数えるほどしかやっていない。
弟には、三人付いていた。
「……お前は魔力がないのではなかったか?」
「留められないだけだと言っただろう。腹で作って、胸で変えて、上へ送っている。途中に、魔力の段階があるはずだ。……というより、もう使っている。身体強化は、魔力を骨や腱に回してやる作業だ。三年、それでやってきた」
「……ふむ」
男は身を乗り出した。目の色が変わっている。三十年、誰にも相手にされずに音と形を繋ごうとしてきた人間の顔だ。
「あんたは、魔法をどう説明する?」
「教会はこう言う。人の内にある魔力を、神の御手が受け取って形を変えてくださる。だから火にも水にもなるのだ、とな」
クラウスは鼻を鳴らした。
「私は違うと思っとる。形を変えているのは神ではない。術者自身だ。内側にある力を外へ出すときに、形を与えてやる。それが術だ。詠唱も陣も、形を決めるための道具にすぎん」
「形を決める?」
「そうだ。水を出したければ、水の形を決める。火を出したければ、火の形を決める。決めきれんから、皆、言葉や図に頼るのだ。詠唱は、口で形をなぞる。陣は、地面に形を描く」
砂の盤を指で叩いた。
「音が形になると言ったろう。あれと同じだ。術者は自分の中の力に、音や図で形を教えてやっとる」
「詠唱は、要らないのか……」
「理屈ではな」
クラウスは肩をすくめた。
「だが、人はそう強く思えん。頭の中だけで水の形を最後まで決めきれる者は、まずおらん。だから道具に頼る」
男は指を一本立てた。
「詠唱には二つの働きがある。一つは、音そのものが力に形を与えること。もう一つは、唱えているあいだに術者の頭が追いつくことだ。外から形を押さえつけながら、内側でも同じ形を思い描いていく。両方が揃って、ようやく決まる」
「片方だけでは足りないのか?」
「足りん者が大半だ。……そして、これは慣れる」
クラウスは砂の盤を指で叩いた。
「同じ術を何度も見て、何度も出せば、決めた形をそのまま保てるようになる。最初は『火』としか思えなんだ者が、そのうち炎の丈も、色も、燃え方も決められるようになる。熟練とはそういうことだ。魔力の量が増えるのではないし、思い描く頭が良くなるのでもない。決めた形が、崩れずに立つようになるのだ。……もっとも、量がなければ上級の術は発現せん。そこは持って生まれたぶんだがな」
俺は、器の口を思い出していた。
三年前、あれを開けたときも同じだった。念じても駄目で、祈っても駄目で、そうあれと決めた瞬間に通った。決めきれるかどうかの話だった。
「属性は、選べるのか?」
「得手不得手はある。生まれつきだと言う者もおるし、慣れの問題だという者もおる。私は後者だと思っとるが、証がない」
「威力は、何で決まる?」
「量と、形と、熟練だ」
クラウスは指を三本立てた。
「同じ量でも、形が粗ければ散る。細く鋭く決めたほうが通る。だが、細く決めようとしたところで、慣れんうちは決めきれん。決めきれなんだ形は、やはり散る」
「詠唱の長さは、それに関わるのか?」
「関わる。というより、逆だ」
男は紙の束から一枚を抜いて、こちらへ寄越した。写しらしい。何行かの文句が並んでいて、上のほうは短く、下へいくほど長くなっている。
「初級の術は一節で足りる。掌に灯を点ける程度なら、それで形が決まるからだ。だが上へいくほど、決めねばならんことが増える。どこに、どれだけ、どういう向きで。節はそのぶん増えていく」
「決めることが多いから、長くなるということか?」
「そうだ。長い詠唱が偉いのではない。偉い術は、口で押さえておかねばならん取り決めが多いというだけだ」
紙の下のほうは、五節も六節も続いていた。
「儀式となると、話がまた変わる」
クラウスは指で紙の端を叩いた。
「一人では形を保てん規模になると、複数で唱える。声と、音程と、注ぐ量を合わせてな。聖歌隊がやっとるのはそれだ」
「合わなければ?」
「形が崩れる。誰か一人が半音ずれただけで、そこから乱れる。……砂の盤と同じだ。音が違えば形も違う。何人でやろうと、その理屈からは逃げられん」
俺は、大聖堂の床を思い出していた。
あの日、司祭たちは輪になって歌っていた。あれを、この男は音と形の問題として見ている。
「もっとも」
クラウスは肩をすくめた。
「これも全部、教会の受け売りだ。私は使えんからな」
「魔法を、まったく使えないのか?」
「魔力がない。測れば針一本ぶんも動かん」
男は、笑いもせずにそう言った。
三十年、術の理屈を追いかけてきた人間が、一度も術を使ったことがない。
「だから聞くが」
クラウスは俺を見た。
「お前は、使えるのか?」
「身体強化は使える。属性魔法は、おそらく使える。まだ試していない」
「なぜ試していないんだ?」
「戦っている最中に思いついた。その場で試すには、危なすぎた」
「賢いな」
男は本気で言っているようだった。
「使えるかどうかも分からんものを、命のかかった場面で出す馬鹿は、まずいない。試すような馬鹿は、そこで死ぬからな。……で、いつ試す?」
「明日、外で試してくる」
「どこで?」
「人のいないところだ」
クラウスは立ち上がって、棚から板を一枚抜き出した。円形の、砂の盤だ。俺が二年かけて鳴らせるようになったやつ。
「持っていけ」
「これを?」
「形を決めきれんときは、目で見るのが早い。音を鳴らせば形が出る。頭の中でこねくり回すより、よほど掴める」
俺は板を受け取った。思ったより軽い。
「壊すなよ。金がないから盤が増えん」
「知っている。……だが、さっき金が入った」
クラウスが顔を上げた。
「四角と、六角だったか。板を切らせて、今度持ってくる」
男は何か言いかけて、口を閉じた。それから、盤の縁を指で撫でて、また閉じた。
三十年、ずっとこれだ——と、この男は言っていた。
盤を抱えて戸口まで行ったところで、後ろから声がかかった。
「そうだ。忘れておった」
「なんだ?」
「お前が東へ行っているあいだに、城の者が訪ねてきた。四十代くらいの無口な男と、年配の女だ。男のほうは覚えている。最初にお前を連れてきたやつだろう」
足が止まった。
「何も知らんと言っておいた。お前がどこへ逃げたかも、生きておるかどうかも、私は知らんとな。……それでよかったか?」
「ああ」
答えるまでに、少し間が空いた。
外へ出ると、日はもう落ちていた。
二人がここへ来たということは、俺がこの家に通っていたことを、二人とも知っていたということだ。三年、気づかれていないつもりでいた。散歩だと言えば、それ以上は訊かれなかったから。
訊かなかっただけだった。
あの日、俺は何も言わずに城を出た。二人が不在の日を狙われて、そのまま逃げた。書き置き一つ残していない。それでこの半年、どういう目で見られていたのかは、考えないようにしてきた。
いま、二人は俺を探している。
戻れば会える。裏門の位置も、二人の部屋の場所も知っている。
だが、戻ればどうなるかも分かっていた。俺が生きていると知れば、二人は隠すだろうし、隠せば二人が罰を受ける。
俺は、盤を抱え直して歩きだした。
礼を言う機会は、たぶんもう来ない。




