27話
肩の傷は、王都へ着く前に塞がっていた。
考えついたのは、街道を歩いている二日のあいだだ。歩くしかやることがなく、一歩踏み出すたびに肩が痛んだので、嫌でもそのことばかり考えていた。
身体強化は、瘴気から作った魔力を組織へ回してやる作業だ。骨へ、腱へ、筋へ。三年、それを順に積んできた。
なら、傷の塞がる場所へ回してやったら、どうなるのか。
前世の授業でやった覚えがある。傷が治るというのは、細胞が分裂して、隙間を埋めていくことだ。詳しい仕組みは忘れたが、そういう話だった。だとすれば、その分裂に力を注いでやれば、速くなるはずだ。
試してみると、それらしいことは起きた。
布の下がむず痒くなって、熱を持つ。回しすぎると、そこだけ脈を打つように疼いた。強くしすぎたときの脹脛と同じで、加減が要るらしい。
一日目の夜には、傷の縁が乾いた。二日目の朝には、血が滲まなくなっていた。
神気は使っていない。だから、腹の底も静かなままだった。
あれを使えば早いのは分かっている。クラウスの家に転がり込んだあの晩、俺は左腕と右目を三年ぶんで買った。だが、肩の裂け目一つに器の中身を注ぐのは、割に合わない。それに——使わずに済ませられるなら、そのほうがいい。
王都へ着いたときには、包帯の下は薄い赤い線になっていた。
跡は残る。それでいい。
戸を叩くと、返事の前に開いた。
「遅い」
クラウスは俺の顔を見て、それから肩の膨らみを見て、眉を寄せた。半月ぶりだというのに、昨日の続きのような言い方だった。
「東へ行くとだけ言って出ていったきり、音沙汰がない。死んだかと思ったぞ」
「見た通り、死んでいない。心配をかけたか?」
「するものか。……入れ」
部屋は、俺が出ていったときより片づいて見えた。床に散らばっていた紙が、いくつかの山に積み上げてある。
「触るな。順番を覚えとらん」
「片づけたんじゃないのか?」
「積み直しただけだ。どれがどこにあったかは、頭に入っとらん」
男は椅子を引きながら、ぼそりと付け足した。
「お前が戻ってから探すつもりでいた」
俺は椅子に座って、東であったことを話した。
宿場町の教会に魔石が十六箱溜まっていたこと。司祭が三人とも床についていたこと。井戸が濁っていたこと。荷車を三台集めて王都へ運ばせたこと。積み込みの朝に受肉型が出て、町の外へ引き出したこと。
剣が通らなかったこと。
クラウスは口を挟まなかった。ただ、話が魔石の数に及んだところで一度、眉が動いた。
「八百だと?」
「近く、だ」
「……そうか、ずいぶん溜まっていたんだな」
男は何か言いかけて、やめた。俺があの町で何をしたかは訊かない。この男は、訊かないでほしいと言えば訊かない。
二晩目の夜のことも、俺は言わなかった。祭壇の裏の二箱をどうしたかは、俺と、あの床石しか知らない。
俺は、逃げられたところまで話した。
「刃に神気を纏わせようとしたら、その前に離れていった。触れてもいないのに」
「なるほどな」
クラウスは椅子の背に体重を預けた。
「瘴気の塊が、瘴気を消すものから逃げた。それだけの話だ。火に手を突っ込めば引っ込める。考えてやっとることではあるまい」
「俺も、そう思った」
「ならば、その手は使えん」
あっさりと言われた。俺が二日かけて考えたことを、この男は一呼吸で結論にした。
「近づけば逃げる。追えば逃げる。逃げ足がお前より速ければ、永遠に届かん。届く前に相手が下がるのだからな」
「……ああ」
窪地で膝をついていたあいだ、俺はそれを認めまいとしていたのだと思う。あと一歩早ければ、纏わせきれてさえいれば届いたはずだと、そう思いたかった。
だが、そうではなかった。早いも遅いもない。あの手は、最初から届かない手だった。
届かないものを何度磨いたところで、次に出てきたときも同じことになる。
二日、街道を歩きながら考えていたことが、この部屋に入って一呼吸で片づいた。悔しくはあったが、それより先に、身体が軽くなった気がした。
持っていないものを、探しに来たのだ。




