17話
最初の仕事は、街道沿いの薬草採りだった。
報酬は銅貨五枚。半日歩いて、指定の草を籠一杯にして戻る。子供の小遣い稼ぎのような依頼だ。実際、受付の女は俺を見てそれを寄越した。
文句はなかった。今の俺は、まず外に出てみる必要がある。
南門を抜けたのは、その日の朝だった。人相書きを持った兵が門に立っていたが、俺の顔を見て、それから木札を見て、それだけで通した。両手のある十五の探索者を、片腕のない王子と見比べる者はいない。
門を出て、街道を半刻ほど歩いたあたりで、俺は足を止めた。
濃い。腹の底が、はっきりと反応していた。王都の中とは比べものにならない。呼吸をするたびに、澱んだものが身体に流れ込んでくる。放っておいても、勝手に器へ溜まっていく。
これが、外か。王都は浄化が行き届いている。教会があり、聖職者が働き、人が多く、作物が育つ。だから薄い。だが一歩出れば、この有様だ。
街道を外れて、林のほうへ入ってみれば、さらに濃いものを感じる。
下生えを踏み分けて奥へ進むと、木々の色が変わってくる。葉が黒ずみ、幹に苔とも黴ともつかないものが張りついている。地面がぬかるんで、踏むたびに饐えた匂いが立った。
小さい湧きどころが、近くにあるのだろう。
教わった知識と、身体の感覚が一致していた。瘴気は樹海や深い森に湧きどころを作る。そこから溢れたものが、周囲へ薄く広がっていく。王都の周りにも、こういう場所が点々とあるということだ。
俺は、その場に立って、意識を沈めた。
吸う。腹の底で捕まえ、胸で変え、上へ送る。三年やってきた作業だ。だが、材料の濃さがまるで違った。
器に、みるみる溜まっていく。
城で一晩かけて溜めた量が、ここでは数えるほどの呼吸で入ってくる。三年の雌伏が馬鹿らしくなるほどの速さだった。
笑いが漏れた。俺は、乾いた土地で雨水を集めようとしていたわけだ。井戸のある場所を知らないまま。
だが、笑ってばかりもいられなかった。
吸うたびに、腹の底の澱みが、ぐらりと揺れる。
あの冷たい火だ。
神界から持ち越したもの。四日前、中庭で噴き上がったやつ。瘴気を通すたびに、それは俺の底で首をもたげようとする。城にいたころは薄かったから、押さえるのも楽だった。
ここでは、そうもいかない。
濃い瘴気を大量に通せば、それだけ火に薪をくべることになる。腕と目を取り戻したいま、貯める理由は減っている。むしろ、必要以上に吸わないほうがいい。
俺は意識して器の口を閉じた。
それでも、呼吸のたびに少しは入ってくる。この体質は、止めようがない。
薬草は、林の縁で見つかった。
依頼書の絵と見比べて、間違いないことを確かめてから摘む。地味な作業だ。だが、悪くなかった。誰にも見られず、誰にも打たれず、ただ草を摘んでいる。この百六十年で、こんなに平穏な時間があっただろうか。
籠が半分ほど埋まったころ、音がした。
低い唸りだ。顔を上げると、二十歩ほど先の茂みが揺れていた。四つ足の何かが、こちらを見ている。
犬だ、と最初は思った。だが、違う。
大きさは大型犬ほど。だが、毛が抜け落ちて皮膚が黒く変色している。目が濁って、白目の部分まで灰色に染まっていた。口の端から粘つく涎が垂れている。
腹のあたりが、いびつに膨らんでいた。
知識が、すぐに答えを出した。
変異型。動物が濃い瘴気に当てられて魔物になったものだ。あの膨らみの中に、魔石がある。
俺は、籠を置いた。剣は持っていない。買う金はあったが、十等級の新人が剣を提げて出るのは勧められないと言われた。扱えないまま振り回して死ぬ者が、毎年何人も出るのだという。腰にあるのは、ギルドで借りた短刀が一本きりだ。薬草を刈るための道具で、獣とやり合うためのものではない。
だが、俺にはそんなものはいらない。
獣が跳んだ。速い。並の犬より速い。だが——遅い。
三年、部屋の中で型をなぞってきた。骨を、腱を、筋を、順に組み上げてきた。中庭で真剣を振る弟の踏み込みを、俺は五合、六合と見てきた。それに比べれば、この獣の動きは直線的すぎた。
右へ、半歩。
それだけで、牙は空を切った。
すれ違いざま、俺は右手を伸ばして、獣の首の後ろを掴んだ。掴んで、そのまま地面へ叩きつけた。
骨の折れる音とともに獣は一度痙攣して、それきり動かなくなった。
俺は、しばらくその死骸を見下ろしていた。
神気は、使っていない。手を刃にもしなかった。壁も張らなかった。ただ、避けて、掴んで、叩きつけた。それだけだ。三年の鍛錬で作った身体が、ちゃんと働いた。
呼吸は、乱れていなかった。
腹を裂くのは、少し手間取った。
短刀は借り物の粗末なやつだ。皮が思ったより硬い。それでも、肋の下から刃を入れて、膨らんだ部分を探ると、指先に固いものが当たった。
引き出した。小指の先ほどの、黒い石だ。表面がぬめっていて、光を吸うように黒い。手のひらに載せると、そこだけ空気が重くなったような気がした。
これが魔石か。教会の祭壇で、司祭たちが命を削って浄めていたもの。二十人が声を張り上げて、それでようやく一つ。
俺は、その石を握り込んだ。
意識を通す。石の中の澱んだものへ、直接。
——溶けた。
それだけだった。抵抗らしい抵抗もなく、石の中身は俺の中へ流れ込んできた。腹の底で捕まえられ、胸で変わり、上へ送られる。あとに残ったのは、ただの灰色の小石だった。ざらざらして、何の重さも感じない。
時間にして、三つ数えるほど。
俺は、その小石を指でつまんで、日にかざした。
二十人の司祭が、汗まみれになって、年寄りは膝をついてまで浄めていたもの。あれと同じ種類のものを、俺は、林の中で立ったまま、三つ数える間に片づけた。
手が、震えていた。怒りでも、喜びでもない。もっと据わりの悪い何かだった。
あの人たちが、命を削っている。
その横で、俺はこれをやれる。
やれるのに、やっていない。この三年、俺は自分の腕のことしか考えていなかった。世界が枯れかけていることも、司祭が寿命を縮めていることも、全部俺のせいだと知りながら、俺は自分の欠損を直すために三年を使った。
それが間違いだったとは思わない。
腕がなければ、何もできない。目がなければ、何も見えない。まず自分を立たせる必要があった。それは正しかったはずだ。
だが、もう、立った。俺は、灰色になった小石を握り込んだ。
腕と目が戻った今、どうする?俺は、何を返せる?
三年、答えの出なかった問いに、まだ答えは得られなかった。




