13話
十五になった春、俺は自分の中の器を確かめて、そろそろだと思った。
満ちてはいない。だが、あの日の感覚に近いところまでは来ている。足りない分は、いざとなれば身体を削って補える。腕と目が戻れば、細かい調整はあとからでもできるはずだ。
問題は、いつ、どこでやるかだった。
城の中では駄目だ。片腕の王子が翌朝には両腕になっていた、では言い逃れが利かない。
城外へ出るだけなら、造作もなかった。見えない足場を組めば、城壁だろうと堀だろうと関係ない。空を歩いて越えればいいだけの話だ。ただ、それをやれば貯めた分がいくらか減る。減らさずに済むなら、それに越したことはない。
城を出て、それから治す。
順番はそれしかなかった。となると、必要なのは支度だ。当座の路銀。着替え。地図。誰にも気づかれずに城を出る道筋。
俺はそれを、少しずつ集めはじめた。
路銀は、離宮に転がっていた古い装身具を金に換えた。母の遺品ではない。あの人の持ち物は、俺が生まれた年にほとんど処分されている。俺の手元にあったのは、王子として形ばかり与えられた、誰も気に留めない品ばかりだった。
換金は、クラウスの家の近くの店でやった。
「小僧。金が要るのか」
「ああ、少しばかりな」
「盗んだものではあるまいな?言っておくが、わしは盗人の片棒は担がんぞ」
「俺のものだ」
クラウスはそれ以上聞かなかった。この男は、聞かないでほしいと言えば聞かない。三十年、誰にも相手にされずに生きてきた人間には、そういう作法が身についているらしい。
集めた荷は、器の中に入れておいた。
神気を溜めているものとは別に、同じ要領でもう一つ作った。座標をずらして開けば、いくつでも作れるらしい。荷を入れるほうは、右の手のひらのあたりに座標を置いた。そこに口があれば、握るような仕草で出し入れができる。
入れたものは腐りも乾きもせず、そのままの形でそこにある。
便利すぎて、少し笑った。
前世で読んだ物語なら、これ一つで冒険が成り立つ代物だ。それが俺の場合は、腕を治すための貯蔵庫のついでに手に入った。
支度が整いつつあった、その頃だった。
ラインハルトが、剣術大会で優勝した。
十三歳の部で、というただし書きは付くが、王都の騎士見習いを集めた大会だ。実力なのか、次期王への接待なのかは知らない。どちらにせよ、次期国王としてこれ以上ない箔になる。城は祝いの空気に包まれ、あちこちで弟の名が呼ばれていた。
祝宴の席に、俺も呼ばれた。
珍しいことだった。俺が公の場に出されるのは、大聖堂の儀式くらいのものだ。だが今回は、王家が揃っていることを見せる必要があったのだろう。父王の隣にラインハルトが座り、その隣に継母が座り、末席のさらに端に俺が置かれた。
父王とは、ほとんど口を利いたことがない。
この日も、目が合ったのは一度きりだった。何か言いたげに見えて、結局は何も言わずに逸らされた。それだけだ。この人は俺を憎んでいるわけではない。ただ、庇うほどの理由も持っていない。それだけの話だと、俺はとうに割り切っていた。
継母の目は、もっとわかりやすかった。
あの人は、俺を見ない。存在しないものとして扱う。それが十五年間、一度も変わらなかった。
宴の途中、酔った貴族の一人が、俺の席まで来て絡んできた。
「ジークベルト殿下。まことに、めでたきことでございますな」
「ああ」
「弟君のご活躍、さぞかしお喜びでしょうなぁ。……なにせ、殿下ご自身は、剣も魔法もお持ちでない」
周りで、いくつか笑い声が上がった。
「奉納の儀にも出られぬとか。いやはや、王家に生まれながら国に何ひとつ返せぬというのは、どのようなお気持ちなのでしょうな。ぜひ伺いたい」
俺は、杯を置いた。
何ひとつ返せぬ。
腹の底が、ずしりと重くなった。怒りとは違う。もっと冷たい、澱のようなものが、ゆっくりと持ち上がってくる感覚だった。
この男は知らない。
俺がこの十五年、寝ているあいだも瘴気を昇華し続けてきたことを。この宴の広間にも薄く漂っている澱みを、いま俺の身体が吸って、変えていることを。十二の年までは、それを片端から外へ捨てていたことを。二十人の司祭が命を削って浄める石ひとつぶんの仕事を、俺が黙って毎日やってきたことを。
誰も知らない。俺自身、三年前まで知らなかった。
だが、知らないからこそ、この男は正しい。
制度の上では、俺は何ひとつ返していない。奉納の儀に出られず、魔石ひとつ浄められない。それがこの国の物差しであり、その物差しで測れば、俺は空っぽの王子だ。
「そうだな」
俺は、そう答えた。
貴族は拍子抜けした顔をして、それから、つまらなそうに離れていった。
広間の喧騒が戻る。俺は末席の端で、冷めた料理を眺めていた。
腹の底の澱みは、まだそこにあった。
押さえつけた。押さえつけながら、あと少しだ、と自分に言い聞かせた。あと少しで、この場所と縁が切れる。誰も傷つけずに、静かに消える。それでいい。それが一番いい。
耐えられる、と思っていた。
その二日後だった。
マルタとヨナスが、二人とも城を空けることになったのは。




