12話
十四になった年の冬、身体が急に伸びた。
背丈が変わると、剣の間合いも変わる。姿見の前で、俺は一から立ち方を組み直した。膝の角度も、重心の置き場所も、去年までとは違う位置に移っていた。厄介だったが、悪い気分ではなかった。伸びるということは、育っているということだ。
骨は、もうずいぶん硬くなっていた。
下丹田から回した魔力を、骨へ、腱へ、筋へと順に通す。二年やって、ようやく土台が組み上がってきた実感がある。素の身体そのものも、井戸の水汲みと石運びで、痩せた子供の腕ではなくなっていた。
貯まった神気は、まだ足りない。
どれだけ要るのかを知らないので、正確なところは言えない。だが、感覚としてわかる。あの日、白い場所で欠けに注ぎ込んでいたときの量と比べれば、まだ桶に半分といったところだ。あと二年か、三年か。
焦りはなかった。むしろ、時間があることに助けられていた。
クラウスの家に通うようになって、俺の午後は忙しい。板の枚数は十枚を超え、対応表は少しずつ埋まりはじめている。あの男は相変わらず飯を食い忘れるので、マルタに包ませたパンを持って行くのが習慣になった。
ただ、城の中の空気は、確実に変わりつつあった。
最初に気づいたのは、視線だった。
廊下ですれ違う文官が、俺を見る。以前は目を逸らしていた連中だ。見ないふりをするのが、この城での俺への正しい態度だった。それが、ちらりと見るようになった。
背が伸びたからだろう、と最初は思った。
だが、それだけではないらしい。
「殿下」
ある日、マルタが洗濯物を畳みながら、遠回しに言った。
「近ごろ、ずいぶんよく出歩いておられますね」
「悪いか?」
「いえ、いえ。滅相もない。……ただ、口さがない者もおりますので」
何を言われているのかは、だいたい想像がついた。腕のない王子が、供も連れずに城下をうろついている。学者だか何だかのところへ通っている。何を企んでいるのか。
企んではいる。
だが、あいつらが想像するようなことではない。
厄介だったのは、ラインハルトのほうだった。
十二になった弟は、すっかり背が伸びて、剣も上達していた。教育役のケルナー卿が熱心なのだろう。城の兵たちが弟を見る目には、はっきりとした期待がある。次の王だ、と誰もが思っている。
その弟が、俺に絡む回数が減っていた。
最初は、飽きたのかと思った。だが、そうではないらしい。
廊下ですれ違うとき、弟は俺を見る。以前のように嘲るのでもなく、無視するのでもない。何かを測るような目だ。そして何も言わずに通り過ぎる。
気味が悪かった。
打たれていたころのほうが、まだわかりやすかった。あれは単純な悪意だ。今の弟の目には、それとは違うものが混じっている。
警戒だ。
なぜ警戒されるのかを考えて、思い当たった。
俺が、倒れなくなったからだ。
稽古という名の暴力は、今も月に何度かある。逃れる術はない。だが、二年前とは事情が変わった。俺の身体は硬くなり、打たれ方も上手くなった。以前なら三合で膝をついていたのが、今は五合、六合と立っている。
わざと倒れることもできた。実際、何度かはそうした。
だが、毎回それをやるには、俺は打たれ慣れすぎていた。身体が勝手に受け身を取る。急所を外す。倒れるべきところで、足が踏ん張ってしまう。
それを、弟は見ている。
「兄上は、ずいぶん丈夫になられた」
一度だけ、そう言われたことがある。稽古のあと、木剣を放り出しながら。
「腕もないのに、妙なことだ。……妙なことだ」
俺は答えなかった。答えれば、余計に興味を持たれる。
だが、そのときの弟の目を、俺は覚えている。
あれは、獲物を見る目ではなかった。もっと落ち着かない、居心地の悪そうな目だ。踏みつけていたはずのものが、思ったより硬かったときの顔。
その夜、俺は寝台に横になって天井を見上げていた。
予定より早く、潮目が変わりつつある。
あと二、三年は「カス王子」でいるつもりだった。誰にも警戒されず、誰にも期待されず、静かに貯める。それが一番効率のいいやり方だった。
だが、身体は勝手に育つ。
隠しきれるものではない。骨は硬くなり、背は伸び、打たれても倒れなくなる。どれだけ無能を装っても、二年前と同じ子供のふりを続けることはできない。
どこかで、線を引くことになる。
そう思ったとき、腹の底が、ざわりと動いた。
あの冷たい火だ。
神界から持ち越した、あの澱み。瘴気を昇華するたびに、それは俺の底で微かに疼く。二年、押さえつけてきた。押さえられている、と思っていた。
だが、弟の顔を思い浮かべたとき、それがひとりでに首をもたげた。
俺は寝返りを打って、目を閉じた。
焦るな、と自分に言い聞かせる。
あと少しだ。腕と目さえ戻れば、この城に用はない。誰かを傷つける必要も、傷つけられる必要もなくなる。それまで、耐えればいい。
耐えられるはずだった。
そのときの俺は、まだそう思っていた。




