6話
それから、日課がひとつ増えた。
夜、寝る前に流し込む。朝、目が覚めたら量を確かめる。最初のうちは意識を集中していないと繋がらなかったが、半月ほどで、繋いだままにしておくことを覚えた。そうすると、起きているあいだも勝手に溜まっていく。
呼吸と同じだ。意識しなくてもできるようになれば、それは能力ではなく体質になる。
貯まる速度は、笑ってしまうほど遅かった。
腹の底で瘴気を捕まえ、胸で変え、頭で送る。その一連は勝手に回るが、そもそも空気中の瘴気が薄い。王都は浄化が行き届いている。教会が近くにあり、聖職者が働いている。皮肉な話で、俺にとっては、王都ほど痩せた土地はなかった。
ヨナスが教えてくれた話を思い出した。
瘴気は、樹海や、少し深い森に湧きどころができる。そこでは濃い。だから魔物が出る。人の住む土地では、木と作物と教会が、それを薄く薄く保っている——だからこそ人が住める。
つまり、この城の中で貯めるというのは、乾いた土地で雨水を集めるようなものだった。
樹海へ行けば早いのだろう。考えて、すぐに首を振った。十二歳の、片腕と片目のない子供が、王都を出て辺境の樹海まで行けるはずがない。行けたとしても、そこは魔物の巣だ。今の俺には、身を守る手立てがない。
力はある。だが、使えば漏れる。
見えない壁を張る。見えない足場を蹴る。俺にできることは知っている。だが、そのどれもが、貯めた分を吐き出す行為だった。使えば減る。減れば、腕と目が遠のく。苦労して貯めたものを、一度のイザコザで使い果たす。そんな馬鹿な話はない。
だから、使わない。
ただ、ひとつだけ例外を見つけた。身体の強化だ。
腹の底で瘴気を捕まえると、まず魔力になる。俺の身体はそれを素通りさせて上へ送っていたが、途中で寄り道させてやることができた。骨へ、腱へ、筋へ、血の巡る先へ。魔力を組織に回してやって、そこで使われ切らなかった分を、また取り込んで上へ送る。そういう回し方を覚えた。
これなら、貯まった神気には手をつけない。上から出すのではなく、下で回すだけだ。
ただし、順番を間違えると身体が壊れる。
最初にそれをやりかけて、俺は肝を冷やした。ただ力だけを強くしようとしたら、全身の腱がひきつって歩けなくなった。当たり前だ。前世の保健体育でも似たようなことを聞いた気がする。土台を放って上物だけ載せれば、家は傾く。筋の力に腱が耐えられなければ腱は千切れるし、骨が支えられなければ腱が骨からもがれる。
だから、強化する場所を順に積むことにした。まずは骨。次に腱。そして筋。その上で全身を繋ぐ神経のを強化。地面から一段ずつ、退屈なくらいゆっくりと。
そして、もうひとつ気づいたことがある。強化というのは、掛け算だった。
素の身体が一なら、二倍にしても二にしかならない。だが素が三あれば、同じ二倍で六になる。この痩せこけた十二歳の身体は、控えめに言っても一に届いていない。何倍にしたところで、たかが知れている。だったら、素を上げるしかない。
その日から、俺は離宮の裏で身体を動かすようになった。誰も来ない場所だ。腕立てをする。片腕しかないので、身体の使い方から工夫がいった。腹を鍛える。脚を鍛える。井戸から水を汲んで、桶を提げたまま歩き回る。石を持ち上げる。剣も魔法も要らない、どこの誰でもやっているような、退屈な繰り返し。
見つかっても構わなかった。むしろ都合がいい。腕のない王子が惨めに身体を動かしている——そういう絵は、あいつらの見たいものだろう。事実、庭の向こうから何度か笑い声が聞こえた。俺は気にしなかった。笑われている時間の分だけ、俺の身体は強く、硬くなっていった。
打たれても、笑われても、階段で足を引っかけられても。俺は、ただの出来損ないの第一王子でいる。それが一番効率がいい。我ながら、ずいぶんと即物的だと思った。
だが、そういうものだ。前世でもそうだった。妹の薬代を稼ぐために、俺は嫌なことをいくらでも飲み込んだ。頭を下げて、笑って、時給の高い夜の仕事を選んだ。目的があるとき、屈辱は勘定に入れなくていい。
あのときと違うのは、待っている先に、生きている誰かがいないことだけだ。
そこまで考えて、俺は天井を見上げた。——待っている先に、何がある?腕と目が戻ったら、どうする。
その先を、俺はまだ考えていなかった。




