5話
次の日から、俺の一日は同じルーティンに固まった。
朝、マルタが運んでくる粥を食う。それからヨナスが来る。マルタと並んで、この離宮に置かれたもう一人。表向きは俺の護衛だが、実際は家庭教師も兼ねている。四十代くらいの、無口な男だ。読み書きと算術と、この国の歴史を教わる。午後は図書室へ行く。夕方に戻って、また粥を食う。そして夜、寝台に横になってから、眠るまでのあいだ、ひたすら試す。
最初のひと月は、何も起きなかった。
目を閉じて、眉間の裏に意識を集めて、この世界と重ならない一枚を思い描く。繋がらない。抜けていく。何度やっても同じだった。頭の芯が軋んで、脂汗が出て、それで終わる。
やり方が悪いのだ、というのはわかっていた。だが、どう悪いのかがわからない。
転機は、ある夜の失敗から来た。
その日は疲れていた。昼にラインハルトの取り巻きに階段で足を引っかけられて、右の膝を打っていた。集中できず、意識がぼんやりと逸れた。
そのとき、ふと、思い出した。
あの白い場所で、俺は手を刃に変えた。剣もないのに、握った手そのものが刃になった。あのとき、俺は「刃を作ろう」なんて思っていない。ただ、斬れ、と思った。それだけで斬れた。
念じるのではない。そうあれ、と決めるのだ。
目を閉じ直した。今度は、層の形を思い描くのをやめた。設計図を引くのをやめた。ただ、決めた。
——ここに、置き場所がある。
何かが、ずれた。
うまく言えない。世界の薄皮が一枚めくれて、そこに指先が入ったとでもいうような。位置だけをいえば頭の中だが、眉間の裏でも、頭の中でもない。どこでもない場所に、ぽつりと空間が開いた。針の穴ほどの、小さな穴が。
抜けていくはずだった流れが、そこへ吸い込まれた。
「……っくっ……ぐうっ……」
痛みではないが、何とも言えない感覚に声が出た。十二年間、湧き出す水がたれ流されていたものを、初めて風呂桶に溜めたような。それだけのことなのに、身体の芯がじんと痺れた。
三十を数えた。まだ続いている。百まで数えた。まだ流れ込んでいる。
意識が切れたのは、その少しあとだった。
翌朝、マルタに揺り起こされた。
「殿下、殿下! ああ、この汗。ひどくうなされておいででしたよ。お苦しかったのでしょう」
「……ああ」
身体が重い。指の一本まで鉛のようだ。だが、俺は寝台の上で、真っ先にそれを確かめた。
あった。どこでもない場所に開いた、針の穴ほどの空間。そこに、ほんのわずかだが、何かが溜まっている。冷たくも熱くもない、あの澄んだもの。一晩でこれだけか、という量だった。盃一杯にもならない。
それでも、昨日までは無だった。
俺は右手で顔を覆って、しばらくそのままでいた。マルタが心配そうに何か言っていたが、耳に入らなかった。
十二年だ。十二年、俺は無駄に垂れ流し続けていた。あれを全部貯めていたら、今ごろどれだけになっていたのか。考えても仕方のないことを考えて、俺は少しだけ笑った。
始まった、と思った。
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ダメ出し、もう見ないコメでもなんでもオケです




