5話
(女騎士視点)
森は、静かだった。
朝の光が梢の隙間から幾筋も差し込んで、下生えの露を光らせている。土は湿って柔らかく、革の沓が沈むたびに、腐葉の匂いが立ちのぼった。ヴォルヒルドは、その匂いを吸いながら、木々のあいだをゆっくりと進んでいた。
小隊は軽装だった。騎士が十名。それに、森の案内のために雇った狩人が二名。この森を庭のように知る男たちで、今は隊の先頭を行き、地面の痕跡を読みながら道を選んでいる。掃討ではない。調査の任だ。領主である父のもとに届いた報せが正しいのかどうか、この目で確かめる。それだけの、はずだった。
ここひと月ほど、領内では、緑の影が濃くなっていた。
山際の村で、囲いの家畜が一晩で消えた。畑が収穫を前に踏み荒らされた。森へ入ったきり戻らない木こりがいた。街道を行く行商が日暮れどきに襲われ、荷を奪われた。——どれも、単発なら、珍しくもない。ゴブリンは、昔から森の際にいる。臆病で、群れず、人里へは滅多に出てこない。出てきても、せいぜい数匹。追い払えば、それで済む。
だが近頃は違った。被害の間隔が詰まっている。手口が大胆になっている。まるで、森の奥で何かが膨れ上がり、その圧に押し出されるように、緑が縁から溢れかけている——そんな気配が報せの一つ一つの裏にあった。
放ってはおけない。
ヴォルヒルドはそう父に進言し、自ら隊を率いてここへ来た。守るべき民が森の縁で怯えている。ならば、確かめるのが騎士の務めだ。多くて十数、と彼女は見積もっていた。十数のゴブリンなら、十名の騎士で事足りる。だから、軽装で来た。人数も絞った。
最初に、おかしいと思ったのは、痕跡だった。
先を行く狩人の足がたびたび止まる。かがみ込み、地面を検め、また進む。その間隔が奥へ入るほど短くなっていた。ヴォルヒルドは、隣を歩く副官であるイルサに、低く声をかけた。
「イルサ。……数が、多くないか」
「はい」
副長は、短く答えた。その目は、油断なく木立の奥を探っている。
「踏み跡が、そこらじゅうにあります。それも、新しいものばかり。……こんな森では、なかったはずです」
ヴォルヒルドは、うなずいた。先を行かせた二人の狩人へ、合図を送ろうと、彼女は前方へ目をやった。
その二人が、先行したまま戻ってこなかった。
鳥が鳴きやんだのは、そのすぐ後だ。ヴォルヒルドが異変を確信し、片手を上げて小隊を止める。背後で、革鎧のこすれる音が次々と静まった。
そして、木々の陰から湧き出してきたその数を見た瞬間、彼女は自分の見積もりが、根本から誤っていたことを悟った。案内の狩人が戻らなかった理由も、同時に。
十数ではきかない緑色の影。
「散開——」
言い終える前に、最初の一人が倒れた。投げられた石斧が、喉を裂いていた。若い騎士だった。去年、叙任されたばかりの。
何が起きたかも分からないうちに膝から崩れるその姿を、ヴォルヒルドははっきりと見た。見て、そして、次の指示を出さなければならなかった。悼むのは後だ。今は、一人でも多く。
戦いと呼べるものではなかった。
数が違いすぎた。訓練された騎士の剣が、確かに何体ものゴブリンを裂いた。それでも、裂いても裂いても、緑の身体は森から溢れ続けた。
一人、また一人と、味方が地に伏していく。ヴォルヒルドは剣を振るいながら、喉が裂けるほどに叫んだ。退けと。傷を負ってでも、動ける者は森を出ろと。
数名が、血を流しながら、辛うじて包囲の薄い方へ抜けていくのが見えた。それだけが、彼女に残された唯一の戦果だった。
背後で、副長のイルサが、背中合わせに立っていた。
「隊長、これは」
「わかっている」
わかっていた。二人とも、わかりすぎるほどわかっていた。騎士なら、いや、この地に生きる女なら誰もが知っている。ゴブリンが女を攫うのが、何のためか。殺すためではない。もっと、ずっと悪いことのためだ。それくらいなら、ここで斬り死にした方が——そう思ったとき、後頭部に鈍い衝撃が来た。
視界が白く飛んだ。膝が地面を打つ。剣が手を離れる。
遠のく意識の端で、ヴォルヒルドは自分の腕が乱暴に掴まれ、引きずられていくのを感じた。屈辱が、恐怖よりも先に来た。抵抗しようとした指が、うまく動かない。すぐそばで、イルサも同じように引き倒される気配がした。
なんなのだ。この数と統率された様は…いるのかもしれない。上位個体が。
薄れゆく頭の隅で、ヴォルヒルドはそれだけを考えていた。襲ってきたのは小柄な個体ばかりだった。数こそ多いが、そのなかに上位種の姿はない。なのに、この数。もし——もし本当に、これを束ねる上位個体がどこかにいるのだとすれば。
死ねない、と思った。
こんなところで、死ねない。知らせなければならない。町に。父に。この森で起きていることの、本当の恐ろしさを。このまま放置すれば、いずれあいつらは森から溢れ出て町まで来るかもしれない。
引きずられながら、彼女は見た。拉致した個体のうちの数体が、群れを離れ森の奥の闇へ駆けていくのを。何かを呼びに行くように。
その意味を考える前に、意識が途切れた。
この世界のゴブリンは、人の女と繁殖活動はしません
人の女は単純な凌辱の対象です




