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望まぬ転生をした俺は、三度目の生を生きる  作者: 放浪猫
三度目の生
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2話

森の匂いがした。腐った葉と、湿った土と、獣の毛。緑色のごつごつした手が見えて、それが自分の手だとなぜかわかった。言葉がなかった。名前もなかった。腹を減らしただけの生き物として、俺は何年も森を歩いていた。


 捕らえられている女がいた。硬いもので覆われた、傷だらけの身体。縛られた腕をほどいて、奪われた剣を探してやって、俺はその女を巣穴まで案内した。理由なんてなかった。ただ、放っておけなかっただけだ。


 女は俺に言葉を教えた。水。木。空。剣の握り方と立ち方を教えて、それから、名前をくれた。ヴァルド、と。

 別れて、灰色の狼と出会った。二人で狩りをして、二人で眠った。相棒が死んで、俺はでかいやつを殺して、それでも何も戻らなかった。人間の集落が燃えていた。俺は駆けて、守って、矢を受けて左腕を失い、右目を潰されて、それでも守った。最後にあの女がいて、泣いていた。俺は笑おうとした。剣が振り下ろされた。


 白い場所にいた。詫びる神が、お前は弄ばれてきたと言った。そして思い出した。畳の匂い。母の背中。父の笑顔。妹。事故。保険金。病院。生活保護。痩せた顔で笑う妹。ごめんね、お兄ちゃん。妹は死んで、俺は暗い階段から落ちた。


 全部、誰かの見世物だった。

 斬った。詫びる神を斬って、止めに入った天使を斬って、動員された連中を片っ端から斬った。左腕を失った。右目を失った。何も埋まらなかった。落ちていく。抗った。最後まで抗った。それでも——


 目が覚めた。

 見慣れた天井だった。染みだらけで、隅に蜘蛛の巣が張っている。手入れもされていない離宮の、私の——いや、俺の寝室だ。


 「殿下」


 横から声がした。首を回すと、女従のマルタが椅子に座っている。たしか歳は五十を過ぎているこの女従は、この離宮で俺の世話をしている二人のうちの一人だ。


 「お目覚めですか。ああ、よかった。三日です。三日、眠っておいででした」


 三日……その言葉を聞いて、俺は自分の状態を確かめた。側頭部が痛む。触ろうとして、右手を持ち上げた。細い、子供の手だ。左手も持ち上げようとしたが、なかった。肘から先がない。右目も光を映さない。


 この欠損のことを俺は知っている。あの森ででかいやつに断たれた左腕。見えない礫に潰された右目。白い場所で神の一撃に抉られた、同じ場所。塞がりきらないまま運ばれたから、こうなった。


 「……そうか」


 掠れた声が出た。掠れていたが、確かに自分の喉から出た音だった。マルタが不思議そうな顔をする。


 「殿下?」


 「なんでもない」


 俺は天井を見上げて、頭の中を整理する。頭の中に今とは別の二つの人生の記憶が詰め込まれている。十二年しか生きていない身体には、明らかに多すぎる量だ。

 だが、混ざってはいなかった。別人の人格が入り込んだという感じではない。俺はジークベルトだ。この離宮で十二年生きてきた、グランフェルドの第一王子。それは変わらない。ただ、その俺が、二本の映画を続けて観たみたいに、他人の一生を二つぶん知ってしまった。


 知ってしまった、というより……あれは、俺だ。

 名前も言葉も持たなかったゴブリンも、妹を守れなかった日本の高校生も、神を殺し尽くした魂も、全部この俺だ。今このベッドで天井を見上げている十二歳の俺の前世だ。三日ぶんの空白の中で、俺という人間が三倍に膨らんだ。


 「殿下、お水を」


 マルタが差し出した杯を、右手で受け取って飲んだ。冷たい水が胸を通っていく。水。あの女が最初に教えてくれた言葉だ。百六十年前と同じ音を、いま俺は当たり前に使っている。日本語では違う音で呼んでいた。それでも指しているものは同じで、そう思ったら喉の奥がなぜか痛んだ。


 「……マルタ」


 「はい」


 「私が倒れた件は、どうなった?」


 癖で、私と言っていた。まあいい。この身体で十二年やってきた話し方だ。急に変えれば怪しまれる。


 マルタの顔が曇った。


 「稽古中の、事故として。ラインハルト殿下も、ケルナー卿も、深く反省しておられる、と……そういうことに」


 「そうか」


 予想どおりだった。三年前からずっとそうだ。何をされても事故になる。誰も咎められない。だが、以前とは違うことが一つあった。俺は、この身体の欠損の理由を知っている。


 欠けた左腕も、映らない右目も、母が心を病んで死んだことも、この城で誰にも顧みられないことも、全部、俺が神界でやったことの続きだ。俺がこの因果の種を蒔いた。


 生まれてきたこと自体が母を殺したのだと、ずっと思っていた。違った。母を殺したのはこの欠損で、欠損を作ったのは神を殺した俺自身だ。物心ついてから抱えていた漠然とした罪の輪郭が、はっきりした形をとって俺の中に据わった。


 今世の母を殺したのは、間違いなく俺の罪だった。記憶がよみがえったことで、その罪はより重くなった。


 「殿下」マルタが心配そうに覗き込んでくる。「まだお顔の色が。今日はお休みください」


 「ああ」


 俺は目を閉じた。考えることが多すぎた。

評価・星頂けたら嬉しいです


ダメ出し、もう見ないコメでもなんでもオケです

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