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望まぬ転生をした俺は、三度目の生を生きる  作者: 放浪猫
緑の怪物

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33/42

33話

(ヴォルヒルド視点)


 その声をヴォルヒルドは、生涯忘れなかった。


「……ヴォル、ヒルド」


 掠れて、歪んで、消え入りそうな声。うまく音になっていない、下手な発音。だが確かに、彼は彼女の名を呼んだ。

 あの森で、名を教えたとき。彼は、こんなふうに彼女の名をなぞった。うまく言えず、それでも懸命に。あのときと、同じ声だった。何ひとつ、変わっていない。あの優しい、不器用な——。


 その彼が今、彼女に剣を返そうとしていた。柄を彼女のほうへ。刃を自分の喉へ。何を求めているのか。ヴォルヒルドには、痛いほどわかった。わかって、しまった。


 終わらせてくれ、と彼は言っていた。この、私が与えた剣で。私の手で。

 嫌だ、と彼女は思った。首を横に振った。何度も。そんなこと、できるはずがない。お前を、助けたい。手当てを。まだ、間に合うかもしれない。まだ——だが、その考えが嘘であることも、彼女は騎士として知っていた。


 あの傷。片腕を失い、片目を潰し、背に無数の矢を受けたあの身体。もう、助からない。彼女がどれほど認めたくなくても。彼は、もう死にかけている。ここから彼を待つのは、長く、苦しい死だ。血を流し尽くすまでの、あるいは、傷が腐るまでの、緩やかな責め苦。


 それを、彼は望まなかった。だから、彼は剣を返した。苦しまずに逝かせてくれ、と。私の手で。私が与えた、この剣で。それが彼の最後の願いだった。言葉を持たぬ彼が、身振りと、たった一度、私の名を呼ぶ声だけで伝えようとした、ただひとつの頼み。


 ヴォルヒルドは、剣を握った彼の手に、自分の手を重ねた。

 小さな手だった。緑の、傷だらけの、爪の黒い手。あの森で、彼女の縄をほどいた手。震えながら、それでも彼女を傷つけまいとした手。剣を教われば、懸命に握り直した手。食い物を運んできた手。その手が今、冷たくなりかけていた。


「……わかった」


 ヴォルヒルドは言った。涙で声が震えた。


「わかった。もう、いい。よく、がんばった。もう、じゅうぶんだ」


 通じないことは、わかっていた。彼に言葉は届かない。それでも言わずにはいられなかった。

 彼女は、剣を握り直した。彼の手から、そっと受け取って。父が授けてくれた、あの剣。彼に託した、あの剣。それが今、彼女の手に戻ってきた。こんな形で。こんな残酷な形で。


 鞘から剣を抜くと、刃が夕暮れのわずかな光を映した。ヴォルヒルドは、その切っ先を、彼の喉のあたりへ定めた。手が震えた。騎士として、幾度も剣を振るってきた。だが、こんなに剣が重いと感じたことはなかった。


 彼女は、彼の顔を見た。

 彼は彼女を見上げていた。残った左目で。その目に恐怖はなかった。ただ、安らぎのようなものがあった。もういいのだ、という。ありがとう、とでも言うような。そして——微かに、彼の口の端が持ち上がった。


 笑っていた。

 彼女が教えたあの笑い方で。片目の潰れた、傷だらけの顔で。それでも彼は笑って、彼女を見上げていた。まるで彼女を安心させるように。大丈夫だと。これでいいんだ、と。


 その笑顔を見て、ヴォルヒルドの涙が堰を切った。


「守る者で、あれ、と」


 彼女は震える声で言った。剣を構えたまま。


「そう願って、お前に、この名と剣を与えた。お前は——そのとおりの者になった。誰よりも。私なんかより、ずっと。お前は、守る者だった。最後まで」


 彼は、彼女の言葉の意味を解さない。それでも、彼女の声の響きを聞いていた。じっと。安らかな左目で。


「そして、私は、もうひとつ願った。生きて、と。生きて、ほしい、と。——それだけは、叶えてやれなかった」


 嗚咽が込み上げた。彼女は、それを奥歯で噛み殺した。今、泣き崩れるわけにはいかない。この手が鈍れば、彼を苦しませる。それだけは、してはならない。介錯とは、最後の慈悲なのだから。


「せめて」


 と、彼女は言った。


「せめて、次に生まれてくるときは」


 声が詰まった。それでも、彼女は言い切った。彼への、最後の願いを。


「次は、人と魔物などではなく。ただの友として、会えたら。剣を教える師としてでも、いい。名を贈る者としてでも。……ただ、お前と私が、こんなふうに別れなくて済む。そんなふうに、会えたら」


 叶わぬ願いだと、わかっていた。だが、願わずにはいられなかった。あの森で、名の意味をいつか知る日が来れば、と願ったように。叶わぬと知りながら、それでも願う。それが彼女にできる、ただひとつのことだった。


 彼の左目が静かに、彼女を見ていた。まるで、その願いが届いたかのように。安らかに。

 ヴォルヒルドは、剣を、両手で握り直した。


「……ありがとう。私を守ってくれて。二度も。——さようなら。ヴァルド」


 そして、彼女は、剣を振り下ろした。

 ひと思いに。苦しませないように。騎士としての、すべての技を、その一太刀に込めて。彼女が彼に与えられる、最後の、そして最大の慈悲として。


 彼の左目が閉じた。最後まで、安らかな笑みを浮かべたまま。

評価・星頂けたら嬉しいです


ダメ出し、もう見ないコメでもなんでもオケです

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