32話
どうやってねぐらまで帰り着いたのか。よく覚えていない。
森の中を、よろめきながら進んだ。木にぶつかり、根に躓き、それでも足だけはあの場所へ向かっていた。命を、薪のようにくべながら。一歩ごとに、燃えるものが減っていくのがわかった。だが、止まらなかった。止まったら、そこで終わりだと、身体が知っていた。
あの、倒木の下の穴。
見えたとき、俺はほとんど崩れるように、そこへ倒れこんだ。胸にあの棒を突き立てたまま。片腕を失ったまま。中へ這い込む。あの狭い、暗い、俺の巣。相棒と二人で眠った、あの場所。
俺は、そこに横たわった。
もう、動けなかった。命の薪も、尽きかけていた。逃げろ、と言っていた身体の声ももう聞こえない。ここまで来ればいい…そう身体も諦めたのか。あるいは、満足したのか。
仰向けになって俺は、穴の天井を見上げた。土と、木の根。何度も見上げた天井。ここで目を覚まし、ここで眠った。相棒と身を寄せ合った。その匂いがまだ、かすかに残っている気がした。
胸から突き出たあの棒を、俺は残った右手で触れた。抜こうか、と思ったがやめた。抜いたところで、治せない。熱は、空だ。抜けばただ、血がもっと流れるだけ。もう、どうでもよかった。
不思議と、痛みは感じなかった。左腕も、右目も、胸を貫いたものも。すべての痛みが遠かった。ただ、寒かった。あの、いちばん最初の日のように。森で目覚めた、あの日。何もかもが寒くて、怖くて、一人だった、あの日。
巡り巡って、俺は、あの日に還ってきたのかもしれない。
一人で始まって、一人で終わる。あいだに、いろんなことがあった。剣を教わった。名をもらった。相棒と出会った。守れなかった。守れた。討った。そして今、また一人で、この暗い穴の中にいる。
悪くなかった。
そう思えた。あの日、森で目覚めたときには、こんなふうに思える日が来るとは、知らなかった。何もなかった俺に、いろんなものができた。失って、痛かった。それは、何かがあった証だ。空っぽの一人と、失った一人は、違う。相棒を失ったとき、そう知った。
だから、いい。これで。
俺は、残った左目を閉じかけた。このまま眠ればたぶん、もう目は覚めない。それでも——悪くなかった。
そのとき。穴の外で、物音がした。
誰かが駆けてくる。荒い息。土を蹴る足音。それが穴の入り口で止まった。
俺は、重い左目を開けた。
入り口の明かりを背にして、誰かがそこにいた。硬い覆いを着た、大きな影。肩で息をして。その影が穴の中を覗き込んで——俺を、見つけた。
あの女だった。ヴォルヒルド。追ってきたのか。こんなところまで。あの人間たちの中から抜け出して。俺を、探して。
なぜ?と思った。俺は、緑の化け物だ。あんたたちの仲間を殺した奴らと、同じ姿の。あんたの仲間が俺を射た。それでいいはずだ。なのになぜ、追ってきた。
彼女が穴の中へ身を滑り込ませた。俺の傍らに。膝をついて。その顔が間近に見えた。
泣いて、いた。
あの、いつも凛としていた顔が。剣を教え、名をくれた、あの強い女が。ぼろぼろと涙をこぼして。俺を見下ろして。何か言っていた。俺には、意味のわからない言葉を。何度も、何度も。
その必死な顔を見ていたら、俺は伝えたいことがあった。言葉を持たない俺に、どうやって伝えればいいのか、わからない、そのことを。
伝えたいことは、ひとつだった。
俺は、残った右手を動かした。腰のあたりを探る。そこにあった。あの剣。あんたがくれた剣。この戦いのあいだずっと、俺と共にあった一振り。片手で、俺はそれを鞘ごと握った。
重い。いつもは、なんでもない重さが今は、腕全部を使っても、持ち上がらないほど重かった。それでも俺は、それを持ち上げた。彼女のほうへ、差し出すように。
彼女がそれを見て、息を呑んだ。
俺は、その剣を、彼女に押しつけた。受け取れ、と。返す、と。あんたがくれたこれを。もう俺には要らない。だから返す。——だが、伝えたいのは、それだけではない。
俺は震える手で、その剣を握り直した。刃のほうを、自分に向けて。柄を、彼女のほうへ。そして切っ先を、自分の喉のあたりへ導こうとした。
わかるか、と俺は思った。
俺はもう助からない。それはわかっている。この身体ではもう駄目だ。だがこのまま、じわじわと冷えていくのを待つのは——嫌だった。それにこれだけの傷で、どれだけ苦しんで死ぬのか、俺にはわからない。だから。
あんたの手で、終わらせてほしい。
この、あんたがくれた剣で。ひと思いに。それが俺の最後の頼みだった。言葉を持たない俺が、どうしても伝えたかった、ただひとつの願い。
彼女が剣と俺の顔を、交互に見た。俺の元笑めていることを、悟ったのだ。その顔がくしゃくしゃに歪んだ。首を横に振る。何度も。嫌だ、と言うように。だめだ、と。
俺は笑おうとした。
あの、口の端を持ち上げるあれ。あんたが教えてくれた。うまくできたか、わからない。片目も潰れて、顔の半分が動かなかったから。それでも俺は、笑おうとした。彼女を安心させたくて。大丈夫だ、と。これで、いいんだ、と。
頼む。声にはならなかった。俺の喉は、そんな器用な音を出せない。だから、俺は、目で伝えた。残った、左目で。彼女の涙に濡れた目を、まっすぐに見て。
それでもどうしても、もう一度呼びたかった。あの戦いのはじめに、初めて呼んだあんたの名を。今度は、守るためではなく。ただ頼む、と。
「……ヴォル、ヒルド」
掠れて、歪んで、消え入りそうな声だった。あのときと同じ、下手な、下手な発音で。だが確かに俺は、あんたの名を呼んだ。頼む、と。あんたにしか、頼めない、と。その、ありったけを込めて。
剣を握った俺の手に、彼女の手が重なった。
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