30話
地を蹴った。最後の熱を、脚に込めて。
でかいやつが振り向く。俺を迎え撃とうと、鉄塊の武器を構える。だが、俺はその正面へは行かなかった。地を蹴った勢いのまま、足の下に見えない足場を作る。跳ぶ。空へ。最後の力で、あいつの頭上を取る。
残った右手で、剣を頭上高くに掲げた。そこへ、あるかぎりの熱を注ぎ込む。刃に壁を纏わせる。何枚も、何枚も。割れる前に、次を。そのまた次を。もう、細かい制御など考えなかった。残っているもの全部を、この一振りに注ぎ込んだ。見えない刃が、剣の先に、何倍もの長さで伸びていく。
落ちた。あいつの脳天めがけて。
でかいやつが腕をかざす。あの、俺の剣を一度は防いだ腕。だが、今度のは違う。全体重と、落下の勢いと、残る熱のすべてを、切っ先の一点に集めた、渾身の一撃。
剣が腕を断ち割った。
止まらなかった。そのまま脳天へ。頭骨を断ち、首を断ち、胴の半ばまで。俺の剣が、あいつのでかい身体を、上から真っ二つに断ち割っていく。
どう、と、地が鳴った。
でかいやつが崩れた。相棒を殺した、あいつが。二つに裂けて、地に伏した。もう、動かなかった。
討った。
俺は、あいつの骸の傍らに降り立った。討った。相棒の仇を。ようやく。
だが、喜びは湧いてこなかった。
あいつが死んでも、相棒は戻らない。当たり前のことだ。わかっていた。わかっていたのに——あいつの骸を見下ろしても、胸に空いた穴は埋まらなかった。ただ、冷たい火が燃えるものを失って、すっと消えただけだった。あとには、何も残らなかった。空っぽの静けさだけが。
そして、その静けさの中で、俺は気づいた。
立って、いられない。
熱が空だった。完全に、空。あの一撃に、残り全部を注ぎ込んだ。もう、脚を強くする熱も、足場を作る熱も、傷を治す熱も、一滴も残っていない。左腕の断面から、また血が流れはじめた。止める力もない。右目の痛みも押し寄せてくる。膝が崩れた。
俺は、あいつの骸の横に膝をついた。
息が荒い。身体が鉛のように重い。ああ、これはまずいな、とどこか遠くで思った。これだけの傷で、治す力がない。このままでは——だが、その考えも、うまくまとまらなかった。ただ、地面がやけに近くに感じられた。
だが、それでも。討てた。相棒の仇を。だから——いい。これで。
俺は、霞む左目で、あの女を探した。ヴォルヒルド。無事だろうか。あいつを守れただろうか。俺のしたことに、意味があっただろうか。それだけが気がかりだった。
彼女は、少し離れた場所に立っていた。こちらを見ている。無事だ。よかった、と思った。守れた。今度こそ守れた。相棒のときのようには、ならなかった。俺は、霞む視界の中で、彼女に向かって、口の端を持ち上げようとした。あの笑い方を。あんたが教えてくれた。
そのときだった。
背後で、人間たちが何か叫んだ。
意味は、わからなかった。俺は、人間の言葉をほとんど知らない。ただ、その響きが、鋭くて、硬くて——あの、痩せたやつを見たときの、俺の心に似た、何かを含んでいることだけは、わかった。
振り向く力は、もうなかった。
次の瞬間、背中に、衝撃が走った。いくつも。いっぺんに。何か鋭いものが後ろから、俺を貫いた。前のめりになる。何が起きたのか、わからなかった。ただ、身体の前側に、見慣れないものが生えていた。
細い、棒のようなもの。その先の、光る、尖った先。それが俺の胸から、何本も突き出ていた。
自分の胸からそれが生えているのを、俺は、他人のことのように見ていた。左腕を失ったときと、同じだ。痛みより先に、ただ、事実だけが目に入る。ああ、何かで貫かれたのか、と遠くで思った。あの人間たちに。後ろから。
膝から、力が抜けた。だが——倒れなかった。
なぜだか、倒れなかった。もう、熱はない。空っぽだ。傷を治す力も、立つための力も、とうに尽きている。なのに、身体がまだ動いた。熱ではない、もっと奥の何か。命そのものを、薪のようにくべて、燃やしているような。そんな感じがした。
逃げろ、と身体が言った。
あの、いちばん最初の日と、同じ声で。森で目覚めた、あの日。何もわからず、ただ怖くて、逃げた、あの日。あのときと同じ、身体の声。逃げろ。ここは危ない。逃げろ。
どこへ、とは、身体は言わなかった。だが、俺の足は、もう、向きを決めていた。森だ。あの、ねぐら。相棒を埋めた、あの場所。二人と過ごした、あの巣。傷ついた獣が最後に帰る場所。俺の身体は、そこへ帰ろうとしていた。
俺は、走りだした。胸から、あの棒を突き出したまま。片腕を失い、片目を潰し、命を燃やして。よろめきながら、それでも、森のほうへ。背後で、また、人間たちの叫び声。追ってくる者の気配。だが、振り返らなかった。振り返る力も、惜しかった。
最後に、霞む左目に映ったのは。あの女の顔だった。ヴォルヒルド。こちらへ手を伸ばして、何か叫んでいた。その顔がひどく歪んでいた。泣いているのかもしれない。なぜ、と思う間もなく、俺は、木々の間へ駆け込んでいた。
彼女の声が遠ざかる。俺は、森の闇へ消えた。
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